事故の原因と対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 22:39 UTC 版)
米内光政司令長官の命により、徹底的な調査と原因究明がなされた。その結果、『仕様上は』充分な復原力(条件により、浮力が傾斜を戻そうとする力が生ずる)を保持していた友鶴は、『実際には』過重な兵装と未熟な工作技術による重心上昇(トップヘビー)と復原性不足を負っており、それが事件の原因とされた。さらに背景として、設計側は用兵側の(物理法則を無視した)要求に追従し、根本的欠陥を抱えた艦船を多数送り出してしまっている状況が指摘された。この事件をきっかけに、大型艦60度、中型艦90度、小型艦90 - 110度以上の復原性を持つことが要求され、吹雪型・初春型で、復原性・重心対策改修が実施された。友鶴もこの改修を受け、翌1935年(昭和10年)5月に再就役し1945年(昭和20年)に戦没するまで活動した。 ただし、近年の研究では、「追波(おいなみ)」に対して保持すべき進路を誤った艇長の操艦ミスや、当時の復原性理論自体の限界、つまり当時主体だった『静的』復原性理論に対する、風圧や旋回遠心力傾斜を含めた『動的』復原性解析の未発達も、指摘されている。これは、追波下での急旋回では旋回の遠心力に加えて縦揺れ(ピッチング)が横揺れ(ローリング)に転化した傾斜モーメントに、追風の風圧も重なって、船を旋回円の外側に向けて傾斜させる大きな外力を受ける可能性を示唆され、『静的』復原性を上回る傾斜モーメントが働き、転覆に至ったと見られている。この重心上昇に対し現代の艦船は、船体の幅広化(平底船や双胴船を除く)、ジャイロ(小型船舶)やフィンスタビライザーなどの対策を講じている。
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