テレビ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 08:51 UTC 版)
当記事では、前半で主に光学像および音響を伝送し再現するしくみ(電子的システム)とその歴史について解説し、後半でテレビジョン産業、媒体としてのテレビジョンの性質や人々に与える影響、視聴傾向などについても説明する。
概説
主に放送(テレビジョン放送)、遠隔監視、テレビ電話などに利用されている。
日本の電波法では「テレビジョン」は「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている[4]。放送法ではテレビジョン放送は「静止し、又は移動する事物の瞬間的影像及びこれに伴う音声その他の音響を送る放送(文字、図形その他の影像(音声その他の音響を伴うものを含む。)又は信号を併せ送るものを含む。)」と定義されている[5]。
語源
「テレビジョン」は直接的にはフランス語のtélévision(
原理、必要な装置や施設
原理としては電送写真(ファクシミリ、FAX)と似ており、走査によって光学像と電気信号を相互に変換する技術を用いる[1]が、ファクシミリが1枚の画像を伝送するのに数十秒ほどの時間をかけるのに対して、テレビジョンは人間の視覚の残像の性質(を利用して像が動いているように見せること)を考慮すると、光学像を1秒間に50〜60枚ほど伝送しなければならない[1]。送信側では、光学像を電気信号に変換する装置(ビデオカメラ)が、受信側では、電気信号を光学像に変換して表示する装置(代表的なものでは液晶パネルやブラウン管など)が必要である[1]。送信側と受信側ではそれぞれ、分解走査と組立走査が行われるが、何らかの方法で同期をとらなければ正しく送受信できない。
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テレビカメラによる屋外撮影
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テレビの中継車。カメラの映像をまず放送局へと送信するための衛星アンテナを備えている。
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テレビ・スタジオ
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編集室
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テレビ放送のコントロール・ルーム
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テレビ放送の送信機
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テレビの送信アンテナ
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各家庭に設置された受信アンテナ群
伝送方法の基本と多様化、組織から個人、一方向から双方向
伝送方式については基本的には無線方式や有線方式(ケーブルテレビや有線の監視テレビ)がある。
21世紀からはインターネット経由で信号を伝送する方式(インターネットテレビ)も盛んに用いられるようになっている。テレビ局などの組織が一方向的にテレビジョン放送するだけでなく、個人がテレビジョンのコンテンツをネットワーク経由で公開したりリアルタイム放送したり、個人間で双方向的にテレビジョンを使うようになっている。具体的に言うと、2000年ころからインターネットのブロードバンド化つまり高速化が進み、2010年代にはYouTubeが普及し、個人がカメラで光学像の撮影・録音および編集を行いネットワーク上で不特定多数の人々に公開したり、個人がその瞬間の様子をリアルタイム撮影して放送すること(ライブ配信)もさかんに行われるようになっている。
テレビジョンに必要な要素を備えたパソコン、スマートフォン、タブレット端末が急速に普及したことで、テレビジョン技術を双方向に利用し個人と個人がテレビジョンで互いの姿を見つつ会話をすること(テレビ電話)や会議・打ち合わせを行うこと(テレビ会議・ビデオ会議)も気軽に行われるようになっている。
テレビの歴史
開発史
19世紀
- 1873年 - イギリスで明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝える装置=テレビジョンの開発が始まる。
- 1875年 - アメリカ合衆国のジョージ・ケリー、並列式の機械式走査の概念を提案。
- 1877年 - アメリカ合衆国のウィリアム・ソーヤー、直列式の機械式走査の概念を提案。
- 1884年 - ドイツのパウル・ニプコウ、直列式の機械式走査を実現する「ニプコー円板」の発明。
- 1896年 - イタリアのグリエルモ・マルコーニが電波を使って、3キロメートル離れた地点間でモールス信号の無線通信実験に成功(無線電信参照)。
- 1897年 - ドイツのフェルディナント・ブラウン、陰極線管であるブラウン管の発明。
20世紀
- 1907年 - ロシアのボリス・ロージング、ブラウン管によるテレビ受像機を考案し特許出願。
- 1908年 - イギリスのキャンベル・スウィントン、撮像側にも陰極線管を使った電子式走査法の概念を科学雑誌『ネイチャー』に発表。全電子式テレビジョンを示唆。
- 1911年 - ロシアのボリス・ロージング、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開。撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管をそれぞれ用いた。簡単な図形の輪郭の受像に成功。しかし実用レベルの受像に至るには撮像側の電子化が求められ、映像を電気信号に変換する撮像管の開発や、映像信号を増幅する真空管の発達を待たねばならなかった。
- 1923年 - 浜松高等工業学校の高柳健次郎が電子式走査方式の研究を開始[6]。同時期にアメリカでツボルキンも電子方式のテレビ開発を始めたが互いに全く相手のことを知らなかった[6]。
- 1925年 - スコットランドのジョン・ロジー・ベアード、機械式テレビジョンの開発。撮像と受像に機械式のニプコー円板を用いた。見分けられる程度の人間の顔を送受信することに成功。
- 1925年 - アメリカ合衆国のチャールズ・フランシス・ジェンキンスが機械式テレビの画像を8キロメートル離れた地点間で無線送受信する公開実験を行う。
- 1926年1月 - スコットランドのジョン・ロジー・ベアード、ロンドンの王立研究所で動く物体の送受信の公開実験に成功。
- 1926年 - 早稲田大学の山本忠興や川原田政太郎が機械式のテレビジョンの研究に着手[6]。
- 1926年12月25日 - 高柳健次郎が世界初の電子式テレビ受像機を用いて「イ」の字を表示させることに成功[6]。
- 1927年 - アメリカ合衆国のフィロ・ファーンズワース、世界初の撮像管「イメージディセクタ」による映像撮影に成功。ブラウン管に「$ $」を表示。同年、撮像・受像の全電子化が達成される。
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- 1928年 - イギリスのジョン・ロジー・ベアード、カラーテレビの公開実験に成功。
- 1930年 - 山本忠興と川原田政太郎が機械式テレビの公開実験に成功[6]。同30年に山本はこの発明により十大発明家の一人として宮中賜餐の栄に浴した。
- 1931年7月 - 川原田らは早稲田大学戸塚球場にて行われた同学野球部の試合を、理工学部実験室まで送信することに成功した。これが世界初の屋外実況中継となる。
- 1933年 - アメリカのウラジミール・ツヴォルキンが、自身開発のアイコノスコープで野外の景色を撮像することに成功[7]。
放送史
欧米
- 1928年 - アメリカ合衆国のWGY(現在のWRGB)がテレビ実験放送開始。
- 1929年 - イギリスの英国放送協会(BBC)、ドイツの国家放送協会がテレビ実験放送開始[7](以降、特記のない限り白黒テレビ)。
- 1931年 - アメリカへ亡命したロシアのウラジミール・ツヴォルキン、電子走査式撮像管「アイコノスコープ」を考案し特許出願。
- 1932年 - 8月、イギリスBBCで世界初の定期試験放送(機械式、週4日)開始。正式開局は1936年。
- 1934年 - 11月、ソビエト連邦がテレビ試験放送を開始。
- 1936年 - ドイツでベルリンオリンピックのテレビ中継が行われる。
- 1936年 - ハンガリーのティハニィ・カールマン、プラズマテレビの原理を示す。世界初のフラットディスプレイの概念。
- 1939年 - アメリカ合衆国のNBC[7]、ソビエト連邦の国営放送がテレビ定時放送を開始。
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- 1951年 - アメリカCBSが、独自規格(CBS方式)のカラーテレビ放送を開始[9]。
- 1953年 - 12月、アメリカ合衆国におけるカラーテレビ放送標準規格がNTSC方式に統一[8]。
- 1954年 - 1月23日、アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。
- テレビは、神からのクリスマス・プレゼントだ。われわれは、このプレゼントを手にして娯楽のことばかりを考えるのではなく、人類の善意と地上の平和のことを、そして、それにいかに役立てるかをも考えなければならない。テレビを通じて、いかにひとびとの蒙を啓き、偏見を根絶し、理解を深めるかに心くだかなければならない。テレビこそ、その未来を開いてくれるだろう。 — 有馬哲夫、『テレビの夢から覚めるまで アメリカ1950年代テレビ文化社会史』(1997年/国文社)
- 1956年 - アンペックス社、白黒2インチVTR1号機「VR-1000」を発表。3年後にはカラーVTRの発表に至る[9]。
- 1962年 - 12月13日、通信衛星「リレー1号」打ち上げ成功[9]。後述の日米衛星中継試験に用いられた。
- 1965年 - イギリスがカラーテレビ放送標準規格としてPAL方式を採用[9]。
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- 1967年 - フランスがSECAM方式によるカラー放送開始[9]。
- 1984年 - フランスで世界初の有料多チャンネル放送Canal+がサービス開始[9]。
- 1988年 - 9月より、BBCがDVB-T形式による世界初のデジタルテレビ放送試験放送を開始。
- 1995年 - 7月、デジタルテレビ放送等のための映像・音声データ圧縮フォーマット基準MPEG-2が策定される[9]。
- 2009年 - 6月12日、アメリカ合衆国でほとんどのNTSC方式の放送停止。ATSC方式デジタルテレビ放送へ全面移行[8]。
フランス
上節ではヨーロッパ諸国とアメリカをごちゃまぜにして年表風に列挙したが、当時は現在のようにEUがあったわけではなくヨーロッパといっても国ごとに施策は異なっていたので、この節では一国の中だけで起きたことを時系列で、フランスを例にとり説明する(日本一国の中だけの出来事の説明は次の節で詳説するので、ここではまずフランス一国内の出来事についてまとめて理解できるように簡潔に説明する)。
フランスでは1931年4月14日に電波で行うテレビ送受信のフランス初の実演が行われた。それまでは有線での実演は行われたことはあったが電波を使うテレビの実演をするのはフランスでは初めてだった[12]。この実演を行ったのはフランスの技術者ルネ・バルテレミ(fr:René Barthélemy)であり、800名の招待客を前にして2キロメートルほど離れた場所からマラコフ電気高等学校とモンルージュにある会社の研究所の間で映像を伝えた。1931年12月6日にはアンリ・ド・フランス(fr:Henri de France)がテレビ放送会社 ラ・コンパニ・ジェネラル・ドゥ・テレヴィジオン(la Compagnie générale de télévision )社(CGT)を設立。1932年12月にはルネ・バルテレミがテレビカメラを発明し実験的な白黒放送番組「Paris Télévision」を毎週1時間放送し、これを受信するためのテレビ受像機がおよそ100台ほど用意された。そのほとんどは公開用テレビ受像機つまり個人が所有するものではなく公共の場に設置して皆で観るものだった。1935年4月26日にはフランスで初の公式テレビ放送を開始するとの宣言が当時のフランス郵政大臣のジョルジュ・マンデル(fr:Georges Mandel)によって行われた。1935年11月17日には(前述の技術者)バルテレミが走査線の数を180本まで増やし解像度を上げるのに成功し、放送用送信機をエッフェル塔の先端に設置。1937年1月4日には毎晩20時から20時半のテレビ放送(レギュラー放送)が開始され、数百台のテレビ受像機が個人宅に設置された。
日本
1940年代以前
- 1931年 - 日本放送協会(省略NHK)放送技術研究所でテレビの研究開始。
- 1932年 - 早大式は有線から無線電波式に改良された。
- 1933年 - 早大式に日本放送協会から多額の研究資金が提供され、同年秋に日本最初のテレビジョン研究室が同大学構内に建設された。
- 1934年 - この年の1月12日付の新聞で山本は「将来的に映画に匹敵する画質」「生中継ではなく、撮影を行い、適宜に編集を行った上で放送するようになる」と発言している。
- 1935年3月 - 5月まで横浜で開催された関東大震災復興記念横浜大博覧会にて、逓信省電気試験所の曽根有(山本忠興門下)らが開発したテレビジョン電話試作機が展示された。テレビ電話の先駆けとなるこの機械は、双方の視線をちゃんと合わせる改良が施された後、1937年以降は大阪市立電気科学館に設置された。
- 1937年 - この頃から高柳がNHKに出向し、1940年に予定されていた東京オリンピックを見据えてのブラウン管式テレビジョン研究に参加する。
- 1939年 - 3月に日本でNHK放送技術研究所によるテレビ実験放送開始。5月13日には公開実験[13]。
- 1940年 - 4月13日、日本初のテレビドラマ「夕餉前」の実験放送。東京オリンピックは日中戦争激化の影響などを受けて中止となり、テレビジョン研究は中止され、技術者は無線通信やレーダーの開発を求められた。
- 1945年 - 敗戦直後、日本のテレビ研究がGHQにより禁止される[14]。
- 1946年 - 高柳は弟子らと共に日本ビクターに入社しテレビジョンの研究を続けた。7月、テレビ研究禁止令が解除され、11月よりNHKが研究を再開した[14]。
- 高柳が中心となりNHK、シャープ、東芝と共同でテレビジョン放送技術とテレビジョン受像機を開発した(後述)。
1950年代
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- 1950年 - 5月、電波法・放送法・電波監理委員会設置法の「電波3法」施行。
- 1951年 - GHQの要請により電波監理委員会メンバーが視察のため渡米[14]。その後、アメリカから3人のコンサルタントが来日。軍事戦略のひとつとして占領国でのテレビ放送利用を重要視していたアメリカの圧力によりアメリカ式(NTSC方式)の技術標準が日本で採用される[14]。
- 1952年 - 松下電器産業(パナソニックの前身)が日本初の民生用テレビを発売[15]。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年 - 4月、電電公社の整備による放送用無線中継回線が開通。
- 1955年 - 4月1日、ラジオ東京テレビ(コールサインJOKR-TV)がテレビ放送開始。ラジオ局として発足した放送局による初のテレビ放送開始。TBSテレビの前身。
- 1956年 - 12月、NHKのカラーテレビ実験放送開始(UHF帯を使用)[17]。
- 1957年 - 12月28日、NHK東京・日本テレビがカラー試験放送開始(VHF帯を使用)。
- 1958年
- 1959年
- 1月10日 - NHK教育テレビジョン開局。
- この時期、教育放送局、準教育放送局として開設される民間放送局が相次いだが、いずれものちに総合放送局に改組している。
- 前年1958年からこの年にかけて多くのテレビ局が開設され、4月10日の皇太子明仁親王御成婚の中継特別番組をきっかけにテレビ受像機が一般家庭に普及し始める。
- 8月1日 - 上記の特別番組制作をきっかけにKRTなど16局がJapan News Network(JNN)を形成。日本初のニュースネットワーク[21](これ以外のネットワーク成立史についてはニュース系列#歴史参照)。
- 1月10日 - NHK教育テレビジョン開局。
1960年代
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- 1960年 - 9月10日から、カラーテレビ本放送開始(NHK東京・大阪の総合・教育両テレビ、日本テレビ、TBS、読売テレビ、朝日放送)。これに合わせ、東京芝浦電気(のちの東芝)[22]と日立製作所、松下電器産業[23]が国産カラーテレビを発売。
- 1961年 - 映画会社の新東宝倒産にともなってフィルムが放送業界に売り払われ、9月頃から順次テレビ放映される。事実上の六社協定(五社協定)の緩和[24]。
- 1963年
- 4月16日 - 放送批評懇談会が発足。
- 9月 - 難視聴地域共同受信施設設置事業者の郡上八幡テレビが独自制作の番組を放送開始。日本初のコミュニティチャンネルとされる。
- 11月23日 - 衛星中継回線を用いた初の日米同時放送(左記の日付は日本標準時)。アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの演説を放送する予定だったが、中継直前に起きたケネディ大統領暗殺事件を伝えるニュース速報に差し替えられた[25]。
- 1966年 - 3月、全国のすべてのテレビ局が回線上でカラー番組をやり取りできる態勢が確立[26]。
- 1968年 - 2月20日、日本初のUHF局であるNHK徳島教育テレビが本放送開始[27]
- 1969年 - 日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になる。
1970年代から1990年代
- 1970年 - NHK、東京と大阪でNHK UHFテレビ実験局を開設、UHFテレビ放送の試験運用を開始(1975年4月まで)。
- 1972年 - 有線テレビジョン放送法が成立。このあと、全国各地でケーブルテレビ会社の設立が相次ぐ。
- 1973年
- 1978年
- 1982年 - エプソンがテレビ付き腕時計「テレビウオッチ」を開発。
- 1983年 - エプソンが液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」を開発。世界初のTFT液晶テレビ。
- 1984年 - 1月23日、放送衛星ゆり2号a打ち上げ成功[29]。
- 1985年 - 11月29日、文字多重放送の本放送が開始[30]。
- 1989年 - 6月1日、「ゆり2号a」を用いたNHK衛星テレビジョン(NHK-BS)が本放送を開始。日本初の衛星放送。
- 1990年 - 11月30日、日本初の民間衛星放送局である日本衛星放送(JSB・WOWOW)が「ゆり3号a」を用いて試験放送を開始。翌年4月1日より有料の本放送を開始[31]。
- 1992年 - 通信衛星を用いた初の「CS放送」として、5月に「SUPERBIRD B1」によるスカイポートが、10月に「JCSAT-2」によるCS BAANが、相次いで専門チャンネルの有料本放送を開始[32]。
- これ以降の衛星放送の歴史については日本における衛星放送#歴史参照。
2000年代以降
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F2%2F28%2FVictor_Flat_Vision_AV-28AD1.jpg%2F200px-Victor_Flat_Vision_AV-28AD1.jpg)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Ff%2Ff3%2FToshiba_Regza_S_Series.jpg%2F200px-Toshiba_Regza_S_Series.jpg)
- 2003年 - 12月1日11時00分、東京、名古屋、大阪を中心にISDB-T方式による地上デジタルテレビ放送を開始。
- 2006年 - 4月1日11時00分、移動体受信機向けの地上デジタルテレビ放送、通称「ワンセグ」が29都府県で開始。
- 2011年 - 7月24日12時00分、東日本大震災の被災3県(岩手、宮城、福島)を除く44都道府県で地上アナログ放送終了。
- 2012年 - 3月31日12時00分、岩手、宮城、福島のアナログ放送が終了。日本全国でテレビ放送の完全デジタル化が完了し、1926年の開発開始から86年の歴史に幕を閉じた。
- 2015年
- 7月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)などが一部時間帯でインターネットサイマル配信・エムキャスを開始。
- 10月26日 - 在京民放キー局5局によるインターネットでの番組見逃し配信サービス、TVer開始。
- 2016年 - 4月11日、サイバーエージェントとテレビ朝日の出資によるインターネットテレビ、AbemaTV開局。
- 2018年 - 12月1日、放送衛星による4K 8Kテレビ放送開始。
- 2020年
- 3月1日 - NHKのインターネット常時同時サイマル配信サービス、NHKプラス開始。
- 10月3日 - 日本テレビ系列が一部時間帯でインターネットサイマル配信・日テレ系ライブ配信(現・日テレ系リアルタイム配信)を開始。
注釈
出典
- ^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典【テレビジョン】
- ^ マイペディア【テレビジョン】
- ^ a b c Merriam Webster, definition of television
- ^ 電波法施行規則2条1項22号
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