大会経過
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「1921年オーストラレーシアン選手権」の記事における「大会経過」の解説
初期の全豪選手権のように、外国人出場者が少なかった時期は、地元オーストラリア人選手の国旗表示を省略する。
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大会経過
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「2006 FIFAワールドカップ日本代表」の記事における「大会経過」の解説
日本はグループリーグF組に入り、大陸間プレーオフでウルグアイを破り、32年ぶりの出場となったオーストラリア、フランス大会でも顔合わせしたクロアチア、前回大会覇者のブラジルと対戦した。この組ではブラジルが別格であり、日本はブラジルと対戦する第3戦までに勝ち点・得失点差の目処を立てておく必要があった。 6月12日 グループF オーストラリア戦(カイザースラウテルン) 序盤から両チームが攻め合う展開となるが、前半26分に中村俊輔が上げたクロスボールをGKが捕球できず、そのままゴールに吸い込まれるというラッキーな形で日本が先制点を挙げた。後半に入りオーストラリアが前線に長身選手を投入してパワープレイを仕掛けてくると、日本は自陣ゴール前で耐える時間が続く。日本は何度か訪れたカウンターの絶好機を決めきれず、逆に後半39分にロングスローのこぼれ球をティム・ケーヒルに決められ同点に追いつかれた。集中の切れた日本は5分後、8分後にもゴールを許し、1-3で逆転負けした。 6月18日 グループF クロアチア戦(ニュルンベルク) ともに初戦を落とした負けられない者同士の戦いになった。日本は前半21分にPKを与えたが、GK川口のファインセーブでピンチを逃れた。逆に後半6分に加地亮がオーバーラップから決定機を作ったが、柳沢敦が至近距離のシュートを外してしまった。その後も両チーム無得点のままスコアレスドローに終わり、グループ最下位の日本が決勝トーナメントへ進出するためにはブラジル戦で最低でも「2点差以上の勝利」が必要となった。 6月22日 グループF ブラジル戦(ドルトムント) 3名のバロンドーラー(ロナウド、ロナウジーニョ、カカ(のちに受賞))擁するブラジルに対し、1分1敗と後のない日本は不振の2トップを入れ替え攻撃的なサッカーを展開した。ブラジルは既に2連勝でGS突破を確定させていた。前半34分、ゴール前に抜け出した玉田圭司が豪快なシュートを決めて先制。しかし、前半ロスタイムにロナウドに同点ゴールを許し、後半8分にはジュニーニョ・ペルナンブカーノに無回転ミドルシュートを決められ逆転される。その後も2点を追加され、1-4で敗れて2大会連続の決勝トーナメント進出はならなかった。 ブラジル戦から10日後の7月3日、中田英寿が現役引退を表明しブラジル戦がプロサッカー選手として最後の試合となった。
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大会経過
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「ラグビーワールドカップ2019 日本代表」の記事における「大会経過」の解説
ホスト国として挑んだワールドカップでは、予選プール・開幕戦においてロシアと対戦。序盤、日本のプレーには硬さが見られ、ハイパントの処理ミスからロシアに先制トライを許したが、松島幸太朗の2トライで逆転に成功し12-7で前半を終える。後半もピーター・ラピース・ラブスカフニと松島のハットトリックとなるトライなどで突き放した日本が30-10で快勝を収める。 2戦目はランキング2位(試合前時点)の強豪アイルランド戦は主将のリーチマイケルをリザーブに残し、ラブスカフニをゲーム主将とする陣容で挑んだ。前半にアイルランドに2トライを許したものの、田村優の3本のペナルティゴールで9-12と接戦に持ち込むと、後半に福岡堅樹のトライにより逆転し19-12で勝利。スクラムでアイルランドと互角以上に渡り合い、後半は無失点の堅守でアイルランドとの対戦において通算10戦目にして初勝利となった。 3戦目のサモア戦はリーチがスターターに復帰。前半はラファエレティモシーのトライなどで16-9でリードして折り返した。後半は54分にラインアウトモールから姫野和樹のトライでいったん突き放したが、72分にサモアもトライを返し7点差となった。しかし日本は75分に福岡、試合終了間際に松島がそれぞれトライを決め再度サモアを突き放し、合計4トライのボーナスポイントも得て38-19で3連勝を飾った。この時点でA組3位以内が確定し、次回2023年フランス大会の出場権を獲得。 予選プール最終戦となる4戦目は、前回大会で唯一敗れた強豪スコットランドと対戦。対戦前の勝ち点は日本14、スコットランド10であり、日本は勝利または引き分けなら無条件で、負けてもボーナスポイントの獲得状況によっては予選突破が決まる状況であった。試合序盤の6分にスコットランドに先制トライを許したが、日本は細かくパスを繋ぎ17分に松島のトライと田村のキックで同点。25分にはフィールド中央で堀江翔太、ジェームス・ムーア、ウィリアム・トゥポウが連続でオフロードパスをつなぎ、最後は稲垣啓太がそのまま中央でトライを決めて逆転。39分にもラファエレのキックパスを受けた福岡がトライを決め、前半を21-7とリードして終える。後半開始早々42分に福岡のトライで28-7とリードを広げたが、スコットランドも49分、54分に立て続けにトライを奪い28-21と7点差に迫った。しかしその後日本はスコットランドの猛攻を凌ぎ28-21で勝利。勝ち点19の予選プール1位通過で、史上初の決勝トーナメント進出を決めた。ティア2の国が予選プール全勝で1位となるのはワールドカップ史上初のことである。 準々決勝は10月20日にプールB2位の南アフリカと対戦。開始早々の4分に南アフリカが先制トライ。日本は20分に田村のペナルティキックで3点を返した。日本は30分ごろまで速い連続パスをつないで優勢に立っていたが、その後は徐々に南アフリカの反撃を受けて守勢にまわるようになった。しかし南アフリカの反則やミスもあり、前半はそのまま3-5と接戦で折り返した。後半に入っても日本の劣勢が続き、南アフリカの3本ペナルティキックで徐々に差をつけられると、さらに66分と70分の2本のトライで突き放された。日本は後半は得点を奪えず、3-26で敗れてワールドカップ初のベスト8で大会を終えた。 ワールドカップでの活躍を受けラグビー日本代表は空前のブームとなり、その年の流行語大賞にチームスローガンの「ONE TEAM」が選ばれ、紅白歌合戦では多くの日本代表選手がゲストに呼ばれ、会場とお茶の間でビクトリーロードを合唱した。
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大会経過
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「2018 FIFAワールドカップ日本代表」の記事における「大会経過」の解説
本大会前のテストマッチで日本は、ガーナ戦(5月30日)で0-2、続くスイス戦(6月8日)でも0-2と連敗を喫し先行きが危ぶまれたが、メンバーを入れ替えたパラグアイ戦(6月12日)では4-2で勝利し希望を繋いだ。この試合で活躍した香川真司・乾貴士・柴崎岳・昌子源らは本大会でもスターティングメンバーに選ばれた。 グループリーグで日本はグループHに入り、コロンビア(FIFAランク16位)、セネガル(同27位)、ポーランド(同8位)と対戦した。6月7日付FIFAランク 61位の日本にとって、すべてが格上との対戦となる。 6月19日 グループH コロンビア戦(サランスク) 初戦は4年前のブラジル大会グループC第3戦で対戦し、1-4と大敗したコロンビアとの再戦となった。開始早々、コロンビアの選手が決定機をハンドで阻止したとして一発退場になり、この反則で与えられたPKを香川が決めて日本が先制した。直接FKを決められ同点に追いつかれるが、試合後半は数的優位を活かして攻め込み、73分にCKを大迫勇也が頭で合わせて2-1と勝ち越し。ワールドカップ史上初めて、アジアのチームが南米のチームを破った歴史的な勝利となり、サランスクの奇跡と呼ばれた。。 6月24日 グループH セネガル戦(エカテリンブルク) 第2戦ではサディオ・マネ、カリドゥ・クリバリら名手擁するセネガルと対戦。セネガルは初戦でポーランドを破っていた。マネのゴールで先制を許すも、34分に乾の巧みなシュートで同点に追いつく。後半もセネガルに勝ち越されるが、78分に乾のアシストから途中出場の本田が同点ゴールを決めた(本田はワールドカップ3大会連続得点)。2度リードを許しながらも2-2の引き分けに持ち込み、勝ち点4でセネガルと並びグループ首位に立った。 6月28日 グループH ポーランド戦(ボルゴグラード) 第3戦では世界的FWロベルト・レヴァンドフスキ擁するポーランドと対戦。ポーランドは2連敗で既に敗退が確定していた。引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まる日本は、1・2戦からスタメンを6名入れ替えたが、59分にポーランドに先制される。その頃、同時刻に他会場で行われているセネガル×コロンビア戦でコロンビアが先制し、両会場ともこのままのスコアで終了すれば、日本が決勝トーナメントに進出する希望が出てきた。西野監督は「攻めないこと」を指示し、1点負けている日本がボールを廻しながら時間を消費し、観客席からブーイングを浴びながら試合が終了した。 グループHはコロンビアが2勝1敗(勝ち点6)で1位通過。日本とセネガルが1勝1敗1分け(勝ち点4)、得失点差(0)・総得点数(4)・直接対決の結果(引き分け)で並んだが、警告や退場数によるフェアプレーポイントで日本が2ポイント優位になり(日本4:セネガル6)、日本が2位で決勝トーナメントに進出した。フェアプレーポイントが順位判定の決め手となったのは、ワールドカップ史上初めてのことだった。日本のグループリーグ突破は2002年日韓大会・2010年南アフリカ大会に続く2大会ぶり3回目。 7月2日 決勝トーナメント1回戦 ベルギー戦(ロストフ・ナ・ドヌ) 初のベスト8入りを目指す日本は、グループGを3連勝で1位通過したベルギーと対戦した。エデン・アザール、ケヴィン・デ・ブライネ、ロメル・ルカク、ティボー・クルトワといった世界的スターを揃え「黄金世代」と称されたベルギーを相手に前半を0-0で折り返すと、後半開始間もなく原口元気(後半3分)と乾貴士(後半7分)がゴールを決め2-0とリードした。しかし絶体絶命に追い込まれたベルギーはDFが前線に攻め上がるなど猛攻に転じ、後半24分(フェルトンゲン)と29分(フェライニ)にセットプレーから立て続けにヘディングで2得点、日本は同点に追いつかれた。後半アディショナルタイム4分にラストプレーで日本はCKのチャンスを掴むが、キッカー本田圭佑の蹴ったボールはGKクルトワの両手に吸い込まれ高速カウンター(クルトワ→デ・ブライネ→ムニエ→シャドリ)から失点(ロストフの14秒)、2-3で敗れた。W杯決勝トーナメントにおいて2得点差からの逆転は、1970年メキシコ大会でイングランドが西ドイツに2-3で敗れた準々決勝戦以来、じつに48年ぶりの出来事であった。 日本は試合には敗れたものの、その評価は高く、海外メディアから称賛する報道が相次いだ。
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大会経過
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「1998 FIFAワールドカップ日本代表」の記事における「大会経過」の解説
本大会ではグループHに入り、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦した。2度の優勝経験を持つアルゼンチン以外の3カ国は初出場という極めて珍しいグループだった。岡田は1勝1敗1分け(勝ち点4)での決勝トーナメント進出を目標に挙げた。 6月14日 グループH アルゼンチン戦(トゥールーズ) 初戦アルゼンチン戦は、破壊的な攻撃力をもつ強豪を相手にディフェンシブな姿勢で臨んだ。急造の3バックはよく機能したが、前半28分にゴール前のこぼれ球をFWガブリエル・バティストゥータに決められ失点。手堅い出来のアルゼンチンに対して、後半は幾度か攻め上がりチャンスを作れたが得点は奪えず、実力差通りに0-1で敗れた。 6月20日 グループH クロアチア戦(ナント) 第2戦クロアチア戦は酷暑の中での持久戦となった。引き気味のクロアチアに対して主導権を握り、前半34分に中田のクロスから中山が最大の決定機を迎えたが、GKに阻まれた。逆に後半32分にカウンターからFWダボル・シュケルのゴールを許してしまい、攻撃的な選手を投入するも追いつけず、2連敗で決勝トーナメント進出の望みが絶たれた。 6月26日 グループH ジャマイカ戦(リヨン) 第3戦ジャマイカ戦はともに2連敗同士、ワールドカップ初勝利を賭けた試合となった。日本は攻勢に試合を進めるも、隙を突かれてMFセオドア・ウィットモアに2ゴールを奪われた。敗戦の気配が漂う中で、後半29分に呂比須のヘディングの折り返しを中山が合わせて日本のワールドカップ初ゴールを記録した。その後、チーム最年少(18歳)の小野が交代出場して才能の片鱗を見せたが、3試合連続で1点差を追いつけず、3戦全敗という結果で初のワールドカップを終えた。 アーセン・ベンゲルは日本代表の戦いぶりについて「ディフェンスは全体的に良かった」「攻撃は相手ゴール25m前からが課題」「ストライカーをどうするかが、2002年に向けての最大の課題のひとつ」と評価した。 落選した三浦からエースのポジションを引きついだ城は大会無得点に終わり、歯の噛み合わせを良くするためにガムを噛んでいた事が「不真面目」だと批判されるなど、グループリーグ敗退の戦犯扱いされた。日本帰国時には空港で出迎えたファンからペットボトルの水を浴びせられる仕打ちを受けた。 ワールドカップにおける日本人初ゴールを記録した中山は、2006 FIFAワールドカップの抽選会に招待されている。
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