京橋槇町とは? わかりやすく解説

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八重洲

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 14:27 UTC 版)

八重洲(やえす)は、東京都中央区町名。隣接する千代田区丸の内大手町有楽町、中央区日本橋京橋とともに、日本最大のオフィス街を構成している。広義では東京駅の東側一帯を指し、駅西側一帯の丸の内と対比される[注釈 1]。八重洲一丁目と八重洲二丁目が設置されている。郵便番号は一丁目が103-0028[2]、二丁目が104-0028[3]




注釈

  1. ^ 大丸有」に対して、「日八京」(銀座を含めて「日八京銀」)エリアと総称。
  2. ^ 江戸時代後期の江戸切絵図では、内濠沿いの道(現在の日比谷通り)に「八代洲河岸(川岸)」の文字が記されている。1849年(嘉永2年)の江戸切絵図(「御曲輪内大名小路絵図」)には、和田倉門から馬場先門にかけての内濠(馬場先濠)沿いの道(現在の日比谷通り)に「八代洲川岸」の文字が見られ[10]、同年の別の切絵図(尾張屋清七版「御江戸大名小路絵図」)では馬場先門の南側の濠沿いの道に「八代洲河岸」の文字が記されている[11]
  3. ^ ルイス・ソテロらフランシスコ会宣教師に江戸における宿所を提供していた人物で、1613年8月16日に殉教した(鳥越の殉教)。
  4. ^ 「八官」については、江戸歴史散歩愛好会『お江戸の名所の意外なウラ事情』(PHP研究所、2008年)が「八官神社」の章で紹介する各説による。オランダ人ハチクワンに求める説は『日本歴史地名大系』(平凡社)が、常珍八官に求める説は武蔵義弘『知られざる東京の史跡を探る』(鳥影社)が唱えており、古川愛哲『「江戸・東京」地名を歩く』(経済界)は「八官」はオランダ人・中国人・韃靼人の意味があると述べているが、隣接してマリアに通じる「丸屋町」があることから「八官町」も「バチカン」と関係するのではないかという推測を述べている。
  5. ^ 「八代曾河岸」という項目名で立項されており、和田倉門から馬場先門にかけての堀端を指すとする。
    八代曾河岸(やよそかし)。わたくらより馬場さきの御濠はたを云。むかしは此所に町屋ありし也。慶長の頃ヤンヨウス、ハチクハンなとといふ異国人きたりしに此辺にてヤンヨウスに町屋敷を下されてよりの名といふ。ハチクワンは八官町にて屋敷を下されける也。又冶容子(ヤヨウス)河岸とも書よし、八代洲とも書。 — 『再校江戸砂子名蹟誌』巻一(須原屋伊八板)、「大下馬より南方 并御堀端東南西北」。
    『江戸砂子温故名蹟誌』(国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^
    耶揚子河岸。彌余子、八代洲、八代曾、八重洲とも書せり。皆仮借の文字なり。【紫一本】に云、昔ヤヨウスと云異国人に、此所にて屋敷を賜りしよりの名なりと。案に『慶長日記』に十九年甲寅九月朔日、阿蘭陀人耶揚子虎子二匹を献ずるよしみへたり。駿府政事録』同じ。此人なるべし。 — 『御府内備考』巻之七・御曲輪内之五、「屋敷地名并里俗小名」。
    『大日本地誌大系』第1巻(雄山閣、1929年)p.134(国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 江戸の北町奉行所は慶長6年(1601年)に呉服橋門内に設置され、以後何度か移転しているが、文化3年(1806年)から幕末まで呉服橋門内(現在の呉服橋交差点南西、東京駅日本橋口付近。千代田区丸の内一丁目)に置かれた。「都旧跡 北町奉行所跡」の解説板が、東京駅の八重洲北口付近(丸の内トラストタワーN館東側)にある。
  8. ^ 同様に、日本橋川と京橋川の間には、紅葉川も含め舟入堀と呼ばれる9本の運河群があった。これらの運河は紅葉川に先立って埋め立て・短縮された[15][16]
  9. ^ 御府内備考』巻之三。[1]
  10. ^ 文久2年(1862年)には2度の火災で江戸城の本丸・二の丸・西の丸御殿が焼失(以後再建されず)。文久3年(1863年)以後、将軍徳川家茂は3度にわたって上洛しており、慶応元年(1865年)の第2次長州征伐で上洛したあと江戸には戻ることなく大坂城で没した。徳川慶喜は将軍在任中に江戸城に入っていない。
  11. ^ 現在の丸の内二丁目北部は永楽町一丁目であった。
  12. ^ 1970年の住居表示実施以降は「丸内」表記となる。

出典

  1. ^ a b 町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2019年9月3日). 2019年9月23日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
  5. ^ a b 1. 日蘭交流の始まり”. 江戸時代の日蘭交流. 国立国会図書館. 2020年6月18日閲覧。
  6. ^ 八重洲一丁目・日本橋地区”. 中央区. 2020年7月3日閲覧。
  7. ^ 八重洲二丁目・京橋地区”. 中央区. 2020年7月3日閲覧。
  8. ^ 森良和「ウィリアム・アダムズの日本人妻 ―その出自と名前をめぐって―」『論叢:玉川大学教育学部紀要』第2016号、玉川大学、2017年3月、117-134頁、CRID 1050566774790943872hdl:11078/487ISSN 1348-3331NAID 1200068682612023年11月21日閲覧 
  9. ^ a b c d キーワードで散歩する日本橋界隈“まち”探訪・八重洲 にぎわう江戸城下と丸の内にかかる橋”. WEB MAGAZINE早稲田@日本橋. 早稲田大学. 2019年8月3日閲覧。
  10. ^ a b c d 【山手線29駅各駅の魅力を探る・東京駅②】明治の頃は焼け野原だった?丸の内の歴史”. LIFULL HOME'S. LIFULL. 2020年6月13日閲覧。
  11. ^ a b c 1. 近世までの丸の内・大手町”. 写真でひもとく街のなりたち 東京都丸の内・大手町. 三井住友トラスト不動産. 2020年6月13日閲覧。
  12. ^ a b c 鈴木理生 (2005年12月1日). “「続」中央区の"橋"(その11)” (pdf). 郷土室だより第111号. 中央区京橋図書館. 2020年5月15日閲覧。
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  14. ^ a b 「旧町名」から読み解く、江戸城下町の特性”. 東京街人. 東京建物 (2016年8月31日). 2020年6月15日閲覧。
  15. ^ 鈴木理生 (2002年3月1日). “中央区の"橋"(その4)”. 郷土室だより第94号. 中央区京橋図書館. 2020年5月15日閲覧。
  16. ^ 鈴木理生 (2006年3月1日). “「続」中央区の"橋"(その12)” (pdf). 郷土室だより第112号. 中央区京橋図書館. 2020年5月15日閲覧。
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  18. ^ 平成30年事業概要 第2 中央卸売市場の沿革” (pdf). 東京都中央卸売市場 情報公開ポータル. 2020年7月2日閲覧。
  19. ^ a b c 菅原健二 (2015年12月1日). “江戸・東京の川=中央区の川(二)”. 郷土室だより第153号. 中央区京橋図書館. 2020年5月15日閲覧。
  20. ^ a b c 鹿内京子、石川幹子東京下町における河岸の歴史的変遷に関する研究」『日本都市計画学会都市計画論文集』第41-3号、2006年、doi:10.11361/journalcpij.41.3.9592020年6月15日閲覧 
  21. ^ 中藤淳「[2]」『歴史地理学』第134号、1986年、2020年6月20日閲覧 
  22. ^ a b c d e f g h i 中央区 ここに歴史あり<17> ~ヤン・ヨーステン拝領地の八代洲と八重洲~”. 中央区観光協会オフィシャルブログ. 中央区観光協会 (2010-015). 2020年6月13日閲覧。
  23. ^ 大石学. “平成15年度講演:「江戸の文化と教育」”. 東京学芸大学附属図書館. 2022年9月5日閲覧。
  24. ^ a b c d 沢田清. “八重洲”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 小学館. 2019年8月3日閲覧。
  25. ^ 2. 官庁街となった大手町”. 写真でひもとく街のなりたち 東京都丸の内・大手町. 三井住友トラスト不動産. 2020年6月13日閲覧。
  26. ^ 橋(東京駅裏)”. 神奈川県立近代美術館. 2020年6月23日閲覧。
  27. ^ a b キーワードで散歩する日本橋界隈“まち”探訪・八重洲 東京駅八重洲口”. WEB MAGAZINE早稲田@日本橋. 早稲田大学. 2019年8月3日閲覧。
  28. ^ 鈴木理生 (2001年7月1日). “「続」中央区の"橋"(その10)” (pdf). 郷土室だより第110号. 中央区京橋図書館. 2020年6月15日閲覧。
  29. ^ a b 鈴木理生 (2004年2月1日). “「続」中央区の"橋"(その18)” (pdf). 郷土室だより第118号. 中央区京橋図書館. 2020年6月15日閲覧。
  30. ^ 「新語も八重ブラ」『日本経済新聞』昭和30年1月21日
  31. ^ 客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁 (2016年3月11日). 2022年8月27日閲覧。
  32. ^ 本節での町名の成立年代は『角川日本地名大辞典 東京都』による。
  33. ^ 区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2019年9月23日閲覧。
  34. ^ 中央区民文化財68 一石橋の親柱(いちこくばしのおやばしら)”. 中央区. 2020年7月3日閲覧。
  35. ^ 区内の文化財 一石橋の親柱”. 中央区. 2020年7月3日閲覧。
  36. ^ 中央区民文化財18 板絵着色お千世の図額附 目録(いたえちゃくしょくおちせのずがくつけたり もくろく)”. 中央区. 2020年7月3日閲覧。
  37. ^ 竹久夢二生誕130年-「港屋ゆかりの地」と「竹久夢二展」”. 中央区観光協会オフィシャルブログ. 中央区観光協会 (2014年9月10日). 2020年6月18日閲覧。
  38. ^ 竹久夢二「港屋絵草紙店」ゆかりの地記念碑”. 岡山県 (2009年3月27日). 2020年6月18日閲覧。
  39. ^ 『日本現今人名辞典』ち1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月10日閲覧。





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