ボブ・ディランと共演(1965年)
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「ポール・バターフィールド」の記事における「ボブ・ディランと共演(1965年)」の解説
1965年の7月にニューポート・フォーク・フェスティバルにブッキングされ、多くの観客を集める。この頃、ボブ・ディランのマネージャー、アルバート・グロスマンと契約を結ぶ。 マリア・マルダーは夫ジェフ・マルダーと一緒にその演奏を見て「衝撃的だった」と回想した。多くのフォーク・ファンにとって、激烈なエレクトリック・ブルース・コンボを見るのは初めてのことだった。 フェスティバルにレギュラー出演していたディランはその場で彼らをバックバンドに指名し、翌日、エレクトリックで4曲演奏した。これが「電気ディラン論争」の始まりである。バンドにとっては大衆に知られる機会となった。 1965年にようやくデビュー・アルバム『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』を録音、発売。再録音の「Born in Chicago」がアルバムのトーンを決めた。アルバムにはブルース・スタンダードの「Shake Your Moneymaker」「Blues with a Feeling」「Look Over Yonders Wall」や自作曲が収録された。翌年ビルボードで123位となる。セールス以上に大きな影響力を与えた。
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