開発と宅地化の進行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:22 UTC 版)
「大将軍 (京都市)」の記事における「開発と宅地化の進行」の解説
昭和戦前期になると人口増を背景に第二衣笠尋常小学校が開校(1931年)し、さらに地区の西側に西大路通が開通(1939年)して市電西大路線が敷設されると、大将軍地区の市街地化・宅地化はいっそう進行した。戦後の1955年の北区新設で同区に編入され、1960年には町名の改正により現在の7町が設置された。宅地化が進む反面、戦前から立地していた京都工芸繊維大学の繊維学部キャンパスが1968年、京都府立医科大学の教養(医学進学課程)キャンパスが2014年に移転のため廃止されるなど、文教地区としての性格はやや薄まり、住宅地中心の町となっている。
※この「開発と宅地化の進行」の解説は、「大将軍 (京都市)」の解説の一部です。
「開発と宅地化の進行」を含む「大将軍 (京都市)」の記事については、「大将軍 (京都市)」の概要を参照ください。
- 開発と宅地化の進行のページへのリンク