作風執筆歴とは? わかりやすく解説

作風・執筆歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:20 UTC 版)

フランツ・カフカ」の記事における「作風・執筆歴」の解説

現存するカフカ草稿の中で最も古いものは「ある戦い記録」と題されているもので、大学時代1904年着手され1910年まで断続的に書き続けられたが最終的に放棄された。カフカ生前この作品から一部抜き出し祈る人との対話」「酔っ払いとの対話」として文芸誌ヒュペーリオン』に掲載1909年)、また、最初作品集観察』(1912年)にも、この作品ら抜き出した短編樹々」「衣服」「山へハイキング」「街道の子供たち」を収めている。「ある戦い記録」の内容自体は、パーティから抜け出した語り手と、そこで知り合った人物とのやり取りから始まり語り手妄想とも現実ともつかない状況会話取り留めなく連ねられるというもので、文体等にホーフマンスタール影響認められる。これと並んでい草稿は1907年から1908年頃に成立した田舎婚礼準備」と題されているもので、いずれも中断しているA稿、B稿、C稿の三つ草稿から成る。この作品では田舎に住む婚約者会い行こうとする青年エドゥアルト・ラバンを視点人物として、プラハ都会フローベールを範にしたといわれる微細な筆致によって描写している。 最初に公表されカフカ作品観察』は、当初8編の作品集めたものとして1908年に『ヒュペーリオン』誌に掲載され、後9編を加えて1912年刊行された。収められている作品はいずれ散文詩風の小品である。当時記者からは印象主義的スケッチという、ペーター・アルテンベルクロベルト・ヴァルザージュール・ラフォルグらが作り出した流行ジャンル連なるものと考えられていたらしく、特に表現面ではヴァルザーに通じる所があった。『ヒューペリオン』の編集者フランツ・ブライ知人宛てた手紙で「カフカとヴァルザーは同一人物ではない」と念押ししているほどである。カフカ研究者の間では、この『観察』や「ある戦い記録」等を若書き作品として斥ける傾向があったが、現在ではこれら青年時代作品特性明らかにしようという本格的な取組みが行われている。 カフカ1912年9月22日から23日にかけて、フェリーツェ・バウアーとの出会い触発され「判決」一晩書き上げ、この作品で「すべてを語ることができた」と後に述べるほど強い満足を覚えた。この作品では罪、判決訴訟といった、後期の作品現れる法的なモチーフや、日常的な情景後半一転して非現実的な展開を見せる、「夢の論理」や「夢の形式」とも言われるカフカ特有の作風初め顕著に現れている。カフカはこの直後前年着手していた長編失踪者』を初めから書き直し始め、更に10月から11月にかけてカフカ作品の中で最もよく知られている『変身』を書き上げている。「判決」商人主人公父親によって、その罪をなじられ溺死判決を受ける物語、『変身』は、ある朝目覚めるになっていた主人公が、家族厄介者になり衰弱していく物語、『失踪者』の第一章として書かれた「火夫」は、不祥事によって両親の手アメリカに行かされる少年物語であり、カフカはこの3編をまとめて息子たち』のタイトル刊行する事を考えていたが、出版社判断により、これは実現しなかった。 カフカ三つ長編小説失踪者』『審判』『城』はいずれ未完終わっており生前には発表されていないこの内、最も早い時期書かれた『失踪者』は「判決」前後1911年から1914年頃にかけて書かれた。前述ドイツ人少年カール・ロスマンが様々な出来事経験しながら異国の地アメリカ放浪する物語であり、モンタージュ的な語りカメラアイ風の視点等、映画的特徴指摘されている。『審判』では、理由分からないまま起訴され主人公ヨーゼフ・Kが裁判為に奔走し最後に様に処刑される。この作品カフカフェリーツェ・バウアーとの婚約解消した直後1914年から1915年にかけて執筆された。最も成立時期の遅い『城』は1922年カフカ結核の為、療養していた時期執筆されている。この作品主人公はKという匿名的な記号表される測量士であり、彼はとある田舎の城に招かれやってくるが、しかし城役人振り回されるばかりで、いつまで経っても城に近づく事が出来ない。これらの長編作品では、いずれも罪と罰息子反抗と父の勝利、法に対す違反追放、死の孤独といった共通するモチーフ持っており、死後カフカ作品刊行したマックス・ブロートは、その内容からこれを「孤独三部作」と呼んだが、カフカ自身も、それに近い事を日記手紙記していた。 以上の様な作品主人公達には、しばしばカフカ自身思わせる名前が付けられており、生前カフカ自身自作に対してその様分析行なっていた。例えば「田舎婚礼準備」の主人公ラバン(Raban)はドイツ語の「カラス(Rabe)」を思わせ、チェコ語コガラス意味するカフカ(Kafka)に通じまた、両者母音子音並び規則が同じである。この母音と子音並びは『変身』の主人公グレゴール・ザムザ(Samsa)や「判決」主人公ゲオルク・ベンデマン(Bende-mann)にも共通する。『審判』のヨーゼフ・K、『城』のKは共にカフカ自身の名と共通する頭文字である。 生前発表されカフカ作品は、ほとんどが短編作品であり、名前も分からない町が舞台であったり、(しばしば奇妙な動物登場する寓話風のものが多い。生前発表され短編は、その大半1915年から喀血前後1917年にかけて、「錬金術通り」の部屋シェーンボルン地区一人部屋執筆されたものであるカフカ長編大判四つノート執筆する一方で短編には、より小さ八つノート宛て短編の他にも多く書きさし、断片アフォリズム等を記していた。

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作風・執筆歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:36 UTC 版)

ウィリアム・シェイクスピア」の記事における「作風・執筆歴」の解説

シェイクスピア劇作家として活動1592年ごろから始まる。フィリップ・ヘンズロウの日記当時劇壇事情を知る重要な資料として知られる)に『ヘンリー六世 第1部』と思われる戯曲1592年3月から翌年1月にかけて15上演されたという記録残っているほか、同じく1592年にはロバート・グリーン著書新進劇作家シェイクスピアへの諷刺思われる記述がある。これらが劇作家としてシェイクスピアに関する最初の記録である。 最初期史劇ヘンリー六世三部作(1590-92年)を皮切りに、『リチャード三世』『間違いの喜劇』『じゃじゃ馬ならし』『タイタス・アンドロニカス』などを発表し当代随一劇作家として地歩を固める。これらの初期作品は、生硬史劇軽快喜劇分類されるペスト流行により劇場一時閉鎖された時期には詩作にも手を染め、『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)や『ルークリース陵辱』(1594年)などを刊行し詩人として天分開花させた。1609年刊行され『ソネット集』もこの時期執筆されたと推定されている。1595年悲劇ロミオとジュリエット以後、『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』『空騒ぎ』『お気に召すまま』『十二夜』といった喜劇発表。これら中期の作品円熟味増し、『ヘンリー四世二部作などの史劇には登場人物フォルスタッフ中心とした滑稽味が加わり逆に喜劇作品においては諷刺諧謔色づけなされるなど、作風複眼的な独特のものとなっていく。 1599年に『ジュリアス・シーザー』を発表したが、このころから次第軽やかさが影を潜めていったのが後期作品の特色である。1600年代初頭四大悲劇と言われる『ハムレット』『マクベス』オセロ』『リア王』では、人間実存的な葛藤力強く描き出したまた、同じころに書いた終わりよければ全てよし』『尺には尺を』などの作品は、喜劇作品ありながら人間社会との矛盾人間心理不可解さといった要素加わり悲劇にも劣らぬ重さ暗さを持つため、19世紀以降は「問題劇」と呼ばれている。 『アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』などのあと、1610年前後から書くようになった晩期作品は「ロマンス劇」と呼ばれる。『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語『テンペスト』の4作品これにあたり、登場人物たちの長い離別再会といったプロットのほかに、超現実的な劇作法が特徴である。長らく荒唐無稽な作品として軽視されていたが、20世紀以降再評価されようになったシェイクスピアは弱強五歩格という韻律好んだ。『ウィンザーの陽気な女房たち』のように散文比率が高い戯曲もある。

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