開発と地域摩擦とは? わかりやすく解説

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開発と地域摩擦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:37 UTC 版)

利根川」の記事における「開発と地域摩擦」の解説

足尾鉱毒事件沼田ダム計画八ッ場ダム中止したダム事業の項目も参照利根川河川開発により、流域住民恩恵受けた一方で開発に伴う様々な犠牲や、流域住民さらには自治体間の対立など問題生じた現在の埼玉県熊谷市付近に1592年天正20年建設開始され中条堤は、従来からあった自然堤防増築するなどして形成され堤防である。この堤防はいくつかの堤防連携し洪水の際は堤防上流部貯水行いその後水位低下するとともに自然に利根川へと流出する遊水池役割も果たす機能有する。その洪水調節量毎秒4,000m3と現在の利根川上流ダム群匹敵する処理能力持ち容量超えた分は越流堤を介して方面へ流す。このため堤防を境として上流部の上郷地区、下流下郷地区では堤防運用について利害相反し常に対立していた。すなわち上郷地区では中条堤の高さをできるだけ低くして洪水被害避けたいとする一方下郷地区では逆に高くして洪水被害避けよう考えたため、堤防決壊後の修復では激しく対立した江戸時代には幕府絶対的統制下で両地区合同中条堤組合作られ対立最小限食い止められたが明治入り中央の統制力弱まると、中条堤替わる新堤建設求め上郷と堤の維持強化求め下郷激しく対立遂に警官隊住民衝突埼玉県知事不信任決議埼玉県議会採択されるなどの事態発展した最終的に内務省利根川改修計画一環として今日見られる連続堤防方式での治水計画による改修行ったことにより事態収拾されたが、高度な治水機能有していた中条堤機能はこれにより損なわれた。また利根川改修増補計画以降挙げられていた小貝川付替計画は、新河道のルートとなる北相馬郡布川町現在の利根町)を中心に猛烈な反対起こり1953年昭和28年11月には取材来ていた朝日新聞読売新聞毎日新聞などの記者団大勢地元住民によって暴行監禁される事件発生最終的に1980年昭和55年)の治水計画改訂時に付替計画廃止され堤防補強を行うことになった一方ダム遊水池建設に伴う住民移転などの犠牲河川事業拡大に伴い増加した渡良瀬遊水地当初治水加え足尾鉱毒事件鉱毒対策として計画されたが、建設予定地に擬された栃木県下都賀郡谷中村現在の栃木市)の約300世帯移転させる事態となり、田中正造らの反対運動起こった結局土地収用法による強制執行などの手段も駆使した結果村民各所散り谷中村廃村となった。また戦後利根川改定改修計画計画され藤原ダムでは建設省地元住民了解得ず工事開始したことに水没住民態度硬化群馬県仲裁新しく赴任したダム工事事務所長の誠意ある態度により軟化するまで激し反対闘争ひき起こした。片品川薗原ダムでも老神温泉一部水没するなどしたため反対運動激化当時蜂の巣城紛争として日本全国知れ渡った松原筑後川)・下筌ダム津江川反対闘争並び「東の薗原、西の松原・下筌」と表現された。さらに、1952年昭和27年)に計画発表され吾妻川八ッ場ダムも、川原湯温泉水没地元猛反発し、数十年にわたり計画停滞2020年令和2年)に完成するまで述べ68年に及ぶ長期化事業となった。そして利根川上流ダム群中核されていた沼田ダム計画は、水没世帯数2,200世帯という類例のない規模となることから水没予定地の沼田市のみならず群馬県反対1972年昭和47年第1次田中角栄内閣により計画断念された。こうした水没地域への生活保護対策として1973年昭和48年水源地域対策特別措置法施行され川治ダムなど が指定対象となり補償金かさ上げ地域開発などが行われたほか下流受益地の都県からの拠出金により財団法人利根川荒川水源地域対策基金1976年設立され水没地域対す助成が行われている。 他方広域河川開発に伴う受益地同士による利害対立顕在化した。利根川改修増補計画登場した利根川放水路計画カスリーン台風被害深刻だった東京都埼玉県強く推進したのに対し手賀沼印旛沼などの開発支障を来たすことを懸念した千葉県との間で意見の相違があり、用地買収莫大な事業費捻出問題もあり事業進展しなかった。そのうち放水路建設予定地宅地化農地化が高度になされて放水路建設極めて困難となり、現在まで未着となっている。また尾瀬ダムより利根川水系分水する尾瀬分水計画ダム計画自体環境破壊対す厚生省現在の厚生労働省)、文部省現在の文部科学省)、日本自然保護協会反対に加えて只見川および合流先である阿賀野川慣行水利権を持つ福島県新潟県分水反発分水求め東京都など一都五県激しく対立し福島・新潟県側には他の東北五県が加担して尾瀬分水関東地方東北地方政治問題発展した。この問題1996年平成8年)に事業者である東京電力尾瀬水利権放棄したことで終息する。 1990年代以降環境保護公共事業対す厳し日本国民視線もあり、ダム事業始めとする河川開発批判対象となったこうした中で第2次橋本内閣による大規模公共事業縮小第1次小泉内閣の「骨太の方針」により利根川水系でも戸倉ダム計画片品川)など多くダム事業中止された。そして2009年平成21年)の第45回衆議院議員総選挙大勝した民主党マニフェストに「八ッ場ダム中止」を盛り込み発足した鳩山由紀夫内閣国土交通大臣前原誠司八ッ場ダム中止だけでなく計画・建設中の国土交通省直轄ダム事業凍結発表した。しかしこの方針に下流受益地である東京都など一都五県知事のみならずダム建設予定地である吾妻郡長野原町川原湯温泉組合猛反発し、民主党政権対立する状況陥った。また高規格堤防スーパー堤防)について2010年平成22年)の事業仕分け廃止決定されたが、これに石原慎太郎東京都知事が「必要」と異論唱えており、事実2019年10月発生した令和元年東日本台風にて、埼玉県久喜市栗橋水位観測所で過去堤防決壊させたカスリーン台風超える水位流量記録され各所越水寸前となり利根川周辺地域広範囲避難指示出された。 2008年平成20年)に内閣府中央防災会議発表した資料によればカスリーン台風と同じ洪水被害発生した場合最悪死者最大3,800人、罹災者数は160万人上る推測している。このため河川工学専門家からは「八ッ場ダムなどの治水公共事業は必要」とする意見も多い。他方市民団体八ッ場ダムなどの事業負担金差し止め訴訟起こし係争している。河川事業対す多様な意見政府の方針転換などもあり、日本最大級河川における治水・利水事業岐路迎えている。

※この「開発と地域摩擦」の解説は、「利根川」の解説の一部です。
「開発と地域摩擦」を含む「利根川」の記事については、「利根川」の概要を参照ください。

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