東京営業所時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 00:03 UTC 版)
「京浜急行バス羽田営業所」の記事における「東京営業所時代」の解説
1948年(昭和23年)6月1日、京浜急行電鉄は6年ぶりに大東急管下を離れ、独立会社として再スタートを切った。 詳細は「大東急#成立と崩壊の経緯」および「京浜急行電鉄#歴史」を参照 東京急行電鉄が旧京浜電気鉄道と旧湘南電気鉄道から引き継いだバス営業所は、この際に湘南線(現・京急本線)杉田駅以南の三浦半島地区を中心に京浜急行に引き継がれたが、品川線の京浜鶴見以北については川崎市内が実質的に川崎鶴見臨港バスに、大田区東部(蒲田・糀谷・羽田・大森地区)すなわち旧梅森蒲田自動車のほぼ全路線と京浜電鉄バス国道線が京急に戻ってきた。これらの路線を管轄するため、京浜急行電鉄は東京急行電鉄高輪営業所を引き継ぐ「品川営業所」を設けた。この時点ですでに森ヶ崎線の運転が一部再開されていた。 詳細は「京浜急行バス#京浜急行電鉄時代」および「東急バス池上営業所#新生・東急電鉄バスへ」を参照 その後、品川営業所は東京営業所と名前を改め、1949年(昭和24年)に京浜国道線の再開を迎える。東京乗合の旧東海道経由六郷線撤退以来19年ぶりに復活する形で都営バスが参入、両社共同運行の東京駅 - 川崎駅間という長距離路線が立ち上げられた。京急では京浜国道線に必要な車両の前線基地として、大田区六郷に雑色操車場を設ける。これは実質上、戦前の雑色営業所の復活に近かった。 詳細は「都営バス品川営業所#115系統」を参照 この頃、京浜急行は日本空港ビルデングの子会社として設立されたばかりの日本空港リムジン交通(現・東京空港交通)とともに民間航空が再開されたばかりの羽田空港への連絡路線を開設することになり、所要車両数が増加するため、1954年(昭和29年)に東京営業所傘下の「大鳥居支所」として当営業所の原型が立ち上げられる。 「東京空港交通#沿革」および「東京国際空港#返還以後(東京国際空港)」も参照 1958年(昭和33年)、東京急行電鉄との相互乗り入れによる羽田空港 - 田園調布線が開業し、京浜急行バスは大田区西部の東急バスエリアに進出した。またほぼ同時に、新日本観光(現・はとバス)との共同運行による定期観光バス「都内・江ノ島・鎌倉周遊Hコース」が開設された。 詳細は「はとバス#成長期」を参照
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