路線拡充による営業所の再設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:56 UTC 版)
「京浜急行バス杉田営業所」の記事における「路線拡充による営業所の再設」の解説
横須賀市から横浜市にかけての東京湾岸地域は、杉田営業所の廃止後は堀内営業所の営業エリアとなっていた。しかし堀内営業所は車庫が狭く、また営業エリアが広範囲であったため、復興に伴い所管路線が増えてくると運営が困難になってきた。そこで運行の効率化を図ることとなり、1952年(昭和27年)12月1日付で旧杉田車庫が杉田操車場として復活した。その後1959年(昭和34年)には白山道循環線が横浜市交通局より移管されることになったのを受けて、同年3月16日に営業所へと昇格し、再び杉田営業所が設置された。 詳細は「京浜急行バス能見台営業所#白山道循環線」および「横浜市営バス#市民急増に対応し運行拡充」を参照 この時の所管路線は、横浜駅 - 堀内の横浜線を中心に、追浜営業所管轄で現存する柴町線および車庫 - 野島 - 文庫線、能見台営業所管下で現存する白山道循環線、そして鎌倉営業所の八景線の一部便を追浜駅まで運転した追浜 - 鎌倉線の計5路線であった。 翌1960年(昭和35年)、上大岡駅 - 上大岡住宅線が運行を開始し、上大岡地区に初めて進出した。1963年(昭和38年)には、同線の循環化と杉田への直通運転を開始し、1965年(昭和40年)には南高校線も開通した。なお、同年10月1日に横浜営業所(初代)へと改称している。その後も1966年(昭和41年)に横浜駅 - 追浜日産線、1967年(昭和42年)に関内駅 - 杉田平和町が開設されるが、この頃より道路状況が悪化し始めたため、長距離路線の分断などが行われた。 詳細は「京浜急行バス追浜営業所#磯子線」および「横浜市営バス磯子営業所#4系統」を参照 1978年(昭和53年)6月16日に追浜営業所が開設されると、横浜営業所は廃止され、追浜営業所杉田車庫となった。 詳細は「京浜急行バス追浜営業所#沿革」および「京浜急行バス#営業所の変遷」を参照
※この「路線拡充による営業所の再設」の解説は、「京浜急行バス杉田営業所」の解説の一部です。
「路線拡充による営業所の再設」を含む「京浜急行バス杉田営業所」の記事については、「京浜急行バス杉田営業所」の概要を参照ください。
- 路線拡充による営業所の再設のページへのリンク