ナチズム(国家社会主義)の模倣 ― 日本・イスラム圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:05 UTC 版)
「オクシデンタリズム」の記事における「ナチズム(国家社会主義)の模倣 ― 日本・イスラム圏」の解説
「近代の超克」も、日本の大都市の様子(ハリウッド映画・映画スター・カフェ・ダンスホール・風刺・ラジオ・新聞・短いスカート・自動車等)を非難していた。このような都市文明を日本の知識人たちは、軽薄・物質主義的・凡庸・根無し・非日本的であるとして憎み、深遠な精神文化とは正反対のものとした。しかし、ここにはある種の歴史的記憶喪失がある ―― ハリウッドスターが日本の映画館に登場する以前から、日本の都市は商業の中心として栄えていた。歌舞伎、市場、売春宿、娯楽施設の栄えた江戸時代の社会が、1930年代の東京の歓楽街よりも「精神的」だった証拠はない。 表面的な形は異なれど、当時の日本の思想家たちの意見は、1930年代のヨーロッパの思想家たちと同じだった。アラブ知識人の提唱した汎アラブ主義が汎ゲルマン主義に基づいているように、日本のインテリも1930年代ごろのドイツナショナリズムから多大に影響され、その反西洋観・反都市観をも模倣していたのだった。 20世紀で最も影響力のあったイスラム思想家の一人、サイード・クトゥーブは、1948年に生まれ故郷のエジプトからニューヨークにやって来た。そこでやりきれない思いを味わっていたクトゥーブによれば、 〔ニューヨークは〕騒々しく … やかましい … 巨大な作業場 だった。大都会の中では「鳩でさえ不幸」に見え、そしてアメリカには「金銭、映画スター、新車」以外についての会話は存在しないのかと嘆いた。クトゥーブが故郷へ宛てた手紙には、「誘惑的な空気」の中で、日常生活に溢れる衝撃的な官能性や、アメリカ女性の慎みのない行動に悩まされている、と書かれている。大都会ではないコロラド州の町グリーリーでも、教会の主催したダンスパーティーがあまりに「淫ら」だったと衝撃を受けている。 クトゥーブは「純粋なイスラム教コミュニティー」という理想の守護者で、それは西洋の「偶像崇拝」・「物質主義」に抗してでも守らねばならないとした。しかしあらゆる純粋さの理想と同様、彼の言う「精神的コミュニティー」の理想も一つのファンタジーに過ぎず、暴力や破壊の因子を含んでいた。
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