ボブディランとは? わかりやすく解説

ボブ・ディラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 16:11 UTC 版)

ボブ・ディランBob Dylan、出生名:ロバート・アレン・ジマーマンRobert Allen Zimmerman[2][3][4]1941年5月24日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャン


注釈

  1. ^ 「家を出たそのときは、ロバート・アレンという名を使うつもりでいた。わたしの感覚では、それがわたしの名前だった―それがわたしに両親から与えられた名前だった。」
  2. ^ 「出生証明に記載された名前はロバート・ジンマーマン」
  3. ^ 「彼の本名がロバート・アレン・ジマーマンとわかったのは、徴兵カードを見たときだ。」
  4. ^ 「一九六二年に彼は法律的な手続きを取って自分の姓をジンマーマンからディランに変えたのである。」
  5. ^ 「ボブは、マンハッタンダウンタウンにある最高裁判所へ出かけて行った。そこで、自分の名前を、合法的にボブ・ディラン、と変えたのだった。」
  6. ^ 「ボブ・ディランは、1941年5月24日、ミネソタ州デュルースに生まれた。」
  7. ^ 「出生証明はスペリオル湖の岸にある港町ドゥルースで発行されている。」
  8. ^ 「わたしはその地帯にあるヒビングで育ったが、生まれたのはそこから東に七十五マイル行ったインディアンがギッチェ・グミーと呼ぶ大きな湖、スペリオル湖のほとりにあるデュルースだった。」
  9. ^ 「五月二一日」と記述。
  10. ^ 「祖母はロシア南部の港町、オデッサからアメリカにやってきた。(中略)もともと祖母はトルコの出身で、対岸にあるトラブゾンから黒海(中略)をわたってオデッサにやって来た。」
  11. ^ 「一九四六年の二月、ボブの弟、デイヴィッド・ベンジャミン・ジママンが誕生した。」
  12. ^ 「六歳の時、一家はカナダ国境近くの、メサービ・アイアン・レンジにある、ヒビングに移った。」
  13. ^ 「しかし(父が)ポリオにかかって体が不自由になり、やむなくデュルースを離れた―仕事をやめて母の家族が住んでいたヒビングに引っ越したのには、そういう理由があった。」
  14. ^ 「八歳か九歳になった時、この少年はもうピアノを弾いていた―正規のレッスンを受けたわけではなく、家にあったピアノを、ただ叩きまくっていただけで、独習なのだった。」
  15. ^ 「ジママン家がガルブランソンの小型ピアノを買い、ボブが音楽を演奏するようになったのもこのころだ。(中略)そして独学でピアノを学び、譜面の読み方を学ぶこともなかった。」
  16. ^ 「わたしの宇宙を支配するのはウディ・ガスリーだったが、その前はハンク・ウィリアムズが好きだった。」
  17. ^ 「わたしはヒッチハイクでファーゴに行って話をし、シャドウズと呼ばれていたヴィーのバンドにピアノ弾きとして入れてもらい、教会の地下室などでおこなわれた地元のショーで演奏した。」
  18. ^ 「大学の公式記録によれば、ロバート・アレン・ツィンマーマンは一九五九年の九月から、一九六〇年の秋までの三学期間、授業に出席したことになっている。しかし、実際には、最初の六ヶ月通うのも苦痛で、そのあとはほとんど完全に、授業に出席するのを止めてしまった」
  19. ^ 「最初にしたのは、持っていても意味のないエレクトリックギターをアコースティックのマーティン00-17に替えることだった。店員が同額でギターを引き取ってくれたので、わたしはケース入りのマーティンを持って店を出た。」
  20. ^ 「ツインシティーズで最初に名前を訊かれたとき、わたしは考える前に本能的、自動的に「ボブ・ディラン」と言っていた。」
  21. ^ 「そんなとき、偶然、ディラン・トーマスの詩を読んだ。ディランとアレンは音が似ている。ロバート・ディラン。ロバート・アレン。どちらにも決めかねた-(中略)わたしはふだん、ロバートかボビーと呼ばれていたが、ボビー・ディランでは響きが陽気すぎるように思えたし、すでに(中略)ほかにも大勢のボビーがいた。ボブ・ディランならば、ボブ・アレンよりも見てくれも響きもいい。」
  22. ^ 「実際には、彼の親戚にディリオンはいない。」
  23. ^ このシングルは1967年ベネルックス三国ベルギーオランダルクセンブルク)で公式発売されたのみであったが後に『バイオグラフ』が1997年に再編集された際に初回盤に収録されていたAlternate Versionに代わりSingle Versionのステレオミックスが収録された。c/wの「コリーナ、コリーナ (Corrina, Corrina)」もアルバム未収録の別バージョンである。
  24. ^ 『ニューポート・ブロードサイド』(1964年)では「Ye Playboys And Ye Playgirls」が発表された。日本では中川五郎がカバー。
  25. ^ タウン・ホールとカーネギー・ホールでのコンサートは、ライブ・アルバム Bob Dylan In Concert として発売される予定だったが見送りとなった。音源の一部は、後に新譜の特典 Live at Carnegie Hall 19632005年)として配布された。
  26. ^ 『ブロンド・オン・ブロンド』の日本版LPはキーボードがフィーチュアされた幻の「定本」ミックスとする説もある。
  27. ^ これはドラッグソング(もしくは放送倫理規定に抵触するおそれのある曲)の1位到達を避けるための意図的な順位操作と言われている。他の例としてはドノヴァンの「メロー・イエロー (Mellow Yellow)」、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの「ファイアー (Fire)」、ナポレオン14世の「狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ… (They're Coming To Take Me Away, Ha-Haaa!)」などがいずれも2位止まりである。
  28. ^ 1998年に発売された『ロイヤル・アルバート・ホール』は、実際にはマンチェスター、フリー・トレード・ホールの公演が収録されている。この公演は、会場の表記を間違えたブートレグが発売されて有名になっていたため、正規盤として発売された際にも、引用符を付けて "The "Royal Albert Hall" Concert のタイトルであえて名残を残したのである。なお、実際のロイヤル・アルバート・ホール公演の客席にはビートルズローリング・ストーンズチャールズ3世(当時皇太子)がいたということから、当時の関心の高さがうかがえる。なお、会場側の機材の不備により、ミュージシャン側がPAシステムを持ち込むようになったのはこのツアーが初めてである。
  29. ^ なお、あまりのブーイングの激しさに、途中からレヴォンはツアーメンバーを抜け、ドラムはミッキー・ジョーンズに代わっている。
  30. ^ ツアーの終盤にはその「ライク・ア・ローリング・ストーン」はより攻撃的な歌詞を持つ「淋しき四番街」に差し替えられた。
  31. ^ 「人気の面でも創作性の面でも絶頂期にいた」
  32. ^ ウィリアムズ『ボブ・ディラン〜瞬間の轍 1』、p. 263頁。"実際は、怪我は軽いものだった。"。 
  33. ^ 「いったい何が起きたのか正確なことは謎につつまれたままだ。」
  34. ^ ジョン・レノンは "Serve Yourself" というアンサーソングを録音。ローリング・ストーンズらとも非難の応酬になった。
  35. ^ ノップラーはミキシングが一段落した段階で自分の仕事に戻ったのであり、仕事を途中で投げ出したわけではない。そのノップラーミキシングによるバージョンの、ブートレグはあり程度評価された。後日、ノップラーは「あのアルバムは、自分が最後まで手掛けることができれば、もっといい出来になるはずだった」ということをインタビューで述懐している。このことにより二人の不仲も心配されたが、数年後、再度同じステージに立つ機会があった。
  36. ^ エミルー・ハリス、エリック・クラプトンなど彼のレコーディング、リハーサルに参加した者は同じ感想を漏らす。「ディランはメンバーに指示を与えない。楽譜もリードシートもなければ、キーやリズムの指定もない。私達は彼の口と手の動きに最大限の注意を払わなくてはいけない。それが一度きりのセッションだからだ」。
  37. ^ 日本語版は 菅野ヘッケル 訳『ボブ・ディラン自伝』ソフトバンククリエイティブ、2005年7月19日。ISBN 4-7973-3070-8 
  38. ^ 日本でのテレビ初公開は2005年11月23日。
  39. ^ 来日100公演目。
  40. ^ 最終日7月29日に、ヘッドライナーとして登場。

出典

  1. ^ a b c d e f g Erlewine, Stephen Thomas. Bob Dylan | Biography & History - オールミュージック. 2020年6月28日閲覧。
  2. ^ ディラン(2005年)、p. 96[注釈 1]
  3. ^ リバコブ(1974年)、p. 19[注釈 2]
  4. ^ ロトロ(2010年)、p. 124[注釈 3]
  5. ^ リバコブ(1974年)、p. 95[注釈 4]
  6. ^ スカデュト(1973年)、 p.200[注釈 5]
  7. ^ ボブ・ディラン氏にノーベル文学賞”. 日本経済新聞社 (2016年10月13日). 2020年9月17日閲覧。
  8. ^ a b “ボブ・ディランさんにノーベル文学賞 音楽家・作詞家”. 朝日新聞. (2016年10月13日20時11分). オリジナルの2016年10月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161013112026/http://www.asahi.com/articles/ASJBF5VGVJBFUCLV01H.html 2016年10月13日閲覧。 
  9. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  10. ^ http://www.songfacts.com/detail.php?id=3673
  11. ^ 2004年、ニューズウィークのインタビューによる。
  12. ^ http://www.theguardian.com/.../fire-and-brimstone-new-comp...
  13. ^ https://tower.jp/article/news/2010/04/26/44925
  14. ^ “仏当局がボブ・ディランさんを訴追、クロアチア人をナチスと対比で”. AFP. AFP BB NEWS. (2013年12月3日). https://www.afpbb.com/articles/-/3004341 2013年12月5日閲覧。 
  15. ^ “米歌手ディランさん、仏で訴追 クロアチア人への憎悪扇動”. 共同通信. 47news. (2013年12月3日). https://web.archive.org/web/20131206014015/http://www.47news.jp/CN/201312/CN2013120301001603.html 2013年12月6日閲覧。 
  16. ^ “ボブ・ディラン、クロアチア人発言を問われてフランスで刑事裁判に”. NME.COM. rockin'on ro69. (2013年12月4日). https://rockinon.com/news/detail/93340 2013年12月7日閲覧。 
  17. ^ “仏裁判所 B・ディランへの訴え棄却”. SANKEI EXPRESS (産経新聞社). (2014年4月17日). https://web.archive.org/web/20140605051957/http://www.sankeibiz.jp/express/news/140417/exf14041715050001-n1.htm 2014年6月1日閲覧。 
  18. ^ ウィリアムズ(1962年)[注釈 6]
  19. ^ リバコブ(1974年)、p. 19[注釈 7]
  20. ^ ディラン(2005年)、p. 283[注釈 8]
  21. ^ リバコブ(1974年)、p. 19[注釈 9]
  22. ^ ディラン(2005年)、p. 114[注釈 10]
  23. ^ スーンズ(2002年)、pp. 23-25。
  24. ^ スーンズ(2002年)、p. 26[注釈 11]
  25. ^ スカデュト(1973年)、p. 14[注釈 12]
  26. ^ ディラン(2005年)、p. 283[注釈 13]
  27. ^ スカデュト(1973年)、p. 130[注釈 14]
  28. ^ スーンズ(2002年)、p. 30[注釈 15]
  29. ^ Leung, Rebecca (2005年6月12日). “Dylan Looks Back - 60 Minutes - Music Legend Talks To Ed Bradley In His First TV Interview In 19 Years” (英語). CBS News. 2010年3月29日閲覧。 “"I listened to the radio a lot. I hung out in the record stores. And I slam-banged around on the guitar and played the piano and learned songs from a world which didn't exist around me," says Dylan.”
  30. ^ Dylan, Bob (1963年). Album notes for "Joan Baez in Concert, Part 2" by Joan Baez. Vanguard (VRS-9113/VSD-2123). "An' my first idol was Hank Williams"
  31. ^ ディラン(2005年)、p. 60[注釈 16]
  32. ^ ディラン(2005年)、pp. 117-119。
  33. ^ スカデュト(1973年)、pp. 20-27
  34. ^ スーンズ(2002年)、pp. 37-46
  35. ^ ディラン(2005年)、pp. 51-54
  36. ^ Santelli (2005年)、pp. 9-10。"to join "Little Richard""
  37. ^ スーンズ(2002年)、pp. 50-51。
  38. ^ ディラン(2005年)、p. 98[注釈 17]
  39. ^ Williams (1962年)。"For six troubled months, Bob attended the University of Minnesota on a scholarship. But like so many of the restless, questioning students of his generation, the formal confines of college couldn't hold him."
  40. ^ スカデュト(1973年)、p. 58[注釈 18]
  41. ^ ディラン(2005年)、p. 292[注釈 19]
  42. ^ ディラン(2005年)、pp. 293-299。
  43. ^ ディラン(2005年)、p. 97[注釈 20]
  44. ^ ディラン(2005年)、p. 97[注釈 21]
  45. ^ スーンズ(2002年)、p. 47[注釈 22]
  46. ^ ディラン(2005年)、pp. 293-298。
  47. ^ ディラン(2005年)、pp. 300-306。
  48. ^ ディラン(2005年)、pp. 11-28。
  49. ^ ディラン(2005年)、pp. 320-328。
  50. ^ ディラン(2005年)、pp. 84-85。
  51. ^ ディラン(2005年)、pp. 345-346。
  52. ^ Shelton, Robert (1961年9月29日). “"Bob Dylan: A Distinctive Folk-Song Stylist" From the "New York Times"” (英語). bobdylan.com. 2009年10月23日閲覧。
  53. ^ a b ディラン(2005年)、p. 346。
  54. ^ ディラン(2005年)、p. 8。
  55. ^ Scaduto (1973年)、 p. 130。 "Bob Dylan didn't light up skies; it sold only five thousand copies the first year, just enough to break even for Columbia."
  56. ^ Santelli (2005年)、 p. 22。
  57. ^ ディラン(2005年)、pp. 87-89。
  58. ^ ディラン(2005年)、pp. 334-335。
  59. ^ ディラン(2005年)、pp. 338-343。
  60. ^ ディラン(2005年)、pp. 348-356。
  61. ^ ディラン(2005年)、pp. 357-358。
  62. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、pp. 117-118頁。 
  63. ^ ウィリアムズ『ボブ・ディラン〜瞬間の轍 1』、p. 64頁。"突然、彼はかたときも休まずに歌をつくるようになった。"。 
  64. ^ Backfile” (英語). Broadside Magazine. 2009年10月24日閲覧。
  65. ^ Broadside Ballads, Vol. 1” (英語). Smithsonian Folkways. 2009年10月24日閲覧。
  66. ^ Broadside Ballads, Vol. 6: Broadside Reunion” (英語). Smithsonian Folkways. 2009年10月24日閲覧。
  67. ^ ディラン(2005年)、pages=p. 359。
  68. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、pp. 124-125頁。 
  69. ^ ディラン(2005年)、pp. 359-361。
  70. ^ Dylan in the Madhouse” (英語). BBC TV (2007年10月14日). 2009年10月25日閲覧。
  71. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、pp. 133-134頁。 
  72. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 53頁。 
  73. ^ リバコブ(1974年)、pp. 62-63。
  74. ^ Folk Singers: Let Us Now Praise Little Men” (英語). Time (1963年5月31日). 2009年11月7日閲覧。 “Something Unique. There is something faintly ridiculous about such a citybilly, yet Dylan is the newest hero of an art that has made a fetish out of authenticity.”
  75. ^ http://www.bobdylan.com/songs/blowin-wind/
  76. ^ http://www.beatlesbible.com/features/drugs/
  77. ^ リバコブ『ボブ・ディラン』、p. 86頁。 
  78. ^ Exclusive: Dylan at Newport—Who Booed?” (英語). Mojo (2007年10月25日). 2009年8月15日閲覧。
  79. ^ スーンズ(2002年)、p. 229[注釈 31]
  80. ^ スーンズ(2002年)、pp. 227-229。
  81. ^ a b c ディラン『ボブ・ディラン自伝』、p. 138頁。 
  82. ^ スーンズ(2002年)、p. 229。「ボブは意識を失い、首を折り、危篤状態だったと伝えていた」
  83. ^ a b ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 98頁。 
  84. ^ スーンズ(2002年)、p. 228[注釈 33]
  85. ^ a b ウィリアムズ『ボブ・ディラン〜瞬間の轍 1』、p. 264頁。 
  86. ^ a b スーンズ(2002年)、p. 231。
  87. ^ Male, Andrew (2007年11月26日). “Bob Dylan — Disc of the Day: Self Portrait” (英語). Mojo. 2009年11月16日閲覧。 “What is this shit! Greil Marcus said it first in his 1970 Rolling Stone review of Self Portrait
  88. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 107-108頁。 
  89. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 110頁。 
  90. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 113頁。 
  91. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 108頁。 
  92. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 112頁。 
  93. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 108-109頁。 
  94. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 116頁。 
  95. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 115-116頁。 
  96. ^ Bob Dylan cover versions” (英語). Bjorner.com (2002年4月16日). 2008年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月15日閲覧。
  97. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 168頁。 
  98. ^ http://www.christiantoday.co.jp/.../20161015/bob-dylan-faith...
  99. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、p. 194頁。 
  100. ^ http://warehouseeyes.netfirms.com/dead.html
  101. ^ ヘイリン『ボブ・ディラン大百科』、pp. 243-244頁。 
  102. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、p. 404頁。 
  103. ^ Grammy Lifetime Achievement Award” (英語). Grammy.com. 2009年8月15日閲覧。
  104. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、pp. 422-423頁。 
  105. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、p. 434頁。 
  106. ^ Sounes, Howard. Down The Highway: The Life of Bob Dylan. pp. p. 420. "I really thought I'd be seeing Elvis soon." 
  107. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、p. 439頁。 
  108. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、p. 442頁。 
  109. ^ “Remarks by the President at Kennedy Center Honors Reception”. Clinton White House. (1997年12月8日). http://clinton4.nara.gov/textonly/WH/New/html/19971208-2814.html 2009年11月16日閲覧. "He probably had more impact on people of my generation than any other creative artist." 
  110. ^ スーンズ『ダウン・ザ・ハイウェイ』、pp. 445-448頁。 
  111. ^ HFPA - Award Search -” (英語). Golden Globe, Hollywood Foreign Press Association (2004年10月6日). 2009年11月6日閲覧。
  112. ^ Dansby, Andrew (2001年3月26日). “Dylan Wins Oscar” (英語). Rolling Stone. 2009年11月6日閲覧。
  113. ^ Dylan, Waits, Costello Help Soul Legend Regain His Throne - Music, Celebrity, Artist News | MTV 2011年10月30日閲覧
  114. ^ Bob Dylan: American Masters” (英語). PBS. 2009年11月6日閲覧。 “Thirteen/WNET New York and Sikelia Productions, in co-production with Vulcan Productions, BBC and NHK, will make its U.S. broadcast premiere on Thirteen/WNET’s award-winning AMERICAN MASTERS series Monday and Tuesday, September 26-27 at 9 p.m. (ET) on PBS”
  115. ^ George Foster Peabody Award Winners” (PDF) (英語). Peabody (2006年). 2011年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月6日閲覧。
  116. ^ Past duPont Award Winners” (英語). The Journalism School, Columbia University (2007年). 2009年11月6日閲覧。
  117. ^ Bob Dylan Way - Duluth, MN” (英語). Bob Dylan Way. 2010年8月7日閲覧。
  118. ^ Dylan gets first US number one for 30 years” (英語). NME (2006年9月7日). 2009年8月15日閲覧。
  119. ^ “2006 Flashback: "Modern Times", "Crazy" and the Year's Best Music” (英語). Rolling Stone. (2009年12月30日). http://www.rollingstone.com/music/daily-blog/blogs/rsstaffblogpost_2011/46536/39509 2010年8月7日閲覧。 
  120. ^ Modern Times, Album of the Year, 2006” (英語). Uncut. (2006年12月16日). http://www.uncut.co.uk/music/uncut/news/9182 2010年8月7日閲覧。 
  121. ^ The Pulitzer Prize Winners 2008: Special Citation” (英語). Pulitzer (2008年5月7日). 2010年3月29日閲覧。 “Awarded to Bob Dylan for his profound impact on popular music and American culture, marked by lyrical compositions of extraordinary poetic power.”
  122. ^ Caulfield, Keith (2009年5月6日). “Bob Dylan Bows Atop Billboard 200” (英語). Billboard. 2009年9月5日閲覧。
  123. ^ Dylan is in chart seventh heaven” (英語). BBC News (2009年5月3日). 2009年9月5日閲覧。
  124. ^ Bob Dylan’s Holiday LP Christmas in the Heart Due October 13th” (英語). bobdylan.com (2009年8月25日). 2009年11月27日閲覧。
  125. ^ 2010来日記念スペシャル・サイト: NEWS”. ソニー・ミュージック. 2010年8月7日閲覧。
  126. ^ ディランさん「栄誉に感謝」=ノーベル文学賞受け入れ - 時事通信 2016年10月29日
  127. ^ ボブ・ディラン氏、ノーベル賞沈黙は「言葉失っていた」 朝日新聞2016年10月29日
  128. ^ 邦題の典拠:ラフ&ロウディ・ウェイズ”. ソニー・ミュージックエンタテインメント. 2020年7月8日閲覧。
  129. ^ 日本盤は7月8日リリース:ラフ&ロウディ・ウェイズ”. ソニー・ミュージックエンタテインメント. 2020年7月8日閲覧。
  130. ^ BOB DYLAN And HIS BAND! In Show & Concert!”. ウドー音楽事務所. 2020年7月8日閲覧。
  131. ^ ボブ・ディラン、来日公演が中止”. BARKS. 2020年7月8日閲覧。
  132. ^ “ボブ・ディラン氏の全曲、米ユニバーサルが著作権取得…ストリーミング収入増で楽曲の価値高まる”. 読売新聞. (2020年12月8日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201208-OYT1T50153/ 
  133. ^ “ソニー、ボブ・ディランさんの全曲権利を取得”. 日本経済新聞. (2022年1月25日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC250LQ0V20C22A1000000/ 2022年1月26日閲覧。 
  134. ^ Takuro Yoshida: Shangri-LaThe Band Website (英語)
  135. ^ 吉田拓郎さん「ボブ・ディランがいたから今日がある」 | NHK NEWS WEB天風録 「ディランがいたから」中国新聞 2016年10月15日朝刊一面柳井康弘「吉田拓郎が日本のフォークソングに与えた偉大なる影響 : 私生活フォークの成立と「僕の歌」をめぐって(芸術のロケーション)」『Booklet』第12巻、慶應義塾大学、2004年1月31日、83-92頁、NAID 110004646497 
  136. ^ a b c みうらじゅんさん、ボブ・ディランを語り尽くす スポーツ報知【みうらじゅん インタビュー6 <祝!ノーベル文学賞>米国音楽界の巨人 ボブ・ディラン特集
  137. ^ a b 竹中晃のコラム ポケットにいつも音楽を入れて- 第101回 “拓郎経由”のボブ・ディラン レディオ・グラフィティ - 北日本放送|KNB WEB
  138. ^ a b 『Gauguin(ゴーギャン)』、2008年4月号・東京ニュース通信社、p. 17
  139. ^ 山本コウタロー『誰も知らなかった吉田拓郎』イーストプレス、2009年、p. 3
  140. ^ 浦沢直樹和久井光司共著『ディランを語ろう』、小学館、2007年、p. 48
  141. ^ 『ディランを語ろう』、p. 38
  142. ^ 浦沢直樹が見たディラン 「飽きる大切さ教えてくれる」ボブ・ディランを「聴いて歌って描きまくる」!浦沢直樹展記念イベントで語られた、マンガと音楽の熱い関係
  143. ^ 日本人が知らない「カズオ・イシグロ」の素顔” (2017年10月6日). 2022年3月11日閲覧。


「ボブ・ディラン」の続きの解説一覧

ボブ・ディラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)

吉田拓郎」の記事における「ボブ・ディラン」の解説

楽曲生き方含めてボブ・ディランの影響強く受けたことはよく知られる拓郎は「ギター一本自分音楽発表できることを知って人生変わった。ただし音楽スタイルメロディが好きで、イデオロギー憧れたのではない」と話している。

※この「ボブ・ディラン」の解説は、「吉田拓郎」の解説の一部です。
「ボブ・ディラン」を含む「吉田拓郎」の記事については、「吉田拓郎」の概要を参照ください。


ボブ・ディラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 19:14 UTC 版)

エド・サリヴァン・ショー」の記事における「ボブ・ディラン」の解説

1963年5月12日にはボブ・ディランが出演する予定だった。彼にとっても初めての全米中継テレビ番組であった当日本番前午後にリハーサルが行われたが、予定していた「ジョン・バーチ・ソサエティ・ブルース」は「赤狩り」に関連づけられた曲(反共団体ジョン・バーチ・ソサエティ」を揶揄した曲)で、CBS側は「放送ふさわしくない」と曲の変更要求した。するとディランはそれを拒否歌えないのなら番組には出ないと、スタジオから出て行ってしまった。

※この「ボブ・ディラン」の解説は、「エド・サリヴァン・ショー」の解説の一部です。
「ボブ・ディラン」を含む「エド・サリヴァン・ショー」の記事については、「エド・サリヴァン・ショー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ボブディラン」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「ボブ・ディラン」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ボブディラン」の関連用語

ボブディランのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ボブディランのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのボブ・ディラン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの吉田拓郎 (改訂履歴)、エド・サリヴァン・ショー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS