ナチスとヒトラーへの心酔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:57 UTC 版)
大島はナチ党とそれを率いるヒトラーに心酔しており、言動や思想は常にナチ党政権及びドイツ寄りであった。そのことから、日本国外務省や大日本帝国海軍などでは大島をしばしば「駐独ドイツ大使」と揶揄した。木戸幸一は戦後、「あのくらい、ドイツ一辺倒の男はなかった」「大使になっても依然として駐在武官のような頭だった」と大島を評している。 大島のドイツ贔屓は終生続き、晩年においても毎日ドイツ語の本と雑誌ばかり読んでいた。また、ヒトラーを常に「天才戦略家」と評価しており、蟄居先であった茅ヶ崎の自宅応接室にも、自身とヒトラーとが向かい合った写真が飾られていたという。また、「国家の勢力拡大が最優先事項とされた当時の価値基準で測れば、ヒトラーはアレクサンドロス3世やナポレオン・ボナパルトに次ぐ天才であったことを固く信じる」とヒトラー死後30年を経た後にも語っていた。
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