ナチスとユダヤ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:12 UTC 版)
「ラウル・ワレンバーグ」の記事における「ナチスとユダヤ人」の解説
当時のヨーロッパはナチス・ドイツによって席巻されていた。ナチスは1942年に悪名高い「ユダヤ人問題の最終的解決」計画を打ち出し、各地の強制収容所にユダヤ人を送り込んで絶滅させようとした。ユダヤ人はこれに対して世界に救済を呼びかけたが、相手にされなかった。わずかにデンマークやブルガリアがナチスの言いなりにならなかった為ユダヤ人たちは迫害を免れたが、世界の国々は事実上ユダヤ人の訴えを黙殺していた。しかし、徐々にナチスの残虐行為の実体があきらかになると世論は変化し、1944年に入ると再選を目指した米国のルーズベルト大統領がユダヤ人ロビーを無視できなくなってナチスのユダヤ人政策を激しく批判し始めた。その一環として「戦時亡命者委員会」がつくられ、ついにアメリカ合衆国がユダヤ人保護にのりだした。 1944年3月、マルガレーテI作戦によりハンガリー王国はドイツ軍の占領下に置かれた。親独派の首相ストーヤイ・デメはドイツ国内へのユダヤ人移送を始めるなど、ハンガリー国内のユダヤ人に危機が迫っていた。「戦時亡命者委員会」はハンガリーへ派遣できる人材を探しはじめ、中立国スウェーデンに打診。スウェーデン側がハンガリーのユダヤ人社会の代表たちの意見を聞いた。そのなかにコロマン・ラウアーがいたため、ワレンバーグに白羽の矢がたった。
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