ナチス高官のベルリン脱出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:17 UTC 版)
「ベルリンの戦い」の記事における「ナチス高官のベルリン脱出」の解説
4月20日ヒトラーの誕生日を祝うために、軍高官およびナチス高官が総統官邸に集まった。この日開催された軍事会議で、アメリカ軍と赤軍がエルベ河で合流した場合に備えドイツ北部をカール・デーニッツ元帥が指揮することとなった。又、各種政府機関も即時ベルリンを退去することが決まった。会議が終わると、政府の大部分はベルリンを立ち退き、ヘルマン・ゲーリングやエーリヒ・レーダー等も立ち去っていった。 一方、ベルリン防衛司令官ヘルムート・ライマン中将の事務室には、ナチス党の幹部が口実を設け、ベルリン立ち退きの許可証を求め集まってきた。ベルリン防衛責任者のヨーゼフ・ゲッベルスは、武器を持てる者は一人もベルリンを離れてはならないと布告しており、ベルリン防衛司令部の許可証が無ければベルリンを退去することができなかったためであったが、これをライマンの副官は嘲笑していた。結局、ライマンは彼等に2000枚以上の許可証を発行した。
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