紫電改 紫電改の評価

紫電改

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/22 01:03 UTC 版)

紫電改の評価

紫電改と同時期に開発され、同じ発動機を搭載する中島飛行機四式戦闘機「疾風」(以下、四式戦と略)と、紫電改の最高速度をカタログスペック上で比較すると、紫電改の方が劣っている。紫電改の試作時における最高速度は335ノット(620.4km/h)[88]。水平全速で348ノット(644km/h)[89]であった。四式戦初期試作機の最高速度624~640km/h、さらに推力式単排気管に改造された四式戦の後期試作機は、初期試作機より10~15km/hほど速い。昭和20年1月付けの「試製紫電改操縦参考書」の記述からも分かるように、紫電や紫電改の発動機である誉二一型は運転制限のため出力が定格より1割ほど低い状態であった[90]。当然、試作機の最高速度も運転制限下で記録された[91]。カタログスペック上、紫電改が四式戦に比べて30km/hほど遅いのは、四式戦のテスト時よりも誉の工作精度が落ち、燃料やオイルなども誉に適した物が使用できなくなったため、更に出力が低下していたためではないかと推定する者もいる[誰?]。また川西航空機が小型機製造に慣れておらず、主翼の表面仕上げが荒くなっていたことから、設計時に想定されたより抵抗が増えていたことも原因の一つと考えられる[92]ちなみに、量産機では主翼の工作不良による揚力の不均衡から、当舵をしなければ直進飛行できない(抵抗が増えて速力が落ちる)機体すらあったと言われ、これらの要因が両者の性能差を更に大きなものにしていたと思われる。[要出典]

もっとも、同じエンジンを搭載し自重も同等とはいえ、翼面積は紫電系列が23.5平方メートル、四式戦は21平方メートルであり、紫電改のほうが大きな翼をつけている。翼面荷重(kg/平方m)/馬力荷重(kg/PS)は強風150/2.5、紫電改170/2.2、四式戦180/2.0、零戦21型107/2.5、零戦52型120/2.3、烈風143/2.8、F6F167/2.6、F8F197/2.0 [93]。この数値のみで判断すれば、紫電改は四式戦より空気抵抗が増える分やや遅く、かわりに揚力が大きくて旋回性能がよいということになる。山本重久テストパイロットは、横旋回では零戦に苦戦、縦旋回戦闘では零戦に対し断然優位、零戦2機を相手にしても互角に戦え、加速性能・急降下性能ふくめ零戦より優っていたと評価している[94]

紫電改の米軍テスト時の正確な数値は不明だが、「当時のどの米海軍の現役戦闘機よりも優速であった」というコメントが残されており[95]、昭和20年10月16日に米軍に引き渡すための空輸の際も[96]、米軍のハイオクガソリンを用いて全速で飛ぶ紫電改3機(志賀淑雄少佐、田中利男上飛曹、小野正盛上飛曹が示し合わせて実行。武装撤去、銃弾未搭載のため軽量)に、実弾を装備した監視役の6機のF4Uは置き去りにされそうになったという[97]ピエール・クロステルマンはその著書「空戦」で紫電改が高度6,000mでP51マスタング44年型と同程度のスピードを発揮したことからマスタング44年型のカタログスペックを基準とした最高速度時速680km説を採用しており、当時の連合軍の空軍関係者はその程度の速度と認識していたことが伺える。また、昭和26年に来日した米空軍将校団の中にアメリカで紫電改をテストした中佐がおり「ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦演習をやってみた。どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった。ともかくこの飛行機は、戦場ではうるさい存在であった」と評したという[98]

もっとも四式戦や紫電改と相対していた当時の米軍機は機体の数量もさることながら、日本ではまだ試作段階であった耐Gスーツや、ジャイロ式見越し射撃角自動補正機能付照準器等を既に装備しており、また三四三空が本格的に導入した無線装置を駆使したロッテ戦法や一撃離脱戦法等の戦技面においても、米軍に一日の長があったことも事実である。

スミソニアン博物館に展示されている紫電改の説明文に「太平洋で使われた万能戦闘機のひとつである」とされながらも「B-29に対する有効な邀撃機としては高高度性能が不十分であった」と書かれているように、局地戦闘機としては高高度性能が優れているとは言えなかった[99]。これは日本機に共通する欠点で、排気タービン過給器(ターボチャージャー)や二段式機械過給機(スーパーチャージャー)を実用化できなかったためである。なお、この紫電改の高高度性能不足の対策として、一時は生産中止されそうになった雷電の生産促進がなされている。主力戦闘機として大生産計画が立てられたものの、実戦配備がB-29による本土爆撃が本格化した昭和19年末であったこともあって紫電改の生産数は約400機に留まり、「大東亜決戦機」として3,000機以上生産され、文字通り大戦末期における陸軍の主力戦闘機となった四式戦とは対照的と評価されることが多い[100]。近藤芳夫(疾風開発者)は「疾風は一撃離脱のキ44(鐘馗)が原点。紫電改は空中格闘戦に拘っていた」と述べている[93]。四式戦は米軍テスト時に687km/hを記録して「最優秀日本戦闘機」と評された。発動機が同じで機体規模も近い紫電改も同じ条件であれば、四式戦に匹敵する性能を記録できたのではないかとする意見もあるが[誰によって?]、紫電改の米軍テスト結果が不明であるため事実は明らかではない。

戦争末期には一部部隊で未熟なパイロットも多く搭乗したことや誉の工作精度が低下し、燃料、オイルなども誉に見合った物が使用されなかった。当時の日本軍の航空機エンジン用オイルは戦前にアメリカから輸入した自動車用エンジンオイルであり、その備蓄は終戦間際には既に底を突きかけていたことも手伝い[要出典]、期待された性能を発揮できなかったり、稼働率の低下を招いたこともあった。また沖縄戦において銀河彗星等の攻撃機(特攻機)の直掩機としても用いられたが、援護を行うには航続距離が不足したこともあり[101]、完全な援護を行うことはできなかった[102]。その一方で四式戦や零戦は、九州南端の基地から出撃し沖縄で対地攻撃を行って帰還することも可能であった。

坂井三郎は個人的な評価として「制空戦闘機とも局地戦闘機ともいえない中途半端な戦闘機」と述べている[103]一方。岩下や笠井は、F6Fと互角に戦える素晴らしい機体として歓迎したと証言[104]しており、当時の搭乗員の紫電改への評価は分かれている。それでも笠井は、紫電改にとって最も手強かった米軍戦闘機をF6Fとしている[105]。紫電と紫電改には雲泥の差があり、紫電改配備後の訓練搭乗機に紫電を指定されると、全員が気落ちしたという[106]

英国のブランドフォード社の『原色航空機百科』(K.マンソン著)[107]では「太平洋戦線に出現した日本機中、最もすばらしいもののひとつであった」と高く評価されている。

『The Illustrated Directory of Fighters』(Mike Spick著)P.218によると、N1K2-J(紫電改)は高度19,030フィート(5,800m)において最高速度416マイル(669km/h)、海面高度において最高速度358マイル(576km/h)、上昇率は高度20,014フィート(6,100m)まで6分6秒と性能が記載されている。これらの数値は連合軍による鹵獲機での試験データに基づく数値と注釈で触れられているが、元となった試験情報の出典など詳細は不明である。




  1. ^ 壱「試製紫電改 仮取扱説明書」pp.9
  2. ^ a b 『最強戦闘機紫電改』182頁。前野秀俊「戦後デビューした“アイドル”戦闘機」
  3. ^ [1] TAIC Evaluation "George 11" March 1945
  4. ^ a b 『最強戦闘機紫電改』160頁。笠井智一海軍上飛曹(343空)と岩下邦雄海軍大尉(横須賀航空隊)の対談より。"J"と"J改"は笠井。岩下は"紫電"と"紫電改"。
  5. ^ 『最強戦闘機紫電改』114頁「『紫電改』は何とよばれたか」
  6. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』36頁、碇義朗『最後の戦闘機紫電改』44-45頁
  7. ^ a b c d e f 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』37頁
  8. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』85-86頁「試作計画混乱のしわよせ」
  9. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』37、74頁
  10. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』76頁
  11. ^ a b 『最強戦闘機紫電改』107-108頁。菊原静男(元川西設計課長)「最強戦闘機の生涯」
  12. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』100頁
  13. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』142頁
  14. ^ 世良光弘『坂井三郎の零戦操縦』174頁
  15. ^ 『最強戦闘機紫電改』160頁
  16. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』75頁「あまりに拙速だった『紫電』(N1K1-K)」
  17. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』94頁「事故が頻発した『紫電』のテスト」
  18. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』75頁
  19. ^ 『最強戦闘機紫電改』160頁
  20. ^ 世良光弘『坂井三郎の零戦操縦』171-172頁
  21. ^ a b 碇『紫電改の六機』278-279頁「精鋭三四三空」
  22. ^ [2] TAIC Evaluation "George 11" March 1945
  23. ^ a b c 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』38頁
  24. ^ 碇義朗『最後の戦闘機紫電改』141頁
  25. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』77頁
  26. ^ a b c d e f 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』40頁
  27. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』78頁
  28. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』田中賀之「自動空戦フラップ操作装置開発の記」81-85頁
  29. ^ a b 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』84頁
  30. ^ 碇『紫電改の六機』277-279頁「精鋭三四三空」
  31. ^ 世良光弘『坂井三郎の零戦操縦』176-177頁
  32. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』145-147頁
  33. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』85頁。田中は台湾やフィリピン前線に出張して調査。
  34. ^ 『最強戦闘機紫電改』136-137頁
  35. ^ 『最強戦闘機紫電改』167頁
  36. ^ 『最強戦闘機紫電改』193頁。小池田忠「海軍搭乗員の安全装備」
  37. ^ 丸1月別冊『蘇る海鷲 最強戦闘機「紫電改」』13頁
  38. ^ 『最強戦闘機紫電改』169頁
  39. ^ a b c d 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』41頁
  40. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』42頁
  41. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』42-43頁
  42. ^ 決定版 局地戦闘機 (歴史群像シリーズ 太平洋戦史スペシャル9)ISBN-978-4056063288 内の陣風の項目ページより
  43. ^ 宮崎勇『還って来た紫電改 紫電改戦闘機隊物語』181頁
  44. ^ 宮崎勇『還って来た紫電改 紫電改戦闘機隊物語』181-182頁、『最強戦闘機紫電改』166頁
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  46. ^ 宮崎勇『還って来た紫電改 紫電改戦闘機隊物語』217頁
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  48. ^ 『最強戦闘機紫電改』136-137頁
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  50. ^ 宮崎勇『還って来た紫電改 紫電改戦闘機隊物語』157頁
  51. ^ 『最強戦闘機紫電改』161頁。岩下邦雄(341航空隊401飛行隊長)、笠井智一(201空)
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  53. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』62頁
  54. ^ a b c 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』63頁
  55. ^ 碇義朗『最後の戦闘機紫電改』216-218頁「紫電偵察隊の活躍」
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  60. ^ 碇『紫電改の六機』279頁、中島大次郎少尉談。
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  62. ^ 『最強戦闘機紫電改』150-154頁。石坂光雄(戦闘403飛行隊分隊長)「不死身の愛機紫電『182号』の奮戦」
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  64. ^ 決定版 局地戦闘機 (歴史群像シリーズ 太平洋戦史スペシャル9)ISBN-978-4056063288 紫電改の項目より
  65. ^ 『最強戦闘機紫電改』164頁
  66. ^ 『最強戦闘機紫電改』137頁
  67. ^ 『最強戦闘機紫電改』166頁
  68. ^ 『最強戦闘機紫電改』146頁「『紫電改』と特攻作戦」
  69. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』14頁
  70. ^ a b c d e f 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』30頁
  71. ^ 碇義朗『最後の戦闘機紫電改』265頁
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  76. ^ 碇『紫電改の六機』45頁「紫電改浮上」
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  87. ^ 『最強戦闘機紫電改』10頁
  88. ^ 『最強戦闘機紫電改』116頁
  89. ^ 『最強戦闘機紫電改』138頁
  90. ^ 『最強戦闘機紫電改』124頁「『戦闘馬力』と最大速度」
  91. ^ 『最強戦闘機紫電改』117頁。古峯文三「決戦戦闘機『J改』完成への軌跡」
  92. ^ 碇義郎『最後の戦闘機紫電改』125頁
  93. ^ a b 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』71頁
  94. ^ 『最強戦闘機紫電改』138頁 山本久重「紫電改操縦法」。
  95. ^ 『最強戦闘機紫電改』108頁。菊原静男、元川西航空機設計課長談。
  96. ^ 『最強戦闘機紫電改』57頁
  97. ^ 碇義朗『最後の戦闘機紫電改』263頁、田中の証言。但し田中はF4UではなくF6Fとしている。
  98. ^ 『最強戦闘機紫電改』110頁。菊原静男、元川西航空機設計課長談。
  99. ^ 碇義朗『最後の戦闘機紫電改』269-270頁
  100. ^ 『世界の傑作機No.124 強風、紫電、紫電改』80頁
  101. ^ 碇『紫電改の六機』313頁「散り行く勇者」
  102. ^ 宮崎勇『還って来た紫電改 紫電改戦闘機隊物語』190頁「沖縄特攻の血路」
  103. ^ 世良光弘『坂井三郎の零戦操縦』170頁
  104. ^ 『最強戦闘機紫電改』164-165頁
  105. ^ 『最強戦闘機紫電改』168頁
  106. ^ 『最強戦闘機紫電改』164頁
  107. ^ 日本語版=1970年鶴書房刊--湯浅謙三訳・野沢正監修『第2次大戦戦闘機』


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