博物学 日本と博物学

博物学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 05:07 UTC 版)

日本と博物学

本草学

『大和本草』(国立科学博物館の展示)
虫豸帖(夏帖)増山雪斎東京国立博物館
岩崎灌園『本草図譜』のワサビ

日本では奈良時代以来、本草学に関する書物が読まれており、10世紀には『本草和名』という、本草の和名を漢名と対比した書物が編纂された。

江戸時代には、1607年の『本草綱目』の輸入をきっかけに本格的な本草学研究が興った。この本草綱目を入手した徳川家康もこの年から本格的な本草研究を始めている[3]林羅山1612年に『多識篇』を著わし、『本草綱目』を抄出した。以後さらに研究が進められ、『大和本草』(1708年)を著わした貝原益軒や、田村藍水などの著名な本草学者が活動した。1738年には稲生若水が『庶物類纂』を編纂した。小野蘭山らは採薬使として各地の自然物を採集した。藍水門下の平賀源内は、物産会を開いたり、石綿鉱山の殖産に携わったりした。

江戸時代中後期には、色鮮やかな図譜(図鑑博物画)の制作も盛んになった。すなわち、魚介類・鳥類・植物などを『~図譜』『~譜』と題した書物にまとめることが流行した。図譜の多くは美術的にも評価が高い[4]。図譜はまた、実在する動植物だけでなく河童などの妖怪を扱うことも多いため、妖怪研究の要素ももつ[5]。図譜は徳川吉宗増山正賢ら、各地の殿様たちの命令で作られることが多く、ときには殿様自身が制作に携わることもあった[6][7]

杉田玄白らによって蘭学が成立すると、ヨーロッパから渡ってきた博物学書の翻訳が行われた(翻訳自体は、その一世代前の野呂元丈がすでに行っていたが、これは一般に広まらなかった)。大槻玄沢司馬江漢がオランダ渡りの図鑑をいくつか翻訳して公刊した。博物学書の知識は、幕府が危険視するような思想性が薄く実用的な知識でもあったため、積極的に受容され、本草学にも影響を与えた。

江戸時代には、以上のような本草学だけでなく、古典園芸植物の研究や、『詩経』や『万葉集』に出てくる動植物の同定(名物学)も流行した。また、寺島良安が図解百科事典『和漢三才図会』を著したり、木内石亭佐藤中陵が石の分類体系を構築したり[8]木村蒹葭堂イッカクの角を研究したりした。

西洋の博物学の移入

日本は島国であり、地形の起伏に富むため、固有種が多い。そのため大航海時代以降、ヨーロッパの学者は日本の動植物の研究を希望していたが、当時日本は鎖国政策を取っていたため入国ができなかった。そのようななかで、わずかにオランダ商人だけが出島への寄港を許されていたので、彼らに混じってやってきた学者たちがいた。代表的なのは「出島の三学者」と呼ばれるケンペルツンベリーシーボルトである。彼らはいずれもオランダ人ではなかった。

この出島の三学者によって、西洋の博物学の手法が日本に紹介された。ケンペルは出島に薬草園を作った。ツンベリーはリンネの弟子であり、多数の植物を採集し、また中川淳庵桂川甫周らに植物標本の作成法を教授した。シーボルトは動植物のみならず日本の文物を大量にオランダに送った。その中のひとつであるアジサイの一種を、日本での妻タキにちなんで「オタクサ(おタキさん)」と名付けた。

幕末の黒船来航の際には、博物図鑑の大著『アメリカの鳥類』が幕府に献上された[9]開国後には、ロバート・フォーチュンら多くのプラントハンターが日本に訪れた。

明治に入ってから、伊藤圭介田中芳男お雇い外国人モースらによって、博物学が正式な形で日本に移入された。また、明治以降は上述のアマチュア博物学も盛んになった。とりわけ華族皇族が博物学に打ち込んだ[7]昭和天皇#生物学研究明仁#科学者として)。

日本博物学史の研究

以上のような日本博物学史の詳細な研究は、1970年代頃から始まった[4]。初期の主な研究者として、上野益三木村陽二郎磯野直秀西村三郎荒俣宏らがいる。


  1. ^ 木場, 貴俊『怪異をつくる 日本近世怪異文化史』文学通信、2020年、100f頁。ISBN 978-4909658227 
  2. ^ 河原啓子『芸術受容の近代的パラダイム:日本における見る欲望と価値観の形成』美術年鑑社、2001年、30頁。 
  3. ^ 宮本義己「徳川家康と本草学」(笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年)
  4. ^ a b 今橋 2017, p. 序章 「花鳥画」研究への新たな光.
  5. ^ 水虎考略 - 岩瀬文庫コレクション
  6. ^ 殿様の博物学 | コラム | 描かれた動物・植物”. www.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2020年10月7日閲覧。
  7. ^ a b 科学朝日編、磯野直秀ほか著『殿様生物学の系譜』朝日新聞社、1991年。 
  8. ^ 荻野, 慎諧『古生物学者、妖怪を掘る』NHK出版NHK出版新書〉、2018年。ISBN 978-4140885567 (第二章四節「奇石考『雲根志』『怪石志』を読む」)
  9. ^ 今橋 2017, p. 終章 海を渡った禽鳥帖―西欧と江戸時代博物図譜.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「博物学」の関連用語

博物学のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



博物学のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの博物学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS