ディラントーマス
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ディラントーマス | ||||||||||||||||||||||||
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ディラントーマス(右)2007年香港ヴァーズ
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品種 | サラブレッド | |||||||||||||||||||||||
性別 | 牡 | |||||||||||||||||||||||
毛色 | 鹿毛 | |||||||||||||||||||||||
生誕 | 2003年4月23日 | |||||||||||||||||||||||
父 | Danehill | |||||||||||||||||||||||
母 | Lagrion | |||||||||||||||||||||||
生国 | ![]() |
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生産者 | Tower Bloodstock | |||||||||||||||||||||||
馬主 | Mrs.John Magnier | |||||||||||||||||||||||
調教師 | Aidan Patrick O'Brien(アイルランド) | |||||||||||||||||||||||
競走成績 | ||||||||||||||||||||||||
生涯成績 | 18戦10勝 | |||||||||||||||||||||||
獲得賞金 | 3,330,647ポンド | |||||||||||||||||||||||
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ディラントーマス (Dylan Thomas) はアイルランドの競走馬である。芝の中長距離を得意とし、アイリッシュダービーやキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞に優勝するなど活躍した。2007年度カルティエ賞年度代表馬、最優秀古馬。
半姉にチェヴァリーパークステークスを勝ったクイーンズロジック (Queen's Logic) 、半妹にイギリス1000ギニーを勝ったホームカミングクイーン (Homecoming Queen) がいる。
概要
2歳・3歳時(2005年・2006年)
デビューから2連勝で初重賞挑戦となったオータムステークス(G3)では単勝1番人気になるも勝ち馬からクビ差の2着と惜敗。初G1挑戦となったレーシングポストトロフィーも6着と惨敗した。
しかし距離を伸ばした翌2006年初戦のダービートライアルステークス (G2) で初重賞制覇すると、ダービーステークス3着をはさんで挑んだアイリッシュダービーで初G1制覇を挙げる。インターナショナルステークスでは4着と凡走したが続くアイリッシュチャンピオンステークスでも女傑・ウィジャボードを破りG1勝ち数を2に伸ばした。この後陣営はアメリカ遠征を行い、ブリーダーズカップ・クラシック参戦を視野に入れその前哨戦としてジョッキークラブゴールドカップに出走したが、初のダート戦であったこの競走では勝ち馬・バーナーディニらに全く付いていけず、32馬身1/4差も離された最下位の4着に大敗してしまう。この結果からブリーダーズカップ・クラシックへの出走は断念され、帰国して休養に入ることとなった。
4歳時(2007年)
体勢を立て直した2007年は初戦のリステッド競走・アレッジドステークスで圧倒的な1番人気に応え3馬身差の快勝。続くガネー賞 (G1) でも勝利した。その後はタタソールズゴールドカップ、プリンスオブウェールズステークスで共に2着に敗れたが、イギリスの最高峰の競走であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは4馬身差の快勝。改めて実力を示した。次走のインターナショナルステークスでは当年のエプソムダービー勝ち馬のオーソライズドに1馬身差届かず2着に敗戦したが、アイリッシュチャンピオンステークスでは史上初の連覇を達成した。
続いて第86回凱旋門賞に出走する。当レースは3歳馬が有利とあって、レース前にはオーソライズド圧倒的に有利と言われていた。そのレースでは、最後の直線で馬群中団から力強く抜け出すが、最後に失速してユームザインに頭差まで詰め寄られるが何とか押し切ってゴール板を駆け抜けた。しかし、斜行したことによりソルジャーオブフォーチュンの進路を妨害し30分近く審議が行われたが、最後は着順通り決まり晴れて優勝が決まった。エイダン・オブライエン調教師に初の凱旋門賞勝利をもたらした。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと凱旋門賞の同一年制覇は1995年のラムタラ以来、古馬としては1958年のバリーモス以来のことであった。しかし、同馬が降着にならなかったことに対しては、問題になり、国によって異なる制裁に対して、見直しを求める声も多かった。
次走はブリーダーズカップ・ターフに出走。しかし、イングリッシュチャンネルの5着と敗れた。これを最後に引退を予定されていたが、第27回ジャパンカップの招待を受諾し、11月15日に来日した。来日後は競馬学校で調整が続けられていたが、11月20日に馬ウイルス性動脈炎 (EVA) の陰性が確認できなかったため[1]、日本とアイルランド両国間の衛生条件上の規定により、日本への入国が許可されず、同競走に出走できなくなった。そのため代わりとして香港ヴァーズに急遽出走することとなり、11月26日に香港へ向けて出発した。12月9日に行われた香港ヴァーズでは1番人気に推されたが、レースではやや出遅れて道中後方に待機するも直線での不利もあって全く伸びず、ドクターディーノの7着と大敗した。
競走成績
出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 着順 | 騎手 | 着差 | 1着(2着)馬 |
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2005.06.30 | ティペラリー | 未勝利 | 芝7f100y | 1着 | K.ファロン | 1馬身 | (Galantas) | |
2005.09.10 | レパーズタウン | レヴィS | 芝7f | 1着 | K.ファロン | 3/4馬身 | (Royal Power) | |
2005.09.10 | ソールスベリー | オータムS | G3 | 芝8f | 2着 | J.ムルタ | クビ | Blitzkrieg |
2005.10.22 | ドンカスター | レーシングポストトロフィー | G1 | 芝8f | 6着 | J.ムルタ | 6 3/4馬身 | Palace Episode |
2006.05.14 | レパーズタウン | ダービートライアルS | G2 | 芝10f | 1着 | J.ヘファーナン | 1 1/2馬身 | (Mountain) |
2006.06.03 | エプソム | ダービーS | G1 | 芝12f10y | 3着 | J.ムルタ | クビ | (Sir Percy) |
2006.07.02 | カラ | 愛ダービー | G1 | 芝12f | 1着 | K.ファロン | 3 1/2馬身 | (Gentlewave) |
2006.08.22 | ヨーク | 英国際S | G1 | 芝10f88y | 4着 | M.キネーン | 3馬身 | Notnowcato |
2006.09.09 | レパーズタウン | 愛チャンピオンS | G1 | 芝10f | 1着 | K.ファロン | クビ | (Ouija board) |
2006.10.07 | ベルモントパーク | ジョッキークラブGC | G1 | D10f | 4着 | J.ヴェラスケス | 32 1/4馬身 | Bernardini |
2007.04.15 | カラ | アレッジドS | L | 芝10f | 1着 | J.ヘファーナン | 3馬身 | (Fracas) |
2007.04.29 | ロンシャン | ガネー賞 | G1 | 芝2100m | 1着 | C.スミヨン | 2馬身 | (Irish Wells) |
2007.05.27 | カラ | タタソールズGC | G1 | 芝10f110y | 2着 | J.ヘファーナン | アタマ | Notnowcato |
2007.06.20 | アスコット | プリンスオブウェールズS | G1 | 芝10f | 2着 | C.スミヨン | 1 1/4馬身 | Manduro |
2007.07.28 | アスコット | KGVI&QES | G1 | 芝12F | 1着 | J.ムルタ | 4馬身 | (Youmzain) |
2007.08.19 | ヨーク | 英国際S | G1 | 芝10f88y | 2着 | J.ムルタ | 1馬身 | Authorized |
2007.09.08 | レパーズタウン | 愛チャンピオンS | G1 | 芝10f | 1着 | K.ファロン | 1 1/2馬身 | (Duke of Marmalade) |
2007.10.07 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 芝2400m | 1着 | K.ファロン | アタマ | (Youmzain) |
2007.10.27 | モンマスパーク | BCターフ | GI | 芝12f | 5着 | J.ムルタ | 8 1/2馬身 | English Channel |
2007.12.09 | 沙田 | 香港ヴァーズ | G1 | 芝2400m | 7着 | J.ムルタ | 4 3/4馬身 | Doctor Dino |
f: furlong (ハロン) 201.168 m
y: yard (ヤード) 0.9144 m
種牡馬時代
2008年からアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付料は5万ユーロ。初年度産駒は2011年デビュー。
代表産駒
※馬名はアルファベット順で表記、斜体はローカルグレード
- 2009年生
- Blazing Speed / ブレイジングスピード - 2014年香港スチュワーズカップ、2015年クイーンエリザベス2世カップ、2016年香港チャンピオンズ&チャターカップ
- Nymphea / ニンフェア - 2013年ベルリン大賞
- Tannery / タネリー - 2013年E.P.テイラーステークス
- 2010年生
- Pether's Moon / ペサーズムーン - 2015年コロネーションカップ
- 2011年生
- Dylan Mouth / ディランマウス - 2014年ジョッキークラブ大賞、2015年ミラノ大賞
- Final Score / *ファイナルスコア - 2014年リディアテシオ賞
- 2012年生
- Nightflower / ナイトフラワー - 2015年・2016年オイロパ賞
※カタカナ馬名に付された*は、本邦輸入馬であることを示す。
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
- カシアス / Kemono (2015年産 2017年函館2歳ステークス、父キンシャサノキセキ、母ラブディラン)[2]
血統表
ディラントーマスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ダンジグ系(デインヒル系) |
[§ 2] | ||
父
*デインヒル 1986 鹿毛 |
父の父
Danzig1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | |||
Petitioner | ||||
父の母
Razy Ana1981 黒鹿毛 |
His Majesty | Ribot | ||
Flower Bowl | ||||
Spring Adieu | Buckpasser | |||
Natalma | ||||
母
Lagrion 1989 黒鹿毛 |
Diesis 1980 栗毛 |
Sharpen Up | *エタン | |
Rocchetta | ||||
Doubly Sure | Reliance | |||
Soft Angels | ||||
母の母
Wrap It Up1979 |
Mount Hagen | Bold Bidder | ||
Moonmadness | ||||
Doc Nan | Francis S. | |||
Betty W. | ||||
母系(F-No.) | (FN:9-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Native dancer 5・5×5、Tom Fool 5×5、Natalma 4・4(父内) | [§ 4] | ||
出典 |
- 甥に2020年英ダービー勝ち馬のサーペンタイン、2024年ファルコンステークス勝ち馬のダノンマッキンリーがいる。
脚注
- ^ 欧州では種牡馬入りする際にEVAのワクチン接種が義務付けられており、ディラントーマスもブリーダーズカップを最後に引退する予定だった為、このワクチンを接種していたことから陽性反応が出てしまった。急遽のジャパンカップ参戦が裏目に出た形となってしまったが、この件では陣営の不手際への批判だけでなく、一部マスコミからはJRAに対する柔軟な対応をすべきだったという批判の声もあった。この後出走した香港の競馬会からは、ワクチンによる陽性反応であることが明らかな為、レース前の検疫で陰性が確認できなくとも出走を認めるという判断が下された。
- ^ “カシアス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年12月11日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Dylan Thomas(IRE)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年3月15日閲覧。
- ^ ディラントーマス|競走馬データnetkeibaより 2017年12月11日閲覧
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
ディラン・トマス
(ディラン・トーマス から転送)
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ディラン・マーレイス・トマス(Dylan Marlais Thomas, 1914年10月27日 - 1953年11月9日)は、ウェールズの詩人および作家。
生涯
ディラン・トマスは海沿いの町であるスウォンジーで生まれた。英語の学位を持つ作家である父デイヴィッドは、ディランを母語のウェールズ語ではなく英語で教育させた。ミドルネームの「マーレイス」は、吟遊詩人でユニテリアン派の牧師であった叔父のギウィリム・マーレイス(Gwilym Marles, 本名はウィリアム・トマス)から取ったものであった。
トマスは男子校のスウォンジー・グラマー・スクール(現在のビショップ・ゴア・スクール)に通学した。彼の父親は同校で英文学を教えた。ディランが初めての作品を発表したのは同校の学校誌であった。彼は1年半の通学後、リポーターになるため16歳で学校を去った。
トマスの幼年期の大半はスウォンジーで費やされ、夏になると彼はカマーゼンにある母親の実家の農場で過ごした。田舎での生活とスウォンジーの町での生活の対比は、彼の多くの短編やラジオ・エッセイ、代表作である「ファーン・ヒル」の中から窺える。
トマスはその詩のおよそ半分と多くの短編小説を、家族とともに暮らした5 Cwmdonkin Driveの生家で執筆した。「And death shall have no dominion」はそこで執筆された最も有名な著作の内の一つである。最初の詩集『18 Poems』は1934年11月に出版され、彼は最も刺激的な若い英語詩人の一人となった。
1937年にトマスはケイトリン・マクナマラ(1913年 - 1994年)と結婚し、彼らは3人の子供をもうける。1939年1月に最初の息子、リーウェリン(2000年死去)が生まれる。1943年3月には娘のアーロニィ、1949年7月には息子のコルム・ガランが生まれている。ケイトリンとのハネムーンは、知り合いの経営するホテルがあるコーンウォール・マウゼルで過ごした[1]。
トマスはアメリカ合衆国でのプロモーション旅行中の1953年11月4日、ニューヨークのホワイト・ホース・タバーンで過度の飲酒の後に倒れ、5日後の11月9日、セント・ヴィンセント病院で39歳という若さで死去する。その死因は肺炎と、脳および脂肪肝に対する圧力が要因であったと記録される。彼は死の直前「僕は18杯のストレート・ウィスキーを飲んだんだ。これは凄い記録だと思う」と言い、愛人のリズ・ライテルに対して「愛してるよ。でも僕は孤独なままだ」と語った。死後に彼の遺体はウェールズに帰され、彼が最も幸せな時期を過ごしたラーンの村の墓地に埋葬された。1994年には妻のケイトリンが死去し、彼の隣に埋葬された。
経歴と影響
ディラン・トマスは、英語で執筆を行う最も偉大な20世紀の詩人のうちの一人として見なされる。彼は現在もアングロ・ウェールズ文学の第一人者である。彼の作品における鮮明かつ空想的なイメージは、20世紀の詩文学界においては否定される傾向にあった。同時代の作家達は政治的・社会的で深刻な問題を取り上げたが、トマスは感情と情熱に従い、その作品は多くの場合激しく個人的で、猛烈に感傷的であった。トマスはあらゆる面において同時代の詩人に比べよりロマンチストであった。彼の短編小説は詩を拡大したもので、最も有名なものは1940年に発表された半自伝的作品『Portrait of an Artist as a Young Dog』であった。 1960年代に活躍し、数々のアーティストに影響を与え、ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの名は彼の名前から採られた。 後に「カードマー・ボーイズ」として知られたトマスのサークルには、作曲家で幼少時からの学友であったダニエル・ジョーンズ、詩人のヴァーノン・ワトキンス、芸術家のアルフレッド・ジェーンやマーヴィン・レヴィが加わっていた。彼らはしばしばコーヒー・ショップで会合を行った。
トマスはイギリスのロマン派詩人であり『Sunday Referee』誌の編集人を務めていたヴィクター・ベンジャミン・ニューバーグの目にとまり、ロンドンに招かれ有力な文芸評論家に紹介された。
彼はラジオ劇の『Under Milk Wood』や、「Do not go gentle into that good night」といった詩によって知られているが、それらは死に際した自らの父親への嘆願と、短編小説の『A Child's Christmas in Wales』や『The Outing』の翻案として解釈されている。
また、C・W・ニコルが7~8歳のころ、ウェールズにいた母方の祖父のジョージ・ライスの知り合いで、学習障害に悩んだ少年ニコルを励ましたことがあった(『小さな反逆児』「トマスさん」より)。
記念物
トマスの最も有名な一節「Do not go gentle into that good night」に因んだ記念物が数多く作られている。彼の故郷スウォンジーを訪れた観光客は、「ディラン・トマス劇場」と「ディラン・トマス・センター」を訪れることができる。後者は以前町の催事場であったもので、現在は文学記念館として展示会や講演が行われたり、毎年ディラン・トマス・フェスティバルが開催される。また他に、彼が幼年時遊んだカムドンキン公園には記念碑が建てられている。その碑には彼が最も愛した作品の一つ「ファーン・ヒル」の一節「Oh I was young and easy in the mercy of his means/Time held me green and dying/Though I sang in my chains in the sea」が刻まれる。また、ラーンの自宅「ボート・ハウス」も記念物である。
スウォンジーのパブのいくつかは、彼との関係を示している。スウォンジーの最も古いパブのうちの1つ「No Sign Bar」は彼の小説『The Followers』にちなんで「Wine Vaults」と改名している。
主な著作
詩
- Collected Poems 1934 - 1953 (London: Phoenix, 2003)
- Selected Poems (London: Phoenix, 2001)
散文
- Collected Letters
- Collected Stories
- Portrait of the Artist as a Young Dog
- Under Milk Wood
日本語訳
- 『ディラン・トマス全詩集』 松田幸雄訳、青土社、2005年
- 『ディラン・トマス詩集 双書・20世紀の詩人』 松田幸雄編訳、小沢書店、1994年
- 『ディラン・トマス全集』 松田幸雄ほか訳、国文社、1976-85年
-
- 1巻 詩集、3巻 評論、4巻 戯曲、別巻は作品論集。第2巻は未刊
- 『ディラン・トマス書簡集』 徳永暢三・太田直也編訳、東洋書林、2010年
- 『緑の導火線 詩画集』 真辺博章訳、沖積舎、2015年
- 『ディラン・トマス少年小説集』 松浦直巳・仲渡一美・柴田元幸訳、国文社、2020年
参考文献
- Bold, Alan (1976). Cambridge Book of English Verse, 1939–1975. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-09840-3
- Ellis, Hannah (ed) (2014). Dylan Thomas: A Centenary Celebration, London: Bloomsbury
- Ferris, Paul (1993). Caitlin, The life of Caitlin Thomas. London: Pimlico. ISBN 978-0-7126-6290-1
- Ferris, Paul (1989). Dylan Thomas, A Biography. New York: Paragon House. ISBN 978-1-55778-215-1
- Firmage, George J., ed (1963). A Garland for Dylan Thomas. New York: Clarke & Way
- FitzGibbon, Constantine (1965). The Life of Dylan Thomas. J.M. Dent & Sons ltd
- Goodby, John (2013). The Poetry of Dylan Thomas: Under the Spelling Wall. Oxford: Liverpool University Press. ISBN 978-1-78138-937-9
- Glyn Jones (1968). The Dragon has Two Tongues. London: J.M. Dent & Sons ltd
- Korg, Jacob (1965). Dylan Thomas. Twayne Publishers. ISBN 978-0-8057-1548-4
- Lycett, Andrew (2004). Dylan Thomas: A new life. Phoenix. ISBN 978-0-7538-1787-2
- Olson, Elder (1954). The Poetry of Dylan Thomas. Chicago: The University of Chicago Press. ISBN 978-0-226-62917-9
- Read, Bill (1964). The Days of Dylan Thomas. New York: McGraw-Hill Book Company
- Sinclair, Andrew (2003). Dylan the Bard: A Life of Dylan Thomas. London: Constable and Robinson. ISBN 978-1-84119-741-8
- Thomas, Caitlin (1957). Leftover Life to Kill. Putham
- Caitlin, Life with Dylan Thomas. London: Secker & Warburg. (1986). ISBN 978-0-436-51850-8
- Thomas, Caitlin (1997). My Life with Dylan Thomas, Double Drink Story. London: Viking. ISBN 978-0-670-87378-4
- Thomas, David N. (2000). Dylan Thomas: A Farm, Two Mansions and a Bungalow. Bridgend. ISBN 978-1-85411-275-0
- Thomas, David N. (2008). Fatal Neglect: Who Killed Dylan Thomas?. Seren. ISBN 978-1-85411-480-8
- Tremlett, George (2014) Dylan Thomas: In the Mercy of His Means, London: St Martin’s Press
- John Malcolm Brinnin (1956). Dylan Thomas in America: an intimate journal. Little, Brown and Cooper
- Cox, Charles B., ed (1966). Dylan Thomas: a Collection of Critical Essays. New Jersey: Englewood Cliffs
- Janes, Hilly (2014). The Three Lives of Dylan Thomas. London: The Robson Press. ISBN 978-1-84954-688-1
- Kershner, J. B. (1976). Dylan Thomas: The Poet and His Critics. Amer Library Assn. ISBN 978-0-8389-0226-4
- Thomas, David N., ed (2003). Dylan Remembered, Volume 1: 1913–1934. Seren. ISBN 978-1-85411-348-1
- Thomas, David N., ed (2004). Dylan Remembered, Volume 2: 1935–1953. Seren. ISBN 978-1-85411-363-4
脚注
- ^ “City and County of Swansea – The 1930s”. Dylanthomas.com (2010年10月25日). 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月15日閲覧。
外部リンク
- Dylan Thomas' Grave
- The Life and Work of Dylan Thomas
- Dylan Thomas on Poets.org Biography, poems, audio clips, and related essays from the Academy of American Poets
- "The Mumbles", a village frequented by Thomas
- The city of Swansea's site on Thomas
- BBC Wales' Dylan Thomas site
- The Dylan Thomas Theatre Company Swansea
- ディラン・トマス - Find a Grave
- Audio Book (mp3) from Under Milk Wood, translated in French by JB.Brunius
- "The pub and the hellraiser: The poet, the actor, their pub, a furore" The Independent online edition 30 November 2005
- http://www.bbc.co.uk/wales/dylanthomas/biography/pages/caitlin.shtml - bio of Caitlin
- http://www.guardian.co.uk/obituaries/story/0,,403809,00.html - bio of son Llewelyn, 1939-2000
- ディラン・トーマスのページへのリンク