ナチズムと文化への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 23:46 UTC 版)
「テオドール・アドルノ」の記事における「ナチズムと文化への批判」の解説
詩人、京都大学教授である細見和之によると 「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」"Nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch" というアドルノの言葉は、文化批判として広く知られている(『プリズメン─文化批判と社会』)。後の『否定弁証法(英語版、ドイツ語版)』の中でアドルノは、より端的に 「アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった」 と論じている。「アウシュヴィッツ」という言葉は、ユダヤ人や少数民族を殺戮する絶滅収容所が置かれたポーランドの町の名前であり、ホロコーストの象徴としても使われている。アドルノが批判的に問い直したのは、アウシュヴィッツでのホロコーストに代表される「野蛮」な側と、詩に代表される「文化」的な側との関連だった。こうしたアドルノの批判は、ナチス時代反省において不可欠となり、代表的な警句(アフォリズム)となっている。 細見が言うには、アウシュヴィッツでガス室が稼働し始めたのは1942年3月という過去だが、当時の世界が現代よりも「野蛮」な時代だったと考えることは適切でない。ドイツでさえ、ベートーヴェンやブラームスなどのクラシック音楽で知られる国だった。つまり伝統や美術に代表され、ロマンチック(ロマン主義的)で教養に満ちた「文化」側は、ナチス・ヒトラー・ホロコーストのような独裁や惨事に満ちた「野蛮」側と、表裏一体の関係になっている。 「ドイツロマン主義」、「感情主義」、「反啓蒙主義」、および「反西洋主義#ドイツロマン主義」も参照
※この「ナチズムと文化への批判」の解説は、「テオドール・アドルノ」の解説の一部です。
「ナチズムと文化への批判」を含む「テオドール・アドルノ」の記事については、「テオドール・アドルノ」の概要を参照ください。
- ナチズムと文化への批判のページへのリンク