ナチズム以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:14 UTC 版)
ナチスが政権を獲得しユダヤ人迫害が起こる中、ブルーメンフェルトに協力し、反ユダヤ主義の資料収集やドイツから他国へ亡命する人を援助する活動に従事する。一度は逮捕される危険にあう。1933年にフランスに亡命。この地でもシオニスト関係の仕事に従事する。1937年ギュンターと別れる。1940年、スパルタクス団やドイツ共産党に参加した活動家ハインリッヒ・ブリュッヒャーと結婚。彼から政治的思考を学ぶこととなる。 第二次世界大戦が始まり1940年にフランスがドイツに降伏する。1941年、アメリカ合衆国に亡命する。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任。1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。 1951年に『全体主義の起源』を著し、全体主義について分析した。その後も、みずから経験した全体主義およびそれを生み出すにいたった西欧の政治思想を考察した。 1963年にニューヨーカー誌に『エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』を発表し、大論争を巻き起こす。 1975年12月4日、自宅にて心臓発作により死去(69歳)。
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