ボブ・ディラン_(アルバム)とは? わかりやすく解説

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ボブ・ディラン (アルバム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 23:14 UTC 版)

ボブ・ディラン』(: Bob Dylan)は、1962年にリリースされたボブ・ディランのデビュー・スタジオ・アルバム。ディランを見出したコロムビア・レコードジョン・ハモンドによりプロデュースされ、2曲の自作曲「ウディに捧げる歌」「ニューヨークを語る」の他、「朝日のあたる家」「死にかけて」などトラディショナルなフォークブルースの楽曲を主に収録している。


注釈

  1. ^ ロトロ(2010年)、p. 172。「九月二十六日の『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された」と記述しているが誤り。
  2. ^ スカデュト(1973年)、p. 156。「キャロリン・ヘスター。『私のレコーディング・セッションの日はあの批評がでた日で、』」と記述。
  3. ^ ヘイリン(1990年)、p. 37。「SEPTEMBER 29th, 1961 キャロリン・ヘスターのレコーディングのための「西10番ストリートのリハーサル」に参加する。コロンビア・レコーズプロデューサージョン・ハモンドも同席する。当然のことながら、ディランはその日ニューヨーク・タイムズ紙に載ったレヴューをハモンドに見せる。[RS]」とする説もある。
  4. ^ ブートレッグ・シリーズ第1〜3集(1991年)、「3/19/62」と表記。
  5. ^ スカデュト(1973年)、p. 175。「アルバムは二月の終りに発売された。」と記述。

出典

  1. ^ 『ボブ・ディラン全詩302編』晶文社
  2. ^ スカデュト(1973年)、pp. 148-151。
  3. ^ スーンズ(2002年)、pp. 106-107。
  4. ^ ディラン(2005年)、pp. 344-345。
  5. ^ スカデュト(1973年)、p. 154。「九月二六日に始まる二週間の仕事の契約を、マイク・ポーコは再びディランとかわした。リード・アクトとして、グリーンブライア・ボーイズも、同じちらしに載っていた。」
  6. ^ Santelli (2005年)、p. 17。
  7. ^ ディラン(2005年)、p. 346。「当時、わたしはアメリカ一のフォーククラブ、ガーディス・フォーク・シティにブルーグラスバンド、グリーンブライアー・ボーイズといっしょに出演していた。」
  8. ^ スカデュト(1973年)、p. 154。「ディランは<タイムズ>誌のインタヴューに応ずる用意がやっとできた。そして、そのオープニングの晩に、シェルトンがやってきたのだった。」
  9. ^ スーンズ(2002年)、p. 107。「演奏のあとは、裏のキッチンで、生まれて初めてのインタヴューがおこなわれた。」
  10. ^ Shelton (1961年)
  11. ^ ディラン(2005年)、p. 346。「そして『ニューヨーク・タイムズ』紙のフォーク&ジャズのコーナーに、わたしを絶賛するコンサート評が載った。」
  12. ^ ロトロ(2010年)、pp. 174-175。「『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたロバート・シェルトンのコンサート評。」(写真)
  13. ^ ヘイリン(1990年)、p. 37。「SEPTEMBER 30th, 1961 ニューヨークのCBSのスタジオでおこなわれたキャロリン・ヘスターのレコーディングで、ハーモニカを吹く。」
  14. ^ スーンズ(2002年)、p. 108。「つぎの日、キャロリン・ヘスターのレコーディングセッションで、」
  15. ^ ディラン(2005年)、p. 346。「『ニューヨーク・タイムズ』の記事が出たのはキャロリンのレコーディング・セッションの前日の夜で、」
  16. ^ リバコブ(1974年)、p. 47。
  17. ^ ディラン(2005年)、p.346。
  18. ^ リバコブ(1974年)、p. 47。「タイムズの批評を見せて、自分がどんな才能を持っているかガーディズへ聞きに来てくれと言った。」
  19. ^ スカデュト(1973年)、p. 156。「キャロリン・ヘスター。『(中略)ディランはそれを持ってきていました。まったく、彼はそれに大喜びしていました。』」
  20. ^ スーンズ(2002年)、p. 108。「ボブは友人たちがまだ読んでないかのように『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を見せてまわった。」
  21. ^ スカデュト(1973年)、p. 156。「キャロリン・ヘスター。『(中略)それに、ディックも私もその記事を持っていました。そのセッションでギターを弾いていたブルース・ラングホーンも、それを持っていました。そんな調子ですから、ハモンドもそれを見たわけです。』」
  22. ^ ディラン(2005年)、p.346。「次の日の朝、ハモンドは新聞を読んだ。」
  23. ^ スカデュト(1973年)、p. 156。「キャロリン・ヘスター。『(中略)ハモンドもそれを見たわけです。私たちは、毎日スタジオで仕事をしていましたが、私には、ハモンドがますます彼に魅かれていくのがわかりました。』」
  24. ^ ロトロ(2010年)、p. 181。「『ニューヨーク・タイムズ』の記事が効果を発揮していた。」
  25. ^ スカデュト(1973年)、p. 156。「ハモンド。『前に取り決めた日に、約束どおり彼がやってきて、デモンストレーション用に、何曲かやった。まず最初に、『ニューヨークを語る』をやったが、聴いたとたん、私はいっぺんで気に入ってしまった。君にコロンビアでレコードを作って欲しい、と私は言って、さっそく契約書の作成にとりかかった。』」
  26. ^ スーンズ(2002年)、p. 108。「たしかに、契約の前に形式的なオーディションがおこなわれた可能性はある。」
  27. ^ ディラン(2005年)、pp. 347-348。
  28. ^ リバコブ(1974年)、p. 47。「ハモンドは歌手であった息子からディランの才能についてはあらかじめ聞いていた。ハモンドの息子はディランを激賞していたのである。」
  29. ^ スーンズ(2002年)、p. 106。「ハモンド・ジュニアはヴィレッジにいる若いミュージシャンたちのことを父親に話し、そのなかにボブもいた。」
  30. ^ スーンズ(2002年)、p. 112。「この二週間後の感謝祭の直前、彼はマンハッタンにあるコロムビアのAスタジオに入り、デビューアルバム『ボブ・ディラン』を録音した。」
  31. ^ ヘイリン(1990年)、p. 39。「NOVEMBER 20th & 22nd,1961 わずか2回のレコーディング・セッションで1枚目のアルバムを録音する。プロデューサーはジョン・ハモンド。」
  32. ^ スカデュト(1973年)、p. 168。「そして、コロンビアがそのアルバムを作るのに使った費用は、正確に四〇二ドルだった。」
  33. ^ Scaduto (1973年)、p. 124。"At the end of November, 1961, Suze went into the studio with Bob for one of his recording sessions"
  34. ^ ディラン(2005年)、p. 344。「コロンビア・レコードでレコーディングを始めたときも、スージーがそばにいた。」
  35. ^ ロトロ(2010年)、pp. 183-184。
  36. ^ ヘイリン(1990年)、p. 39。
  37. ^ ブートレッグ・シリーズ第1〜3集(1991年)
  38. ^ ブートレッグ・シリーズ第1〜3集(1991年)
  39. ^ ヘイリン(1990年)、p. 39。
  40. ^ スカデュト(1973年)、p. 168。
  41. ^ リバコブ(1974年)、p. 137。
  42. ^ Scaduto (1973年)、p. 125。"I said no. I can't see myself singing the same song twice in a row. That's terrible."
  43. ^ リバコブ(1974年)、p. 48。
  44. ^ Santelli (2005年)、p. 15。
  45. ^ スカデュト(1973年)、pp. 168-169。
  46. ^ ディラン(2005年)、p. 325。
  47. ^ ディラン(2005年)、p. 66。
  48. ^ ディラン(2005年)、p. 282。
  49. ^ ローダー(1988年)、p. 34。
  50. ^ ディラン(2005年)、p. 326。
  51. ^ Williams (1962年)。"The guitar is fretted with the lipstick holder he borrowed from his girl, Susie Rotolo"
  52. ^ ロトロ(2010年)、p. 183。
  53. ^ リバコブ(1974年)、p. 143
  54. ^ Williams (1962年)
  55. ^ ヘイリン(1990年)、p. 37。「LATE DECEMBER 1961 ロバート・シェルトンが2度目のインタヴューをする。(中略)シェルトンはステイシー・ウィリアムズの筆名で、このインタヴューを材料にし、ディランのファースト・アルバムのライナー・ノーツを書いた。」
  56. ^ ロトロ(2010年)、p. 183。「アルバムが発売されたとき、ロバート・シェルトンが「ステイシー・ウイリアムズ」という別名で書いたライナー・ノーツを呼んで、わたしは笑ってしまった。」
  57. ^ スカデュト(1973年)、p. 176。
  58. ^ スーンズ(2002年)、p. 121。
  59. ^ Siegel (1966年)
  60. ^ スカデュト(1973年)、p. 176。「最初の年はたった五千枚売れただけで、コロンビアにとっては、損も得もない五分五分の収支だった。」
  61. ^ スカデュト(1973年)、p. 176。
  62. ^ “Complete List of NARAS Awards Nominees”. Billboard (The Billboard Publishing Company) (April 20, 1963): p. 30. https://books.google.co.jp/books?id=YQsEAAAAMBAJ&lpg=PA30&dq=1963%20bob%20dylan%20billboard&pg=PA30#v=onepage&q&f=false 2011年3月4日閲覧。. 
  63. ^ ヘイリン(1990年)、p. 261。「May 8th, 1965 (中略) <<BOB DYLAN>> が UK チャートに初登場。最高時は13位まで上昇。チャート内に6週とどまる。」
  64. ^ Bob Dylan” (英語). bobdylan.com. 2011年3月3日閲覧。 “03/19/1962”
  65. ^ ボブ・ディラン(MHCP-835)”. オリコン. 2009年8月11日閲覧。
  66. ^ ボブ・ディラン(25DP-5281)”. オリコン. 2009年8月11日閲覧。
  67. ^ ボブ・ディラン(SRCS-6331)”. オリコン. 2009年8月11日閲覧。
  68. ^ ボブ・ディラン(SRCS-9239)”. ソニー・ミュージック. 2009年8月11日閲覧。
  69. ^ ボブ・ディラン(MHCP-835)”. ソニー・ミュージック. 2009年8月11日閲覧。
  70. ^ ボブ・ディラン(MHCP-1213)”. ソニー・ミュージック. 2009年8月11日閲覧。
  71. ^ ボブ・ディラン(SICP-20213)”. ソニー・ミュージック. 2009年8月11日閲覧。


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