東京四大学の連携経緯とは? わかりやすく解説

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東京四大学の連携経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 18:05 UTC 版)

東京四大学」の記事における「東京四大学の連携経緯」の解説

学習院大学 武蔵大学 成蹊大学 成城大学 第二次世界大戦後学制改革実施され旧制武蔵高等学校旧制成蹊高等学校旧制成城高等学校旧制学習院高等科(以下、本稿では4旧制高校と略す)は尋常科新制高等学校移行させ、高等科新制大学移行させる計画立てた。しかし、小規模な旧制高等学校母体にした組織では新制大学への移行認めないという文部省方針があり、また4旧制高校にとってもそれぞれ大学創ることは大きな負担だったので、各校特色伝統生かし教員資源有効に活用する、「東京連合大学」を創ろうという計画持ち上がった昨今話題の「連合大学」の先駆である。 当時知識人教育者哲学者でもあった天野貞祐獨協大学創設者)や安倍能成などが中心になり、宮本和吉高橋穣などにはたらきかけたものであった当時の「東京連合大学共立趣意書」という謄写版刷り史料残されていて、そこには4旧制高校それぞれ意とする学部学科をもつ、英国カレッジ制似た構想記されており、目的は「綜合大学となるべき東京連合大学共立する」と明記されている。ちなみに武蔵学園年報第2号所載の四校協定書から各学校整備するはずであった東京連合大学学部学科を拾うと、次の通りである。 学習院 文政学部政治哲学文学科)理学部物理化学科武蔵 文学部国文英文学科理学部数学化学科成蹊 政経学部経済学科工学部機械建築土木工業経営学科成城 経済学部経済学科文学部国文英文学科農学部農芸化学科) この協定書には、各カレッジ学部各校定員の表(各校から各カレッジ学科何人進むことができるか)まで付録としてついていて、短い期間(1948年昭和23年)の前半年間)ではあったが、かなり突っ込んだ検討が行われた跡が見られる。しかし結局は足並みが揃わず、また文部省方針変更されたこともあり、この計画実現しなかった。その後4つ大学分かれてスタートした際、この親しい関係を生かして協力して行きたいという趣旨で、「四大学運動競技大会」、「クローバーの集い」などがスタートした今日でも四大学親しい関係にあり、図書館利用や一協定大学間の単位互換制などがある。また、現在では「東京四大学進学相談会」を定期的に開催している。

※この「東京四大学の連携経緯」の解説は、「東京四大学」の解説の一部です。
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