マルガレーテI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 06:21 UTC 版)
1944年3月8日、ハンガリー首相カーロイ・ミクローシュ(en:Miklós Kállay)が連合国と極秘に休戦交渉を行っていることが発覚した。ヒトラーは直ちにマルガレーテIの実行を下令し、OKWは3月19日を実行日とする計画を示達した。 18日、ヒトラーはハンガリー王国の摂政ホルティ・ミクローシュをオーバーザルツベルクのベルクホーフに招致した。ホルティと会談したヒトラーは12個師団のハンガリーへの派遣、全産業の軍事態勢切り替え、ハンガリー・ルーマニア国境の部隊を東部戦線に回すように要求した。ホルティは激怒したが、ドイツ側が要求を受諾するまでホルティを帰さない姿勢を見せたためにやむなく要求を受諾した。その後、ホルティは鉄道で帰国したが、ハンガリーへのドイツ軍展開が完了するまでの間、列車は鈍行運転を続けた。 19日午前4時、西方軍集団と南方軍集団から抽出された師団がハンガリーの占領を開始した。ハンガリー軍民の抵抗はなく、むしろ歓迎された。親独派のストーヤイ・デメが首相となり、ホルティはブダ宮殿に軟禁状態となった。その後、ドイツから派遣された特使エトムント・フェーゼンマイヤー(en:Edmund Veesenmayer)がブダペストに駐在し、政府の監視に当たった。カーロイはトルコ大使館に亡命し、辛くもドイツの手から逃れた。
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