ナチズムによる使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:08 UTC 版)
「大ゲルマン帝国」の記事における「ナチズムによる使用」の解説
「汎ゲルマン主義」も参照 アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』の中で「ドイツ国民のゲルマン帝国(ドイツ語:Großgermanisches Reich Deutscher Nation)」と述べている。 しかし、ヒトラー自身が「ゲルマン帝国」について言及したことは少なく、1920年から1924年にかけては2回のみであり、いずれも「ドイツ国民」を冠した形であった。また、アルベルト・シュペーアの回想録『第三帝国の神殿にて ナチス軍需相の証言』 によれば、ヒトラーは「ゲルマン民族のテウトネス帝国」とも称していた。 ヒトラーは「ゲルマン」という語を、反ユダヤ主義、反キリスト教的な意味合いを込めて使用していたと指摘されている。また1940年4月の北欧侵攻に際しては「今日この日から大ゲルマン帝国が成立するであろう」と述べたが、これは北欧諸国占領という状況から連想されたもので、イデオロギー色は薄いとされている。 また、ヒトラー自身はアーリア人の血を重視していたが、文化的な面ではゲルマン人をむしろ否定的に見ていた。 「大ゲルマン帝国」の概念をしばしば語ったのが、ドイツ民族性強化国家委員として、第二次世界大戦期における人種政策の責任者である、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーである。ヒムラーが最初に「ゲルマン帝国」に言及した1938年11月8日の親衛隊幹部に対する演説では、ドイツの行く末は「大ゲルマン帝国の建設か、無か」しかないと述べ、ヒトラーが「Großgermanisches imperiumすなわちGroßgermanisches Reich」を創造するであろうと語っている。 また、1942年9月16日の演説では「第二次世界大戦」とよばれるであろう戦争の意義は、大ゲルマン帝国の成立であろうと述べている。彼の構想の大ゲルマン帝国は「大ドイツ帝国(ドイツ語: Großdeutsches Reich)」とは異なり、ドイツ民族だけではなく、ドイツ民族と種の類似した諸民族をも包摂し、ドイツ民族がその主導権を握るというものであった。ヒムラーはヒトラーと異なり、先史時代のゲルマン時代を憧憬の思いで見ていた。 こうしたこともあって、武装親衛隊にはゲルマン系諸民族の部隊が多く創設された。またオランダの総督(国家弁務官)であったアルトゥル・ザイス=インクヴァルトもゲルマン民族による「ライヒ」創設の支持者であった。
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