開発と変遷
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「緑が丘 (八千代市)」の記事における「開発と変遷」の解説
東葉高速線の開業にあたり、当地域周辺で区画整理が計画された。区画整理区域は東葉高速線の駅より北東部を中心に駅周辺(西八千代東部)と、駅より北西部から北部にかけて(西八千代北部)に分けられた。そのうち当地域にあたる「西八千代東部土地区画整理事業」が1988年に開始。公園都市通りを軸に道路の整備も進み、9年後の1997年に終了した(事業解散は翌年の6月19日)。のちに北東部の住宅街はほぼ埋まり、南西部で住宅建設が盛んに行われている。高層マンションの整備も野村不動産が主体となって手掛け、「カムザスクエア八千代緑が丘」が1996年(エスタシオン)・1997年(タワーズ)に完成。これを皮切りとして近隣に複数のマンションが建てられた。その一方で東葉高速線の開業は、土地買収の不調や手抜き工事によるトンネル崩落など問題が多く、1996年4月27日までずれ込んだ。 東葉高速線の北側の開発が落ち着き、南側の開発に着手した。公園都市通り沿いに商店などが整備されるとともに、2002年には駅南東部に大規模マンション「リーセントヒルズ」、2005年にはイオン八千代緑が丘ショッピングセンターが竣工。これにより買い物客が周辺地域より集まるようになり発展し、それとともに当地域が脚光を浴びることとなった。ちなみにこれらも野村不動産が分譲したものであるが、その後立地や商圏など高評価を受けたため日本リテールファンド投資法人へ売却された。 「西八千代北部土地区画整理事業」は東部の後を追い2002年に開始したが、暫くは実質的な動きはあまり見られなかった。2008年より本格的に整備が開始され、現在は駅北西部・北部から当地域の境界にかけ道路の整備が盛んに行われている。 また2009年9月1日より八千代緑が丘駅北口で「パークタワー八千代緑が丘」(事業主:三井不動産)の建設が始まり、2012年に竣工。高さ101.3m(地上31階、地下1階)で八千代市内最高層となった。 1988年(昭和63年)1月12日 - 西八千代東部土地区画整理事業認可。 1996年(平成8年)4月27日 - 東葉高速線開業。当地域に八千代緑が丘駅が設置される。 1996年(平成8年)6月30日 - 「カムザスクエア八千代緑が丘エスタシオン」竣工(敷地面積4,771.17m²、13階建て、竹中工務店・五洋建設施工)。 1997年(平成9年)2月18日 - 「カムザスクエア八千代緑が丘タワーズ」竣工(敷地面積8,516.28m²、26階建て、藤木工務店・大林組施工)。 1997年(平成9年)11月14日 - 西八千代東部土地区画整理事業換地処分。 1998年(平成10年)5月16日 - 大和田新田から分離し「緑が丘」となる。 1998年(平成10年)6月19日 - 西八千代東部土地区画整理事業解散。 2002年(平成14年)1月18日 - 西八千代北部土地区画整理事業認可(ちなみに都市計画決定は1998年9月11日)。 2002年(平成14年)3月15日 - 「リーセントヒルズ」竣工(敷地面積24,111.36m²、15階建て、浅沼組・熊谷組施工)。 2005年(平成17年)3月 - イオン八千代緑が丘ショッピングセンター竣工(開業は4月2日)。 2012年(平成24年)3月31日 - 「パークタワー八千代緑が丘」竣工。
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