事故の原因・要因・背景とは? わかりやすく解説

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事故の原因・要因・背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:45 UTC 版)

富士山大量遭難事故 (1972年)」の記事における「事故の原因・要因・背景」の解説

この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、(天候判断ミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより)厳し気象条件下に晒される状態に陥り低体温症引き起こしたことが主な要因である。 頂山岳会18日出発する際は天気図確認し大丈夫との判断下していたが、19日から日本海側低気圧通過し典型的な「春一番」発生する気圧配置となっていた。周囲高峰のない富士山この影響大きく最大風速毎秒40mから50m程度になった推測されている。春一番のため気温自体平年同時期より10近く上昇したものの、風冷効果により体感温度著しく低下するため、遭難者はマイナス40以下の低温曝されているのと同じ状態だった。 いずれのグループ防寒備えはしていたが、対す備えができておらず、体を濡らしたことで容易に低体温症になってしまった。 静岡山岳会にとっては地元とはいえ富士山経験者がいたことで逆に判断誤った好天であれば2時間程度下山できる距離だったため強行下山したものの、深雪風雨体力消耗したことで登山口にたどり着いた時には10時間近くかかっていた。また、ラジオにより天気図作成していたことから、「天候崩れてそれほどひどい荒天にはならない」と判断下したとみられている。 清水勤労者山岳会はいったん山小屋避難しながらわずかに風雨弱まった際に下山強行したため被害広がった勤労者山岳連盟内部でも「逃げ清水労山」と呼ばれ理な行動をしないことで定評があったが、典型的な疑似好天加えて連休最終日翌日仕事控えた社会人グループだったため焦りにより判断誤ったとみられている。 二合五勺付近発生した雪崩春一番気温上昇により緩んだ湿雪によるスラッシュ雪崩とみられている。麓に近いところで発生した雪崩異例ではあるが、15人が死亡した1954年富士山大量遭難では七合目発生した雪崩二合五勺まで達しており、決し前例のない災害ではなかった。

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事故の原因・要因・背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 15:56 UTC 版)

トムラウシ山遭難事故」の記事における「事故の原因・要因・背景」の解説

この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、天候判断ミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより厳し気象条件下に晒される状態に陥り、低体温症引き起こしたことがおもな要因である:36-88。 アミューズトラベル社の(事前準備不足:36-88 アミューズトラベル社がツアー参加希望者の中から参加者登山力量に応じて選ぶ方法不十分だった経験不足の登山客をツアー参加させない判断をしなかった):36-88。 アミューズトラベル社がガイド役らの選定適切に行わなかった:36-88。結果としてにわかづくりチーム互いにあまり面識がなく、事前打ち合わせもなかったことから、リーダーガイド同士現場で連携不足・協議不足につながった:36-88。 アミューズトラベル社がリーダーガイドに対して文言上は「現場では安全優先と言っていたもの実際に経済優先プレッシャー感じさせ、安全が後回しになってしまう環境放置していた:36-88。こうした環境リーダーガイドによる天候判断ミス誘発させ、結果として早めに引き返す決断をしなかった:36-88。 帯広測候所によるとトムラウシ山頂では、事故当時がかかり降っていたとみられ、日中気温摂氏8 - 10度、風速毎秒20 - 25メートル台風並みだったとされる生存者によると、「と風で体感気温は相当低く、リュックカバーが風で吹き飛ばされ、岩にしがみついて四つん這いで歩くような状態だった」という。旭岳の別パーティもこのパーティと同じ天気予報聞いていたが、山の天気平地より遅れてくるとの経験則から夕方まで荒れると見越して中止決断をしたことで遭難しなかった。 リーダーおよびガイドらが現場で(朝に山小屋などから出発する前などに)ツアーに対して出すべきであった着用すべき防寒着種類などについての指示および確認の不足:36-88。一部報道ではツアー客の装備軽装だったと指摘されているが間違いである。調査委員会でも装備問題無かった確認されている。遭難者荷物からは防寒着は見つかっている。低体温症により意識混濁し防寒着を着ることが出来なかった為、更に症状悪化したのであるツアー自身登山対す自覚不足や遭難対策の不足:36-88。 参加者全員低体温症対す無知認識不足ツアー客らは全員低体温症知らなかったため、自分がその状態になって自覚できなかった。ガイドらもその詳細知らずあっけなくその状態に陥るものだという認識がなかった:36-88。低体温症については、服を着ていても水中浸かった場合濡れただけの場合比べて死亡に至る時間大きく異なる。報告書にはパーティ全員全身ずぶ濡れと書かれているが、ほとんどの遭難者手足だけがずぶ濡れであり全身ずぶ濡れ状態ではなかった(北沼でのガイド丙を除く)。 事故前日の7月15日ヒサゴ沼避難小屋装備濡らした一部メンバー装備を乾かすために脱いだ干したしたもの乾ききらず、そしてメンバー自身早く乾かす方法知らずリーダー甲は「着干し」を教えた:8。しかし濡れた靴下濡れたまま着用し続ける:8など、濡れた衣類低体温症の危険を招く知識自体がなかった。 出発直前16日5時30分リーダー甲は安全性考慮しトムラウシ山登頂諦め出発30遅らせ迂回コース変更することを告げたものの、この時点前夜から強まった風雨に関する天候状況説明メンバーが着るべき衣類説明がなかったため、全員上下雨具確実に着用したものの、その雨具の下は薄着維持したメンバーもいた:9。 出発予定時刻16日5時30分時点女性客bが各自携行する食料回数分を確認したところ、bだけが8食携行他のメンバーは6食分ぎりぎりしか携行していなかった:8。 (想定外の)風雨による行程の遅れ、引き返す判断の遅れ、引率ガイド判断力低下ガイド混乱 天沼付近通過前後で2回、5分から10分ずつの休憩をとったが、ガイド乙は生還後にこの時点で引き返す判断下すか、またはそもそも天沼以前ヒサゴ分岐下山コースを取るべきだった述懐している:106時以降8時前の天沼通過以降ロックガーデンまで風雨によって通常コースタイムの2倍近い時間が掛かること、風雨それほどまでに強まることがすべて想定外であり、ガイドメンバー共に誰も予想していなかった:108時30分ロックガーデン通過時点でも風に吹き飛ばされ歩きにくい岩場転倒したメンバーや、通過自体恐怖覚えたメンバーもいたが避難小屋引き返したと言い出す者はいなかった:10ロックガーデン通過後も更に風が一段と強まり、ここで装備吹き飛ばされメンバー複数出た:1110時頃、ロックガーデン次の地点、北沼渡渉点(第1ビバーク地点)に到達したが、普段登頂前に一服できる清涼な場所だったはずの沼地氾濫し川幅2メートルほど、水深膝下ほどの流れとなっていた:11。この渡河行程ガイドも含む複数人前夜濡れた装備加えて全身濡らし、また強い風相まって低体温症症状を示すメンバー複数出始めた:11渡河自体30分ほど掛かった後も低体温症症状を示す女性客をガイド甲と乙がサポートしたが、その間にも更に強まる風に暴露したままガイド指示待ち続けた他の一行全員同様に疲労蓄積した:1210時30分頃に次の北沼分岐(第2ビバーク地点)に差し掛かるまでの間に2人女性落伍者女性客g(生還)、女性客j(死亡))が出、ガイド乙と丙がそれぞれの荷物本人抱えて本隊落伍地点とを往復するなどした:12。この2人は腕で押さえて止まらないほどに全身がたがた震わせて座り込んでいたほか、2人移動待っていた本隊中にも寒さ眠気覚え死を覚悟したメンバーがいた:121130分から12時頃に第2ビバーク地点ガイド乙がメンバー4人と残ってビバークその他のメンバー10人をガイド丙が引率して下山させる決定をした:13-14。ただし、この時点ガイド丙は低体温症症状進行していてパーティ引率できる状況になく、また下ルート知らなかったが、決定したガイド乙はその事実に気づかなかったし、乙自身想定外状況重なって混乱していた:13-14

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事故の原因・要因・背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 20:25 UTC 版)

木曽駒ヶ岳大量遭難事故」の記事における「事故の原因・要因・背景」の解説

この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、(天候判断ミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより)厳し気象条件下に晒される状態に陥り低体温症引き起こしたことが主な要因である。 出発前日好天だったが強力な台風北上しており、伊那地方直撃こそしなかったものの高所影響もあって山頂付近は凄まじい暴風となっていた。なお、この台風関東地方直撃し多摩川六郷橋流失荒川氾濫するなどの大被害出している。 いわゆる純然たるレクリエーションのための登山ではなく鍛練教育効果狙った学校集団登山のため、山頂付近露営など中学生当の年齢登山としては余裕のない計画であった長時間行動し疲労したところに暴風雨晒されれば、3,000m近い標高低温もあって容易に低体温症になった避難した山小屋損傷がひどく風雨吹き込んだうえ、登山道途中にも避難小屋など風雨避け体力温存回復できる場所がなかった。この事故教訓将棊頭山直下避難用石室設置され増改築繰り返して西駒山荘となった

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事故の原因・要因・背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 10:08 UTC 版)

立山中高年大量遭難事故」の記事における「事故の原因・要因・背景」の解説

この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、(天候判断ミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより)厳し気象条件下に晒される状態に陥り、低体温症引き起こしたことが主な要因である。 事故起きた10月8日早朝には、快晴だったとはいえ荒天予報出ており、周囲山小屋宿泊客停滞早め撤収呼びかけていた。 メンバー顔見知りであったリーダーを特に決めておらず、そのため撤退判断下し指示出せ人物がいなかった。また体調悪化しているメンバーがいたにもかかわらず途中で追い抜いた登山者救助要請を行わなかった、ビバーク時に風を避ける場所に移動せず吹きさらしの場所にい続けたなど、最悪事態避け機会はあったにもかかわらず、それらをすべて逃した事が指摘されている。 メンバー装備に関して10月3000m峰では不十分な装備であることが指摘されている。ゴールデンウィークと秋の連休時は、天候によって真夏のような暑さにも真冬寒さにもなる両極端時期で、最も注意要するとされていた。しかしメンバーのほとんどが軽登山靴だったほか、一部メンバーは綿のズボンビニール雨具など間に合わせ済ませていた。一方救助要請向かい一命取り留めた2人は革の登山靴防水透湿素材雨具ウールの手袋などを所持していた。 この遭難対し本多勝一対談で「ロープウェーバスアプローチ短くなったことで、普通なら行けないはずの所にズブの素人がいきなり入れようになった事が原因」「本来ならばそこまで近づけない人たちばかりが近づいて遭難起きた」と分析している。

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