京浜急行電鉄時代
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「京浜急行バス追浜営業所」の記事における「京浜急行電鉄時代」の解説
1948年(昭和23年)6月1日:京浜急行電鉄が発足、自動車部は7営業所・車両173台で営業開始。東京急行電鉄(大東急)からの分離独立に伴い、旧京浜電気鉄道のバス路線(旧湘南電気鉄道、湘南半島自動車のバス路線を含む)、旧梅森蒲田自動車のバス路線のうち旧梅森自動車の路線、旧東京横浜電鉄のバス路線のうち旧大森乗合自動車の路線(大森駅 - 蒲田花園間)を承継。 1949年(昭和24年)2月1日:横浜 - 三崎の急行バスを運行開始。 1950年(昭和25年)2月:葉山観光自動車(1949年5月、葉山 - 逗子間を開業)を傘下に収める。 1952年(昭和27年)8月21日:東京駅 - 鎌倉 - 三崎の急行バスを運行開始。 1954年(昭和29年)7月25日:三浦半島一周定期遊覧バス「さざなみ号」を運行開始。 1960年(昭和35年)4月20日:城ヶ島大橋の開通に伴い、バス乗り入れを開始。 1964年(昭和39年)4月20日:一般路線バス10路線でワンマンバス運行開始(田浦駅 - 追浜駅線ほか)。 1970年(昭和45年)10月1日:三浦交通(1954年11月、葉山観光自動車を改称)のバス事業を承継。 1974年(昭和49年)11月1日:東京 - 三浦半島周遊の定期観光バス「みうら号」を高速道路経由に変更し「ブルーライン号」に改称。 1978年(昭和53年)6月16日:京浜急行電鉄自動車事業本部追浜営業所として当営業所を新設。横浜営業所を併合し追浜営業所杉田車庫とする。 1987年(昭和62年)5月28日:能見台車庫が完成。金沢文庫駅・能見台駅発着の路線の一部を移管。 1989年(平成元年)3月25日 - 10月1日:横浜博覧会が開催。横浜駅西口 - 会場ゴンドラゲートを結ぶシャトルバスの運行を担当(A7905車)。 1990年(平成2年)9月16日 :横浜営業所の再設により、能見台車庫を分割。 1994年(平成6年)11月1日:横浜営業所を新築し移転する。 1995年(平成7年)8月1日:横須賀市無料福祉バス「いきいきルシア号」を市内5コースで運行開始。 1996年(平成7年)4月1日:横須賀市のイラストバス「京急アメリカンバス」3台が運行開始。
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京浜急行電鉄時代
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1948年(昭和23年)6月1日:京浜急行電鉄が発足、自動車部は7営業所・車両173台で営業開始。東京急行電鉄(大東急)からの分離独立に伴い、以下のバス路線を承継。旧京浜電気鉄道のバス路線(旧湘南電気鉄道、湘南半島自動車のバス路線を含む) 旧梅森蒲田自動車のバス路線のうち、旧梅森自動車の路線 旧東京横浜電鉄のバス路線のうち、旧大森乗合自動車の路線(大森駅 - 蒲田花園間) 1949年(昭和24年)2月1日:都営バスと相互乗り入れにより、東京駅八重洲口 - 川崎駅の路線バスを運行開始。 2月1日:横浜 - 三崎の急行バスを運行開始。 1950年(昭和25年)2月:葉山観光自動車(1949年5月、葉山 - 逗子間を開業)を傘下に収める。 5月15日:大森駅と蒲田駅から東京飛行場へのバスを運行開始。 7月1日:貸切バス事業を開始。 1951年(昭和26年)10月1日:特定バス事業を開始、日本航空の契約輸送を開始する。 1952年(昭和27年)8月21日:東京駅 - 鎌倉 - 三崎の急行バスを運行開始。 12月9日:休止中の川崎住宅線などが廃止許可される。 1953年(昭和28年)2月18日:東洋観光が会社設立。 1954年(昭和29年)7月25日:三浦半島一周定期遊覧バス「さざなみ号」を運行開始。 1955年(昭和30年)7月30日:東洋観光が京浜急行電鉄の関連会社となる。 1958年(昭和33年)2月21日:日本観光興業が会社設立。 1959年(昭和34年)8月:日本観光興業が京浜急行電鉄の関連会社となる。 1960年(昭和35年)4月20日:城ヶ島大橋の開通に伴い、バス乗り入れを開始。 1961年(昭和36年)11月11日:羽田空港駅 - 空港ターミナル間で、ワンマンバスの運行を開始。 12月30日:長野・仙台方面へ「郷土(ふるさと)訪問バス」の運行を開始。高速バス運行の端緒となる。 1963年(昭和38年)12月26日:冬季帰郷バスの運行を開始。 1964年(昭和39年)4月20日:一般路線バス10路線でワンマンバス運行開始(田浦駅 - 追浜駅線ほか)。 8月12日:夏季帰郷バスの運行を開始。 1965年(昭和40年)8月25日:羽田空港 - 東京駅間(首都高速1号線経由)の急行バスを運行開始。空港リムジンバス運行の端緒となる。 1968年(昭和43年)12月21日:羽田空港 - 横浜駅間(首都高速1号羽田線経由)でワンマンバスを運行開始。 1970年(昭和45年)10月1日:三浦交通(1954年11月、葉山観光自動車を改称)のバス事業を承継。 1971年(昭和46年):京浜急行では初となるの貸切サロンバス2台を新製導入。 1973年(昭和48年)3月19日:大森営業所に低床バスを導入し使用開始。 5月14日:テープによる車内放送を衣笠営業所・三崎営業所で開始。 1974年(昭和49年)2月1日:テープによる車内放送装置をワンマンバス全車両に設置。 11月1日:東京 - 三浦半島周遊の定期観光バス「みうら号」を高速道路経由に変更し「ブルーライン号」に改称。 1976年(昭和51年)3月30日:羽田空港 - 横浜駅の急行バスに冷房車を導入。 7月5日:ワンマンバスに優先席を設置。 1978年(昭和53年)6月16日:追浜営業所を新設。バス運賃自動精算装置を導入。 7月25日:一般路線バスで冷房車を運行開始。 1979年(昭和54年)12月3日 - 横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT、初代)がポートサイド地区に開業。横浜駅から1km程度離れていた。 12月4日:YCAT - 新東京国際空港間で旅客限定バスを運行開始。 1980年(昭和55年)5月11日:横浜駅東口 - YCAT直行バスを運行開始。 1983年(昭和58年)4月1日:路線バスに日本初となる両引戸中扉「スーパーワイドドア」車を導入(車両の詳細は#特徴的な仕様節を参照)。 1986年(昭和61年)11月12日:関東初の試作ノンステップバスを導入、横浜駅 - YCAT間で運行開始(車両の詳細は#特徴的な仕様節を参照)。 12月26日:京急初の夜行高速バス「ノクターン号」を、弘南バスとの共同運行で運行開始。 1987年(昭和62年)4月18日:羽田空港 - 川崎駅東口の直行バスを運行開始(空51系統)。空港リムジン専用車を使用。 5月28日:能見台車庫が完成。 9月28日:豪華貸切バス車両「エグゼクティブ・サルーン」を新製導入。 10月5日:深夜バスを運行開始。上大岡駅 - 南高校前間を皮切りに路線を順次拡大する。 1988年(昭和63年)5月17日:夜行高速バス「キャメル号」を運行開始。 11月20日:高速バス座席予約システムの運用を開始。 1989年(平成元年)1月15日:品川バスターミナルが完成し供用開始。 3月20日:夜行高速バス「ラメール号」を運行開始。 3月25日 - 10月1日:横浜博覧会が開催。横浜駅西口 - 会場ゴンドラゲートを結ぶシャトルバスの運行を担当(A7905車)。 5月2日:夜行高速バス「アンカー号」を運行開始。 7月1日:夜行高速バス「ラ・フォーレ号」を運行開始。 7月8日:夜行高速バス「ビーム・1」を運行開始。 7月14日:夜行高速バス「パイレーツ号」「エディ号」を運行開始。 9月9日:横浜駅と羽田空港から東京ディズニーランドへの旅客限定バスを運行開始。 9月27日:夜行高速バス「いが号」を運行開始 11月27日:新橋駅発の深夜急行バスを運行開始。 1990年(平成2年)3月22日:夜行高速バス「ルブラン号」を運行開始。 12月14日:横浜駅発の深夜急行バスを運行開始。 12月20日:夜行高速バス「ベイブリッジ号」を運行開始。 1991年(平成3年)1月16日:鎌倉営業所で女性バス運転士を採用。 8月11日:夜行高速バス「シルフィード号」を運行開始。 1992年(平成4年)6月19日:夜行高速バス「マリーン号」を運行開始。 11月28日:鎌倉営業所にレトロバス「京急りんどう号」を2台導入し運行開始。 1993年(平成5年)4月24日:夜行高速バス「萩エクスプレス」を運行開始。 11月2日:夜行高速バス「アルバ号」を運行開始。 1994年(平成6年)10月1日:大森営業所・横浜営業所管内でバス共通カードの利用を開始。 11月1日:横浜営業所を新築し移転する。 12月22日:羽田営業所京浜島車庫を新設。 1995年(平成7年)3月6日:ハイブリッドバスを導入、羽田営業所と能見台車庫に新製配置。 3月20日:車椅子用リフトバスを1台導入、大森営業所に新製配置。 8月1日:横須賀市無料福祉バス「いきいきルシア号」を市内5コースで運行開始。 8月10日:この年の夏便をもって帰郷バスが運行終了。 10月16日:鎌倉営業所で京急初のデマンドバス「京急ポニー号」を運行開始。日野・リエッセの路線バスへの初導入例となる(詳細は京浜急行バス鎌倉営業所#京急ポニー号・鎌倉駅西口線を参照)。 1996年(平成7年)4月1日:横須賀市のイラストバス「京急アメリカンバス」3台が運行開始。 5月15日:上大岡駅前再開発事業により完成したビル「ゆめおおおか」にバスターミナルが開業。 9月20日:横浜駅東口に2代目横浜スカイビルが完成、横浜シティ・エア・ターミナルが移転開業。 10月31日:夜行高速バス「ノクターン号」運行開始10周年を記念してイベントを開催。 1997年(平成8年)11月1日:夜行高速バス「いが号」「アンカー号」路線休止(翌1998年廃止)。 12月18日:東京湾アクアラインが開通。 12月19日:川崎駅・横浜駅・羽田空港から木更津駅間の「アクアラインバス」を運行開始。 1998年(平成9年)2月25日:京急創立100周年を迎える(1898年2月25日の大師電気鉄道設立から数える)。 3月16日:京浜島車庫を京浜島営業所に格上げ。観光バスセンターを廃止。 4月1日:京浜急行電鉄と川崎鶴見臨港バスの貸切バス事業を日本観光興業へ移管し、同社は京急観光バスへ社名変更。東京営業所を羽田に開設。 4月5日:明石海峡大橋が開通。夜行高速バス「エディ号」を神戸淡路鳴門道経由に変更。 7月1日:使用済み「京急バスカード」を集めると額面1,000円の「プレゼントカード」がもらえるサービスを開始。プレゼントカードには京急りんどう号の写真入り柄があった。
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京浜急行電鉄時代
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1948年の分離独立時、高輪営業所は品川営業所に名称を変更し、杉田営業所は堀之内営業所へと統合された。また同年、三浦営業所が新設され、衣笠・久里浜・三崎の各営業所がその支所となった。しかしこの体制は長くは続かず、1954年(昭和29年)に三浦営業所は廃止され、衣笠と三崎は営業所へ、久里浜は三崎営業所久里浜支所へと変更されている。また業務の効率化を図るため、1952年(昭和27年)に、雑色操車場および杉田操車場を開設した。 「京浜急行バス衣笠営業所#戦後復興と路線拡充」および「京浜急行バス羽田営業所#東京営業所時代」も参照 一方都内の営業所については名称変更や統廃合が頻繁に行われた。まず1954年に品川営業所が東京営業所と名称を変更し、大鳥居支所を置いた。その後1959年(昭和34年)には東京営業所を蒲田営業所と名称を変更し、大鳥居支所を羽田営業所に昇格させている。 詳細は「京浜急行バス羽田営業所#羽田営業所設立」を参照 1964年(昭和39年)に六郷営業所を新設し、蒲田営業所は雑色車庫となった。しかし1970年(昭和45年)の大森営業所新設後は徐々に所管路線を減らし、1973年(昭和48年)に六郷営業所と雑色車庫は大森・羽田両営業所へと統合された。 詳細は「京浜急行バス大森営業所#平和島の新営業所へ」および「京浜急行バス羽田営業所#大森営業所独立から空港路線強化へ」を参照 神奈川県内については、1959年(昭和34年)に杉田が営業所として復活し、久里浜も1963年(昭和38年)に営業所に昇格している。杉田営業所はその後1971年(昭和46年)に横浜営業所に名称を変更するも、1978年(昭和53年)の追浜営業所新設の際、車庫に降格した。また1987年(昭和62年)には能見台車庫が開設され、追浜営業所の所管となった。車庫に降格した杉田も1990年(平成2年)に再び営業所に昇格し、横浜営業所となり、能見台車庫も横浜営業所の所管となった。 詳細は「京浜急行バス杉田営業所#路線拡充による営業所の再設」および「京浜急行バス追浜営業所#追浜営業所の設立」を参照 都内では1994年(平成6年)に羽田営業所京浜島車庫が開設され、1998年(平成10年)より独立して営業所となった。 詳細は「京浜急行バス羽田営業所#京浜島営業所の独立」を参照
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