京浜急行電鉄大師線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 14:08 UTC 版)
戦時下、川崎臨海部の鉄軌道建設を東京急行電鉄と競合。結局川崎市側は桜本までを建設することとなり、東急と競争して敷設。戦後、川崎市は大師線を買収することによる市内一周運転を企て、大東急分離後の京急と折衝したが、京急は不採算路線となっていた末端部の桜本-塩浜間だけを譲渡するにとどめ、同社発祥路線の京浜川崎(現・京急川崎)- 塩浜間を譲らなかった。このため、ついに市電による一周運転は実現しなかった。
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