ジャイアンツコーズウェイとは? わかりやすく解説

ジャイアンツ‐コーズウエー【Giant's Causeway】

読み方:じゃいあんつこーずうえー

北アイルランド北端コーズウエー海岸にある奇観。約8キロメートルわたって玄武岩石柱びっしりと並ぶもので、その数は4本とも言われている。名称は「巨人石道」の意で、現地に伝わる巨人伝説にちなむ。1986年ジャイアンツコーズウエーコーズウエー海岸」として世界遺産自然遺産)に登録された。

ジャイアンツ‐コーズウエーの画像
撮影・qyphon http://os7.biz/u/soGQC

ジャイアンツコーズウェイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 23:09 UTC 版)

ジャイアンツコーズウェイ
スーザン・マグナーの勝負服[1]
欧字表記 Giants Causeway
香港表記 巨人長提
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1997年2月14日
死没 2018年4月16日
Storm Cat
Mariah's Storm
母の父 Rahy
生国 アメリカ合衆国
生産者 Orpendale
Michael Tabor
馬主 Mrs.John Magnier
Mr.Michael Tabor
調教師 Aidan Patrick O'Brien
競走成績
生涯成績 13戦9勝
獲得賞金 586,206アイルランド・ポンド
935,000UKポンド
400,000フラン
938,000ドル
勝ち鞍
G1 サラマンドル賞 1999年
G1 セントジェームズパレスS 2000年
G1 エクリプスステークス 2000年
G1 サセックスステークス 2000年
G1 インターナショナルS 2000年
G1 愛チャンピオンステークス 2000年
G3 フューチュリティS 1999年
G3 グラッドネスステークス 2000年
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ジャイアンツコーズウェイ (Giant's Causeway) とはアイルランド競走馬G1競走6勝を数え、ダートを問わず活躍し、連戦にも耐え「アイアンホース」との異名を残した[1]。引退後は種牡馬としても活躍した。

父は名種牡馬として名高いストームキャット、母は芝・ダートで重賞を複数勝った馬。「クールモアグループ」に購買され、総帥ジョン・マグナーと生産者マイケル・テイバーが折半することになった。主戦騎手は日本でも重賞を勝っているマイケル・キネーン

競走馬として

アイルランドの名調教師エイダン・オブライエンのもとでデビューしたジャイアンツコーズウェイは、デビュー戦で7馬身差の快勝。続くフューチュリティーステークスで重賞初制覇を飾ると、フランスに遠征してG1のサラマンドル賞(現在は廃止されている)を制覇する。同期の同厩にはモルニ賞を勝ったファスリエフがいたが、故障のため引退しジャイアンツコーズウェイが厩舎1番手となる。

明けて3歳、初戦で古馬を一蹴しイギリス2000ギニーに挑むが、キングズベストの後方強襲に遭い2着。さらにアイリッシュ2000ギニーでも1番人気に支持されるが、プール・デッセ・デ・プーラン(フランス2000ギニー)優勝馬バチアーの逃げ切りを許しまたも2着に敗れてしまう。このあと出走したセントジェームズパレスステークスで、ようやく1番人気に応えて勝利する。ここからジャイアンツコーズウェイの怒涛の快進撃が始まった。

続いて出走したのはエクリプスステークスファンタスティックライトサキーカラニシなどの強豪馬が顔をそろえたなか、キネーンの負傷によりこのときのみジョージ・ダフィールドに乗り替わっていたこともあってか5番人気にとどまる。しかしレースではカラニシの追い込みを封じて勝利する。サセックスステークスも楽勝し、インターナショナルステークスではカラニシとの再戦にも勝利する。さらにマイケル・テイバーが所有するモンジューが当初出走を予定していたアイリッシュチャンピオンステークスにもモンジューに代わって出走し、調整不足ながらも勝利。この5連勝の間、わずかに12週間。ミルリーフの持つG1競走6連勝の記録にあと1勝の所まで並んだ。

ところが、続くクイーンエリザベス2世ステークスでは伏兵オブザーヴァトリーの強襲に遭って2着に敗れ、6連勝はならなかった。このあとチャンピオンステークスを回避し、ダートの最高峰であるブリーダーズカップ・クラシックに出走することとなる。フサイチペガサスティズナウレモンドロップキッドらの強豪が顔をそろえたなかで3番人気に推され、レースでは最後の直線でティズナウと激しく競り合った末クビ差及ばず2着となったが、ダートの適性の高さも見せつけた。この結果、カルティエ賞の最優秀3歳牡馬は凱旋門賞優勝馬シンダーに取られるが、代わりに年度代表馬の栄誉を得た。

競走成績

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1999.07.21 ナース メイドン 芝6f 1着 M.キネーン 7馬身 (Soorah)
1999.08.29 カラ フューチュリティS G3 芝7f 1着 M.キネーン 2 1/2馬身 (Brahms)
1999.09.18 ロンシャン サラマンドル賞 G1 芝1400m 1着 M.キネーン 2馬身 (Race Leader)
2000.04.09 カラ グラッドネススS G3 芝7f 1着 M.キネーン 3/4馬身 (Tarry Flynn)
2000.05.06 ニューマーケット 2000ギニー G1 芝8f 2着 M.キネーン 3 1/2馬身 King's Best
2000.05.27 カラ 愛2000ギニー G1 芝8f 2着 M.キネーン クビ Bachir
2000.06.20 アスコット セントジェームズパレスS G1 芝8f 1着 M.キネーン アタマ (Valentino)
2000.07.08 サンダウン エクリプスS G1 芝10f7y 1着 G.ダフィールド アタマ (Kalanisi)
2000.08.02 グッドウッド サセックスS G1 芝8f 1着 M.キネーン 3/4馬身 (Dansili)
2000.08.22 ヨーク 英国際S G1 芝10f85y 1着 M.キネーン アタマ (Kalanisi)
2000.09.09 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 1着 M.キネーン 1/2馬身 (Greek Dance)
2000.09.23 アスコット クイーンエリザベス2世S G1 芝8f 2着 M.キネーン 1/2馬身 Observatory
2000.11.04 チャーチルダウンズ BCクラシック GI D10f 2着 M.キネーン クビ Tiznow

種牡馬として

2001年よりアイルランドクールモアスタッドで種牡馬入り。翌年からはクールモア・アメリカで供用される。初期のころはシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行った。初年度産駒がデビューした2004年からカルティエ賞最優秀2歳牡馬に輝いたシャマルダルを送り出し、ヨーロッパのファーストクロップリーディングサイアーとなる。翌年以降も毎年数々のG1勝ち馬を輩出し、2009年2010年の北米リーディングサイアーとなったが、2018年4月16日に繋養先だった米国ケンタッキー州のアッシュフォードスタッドで死亡した。享年21歳。

産駒はおもにアメリカで活躍しているが、かつて供用されたヨーロッパ、オーストラリアでもGI勝ち馬を輩出。父ストームキャットの後継種牡馬として、世界を股にかける活躍を見せている。さらには代表産駒の1頭であるシャマルダルがフランスクラシック二冠を制したロペデヴェガを輩出するなど、孫世代にも活躍が広がっている。

日本にも産駒が輸入されており、マイルチャンピオンシップ優勝馬エイシンアポロンなど4頭の重賞勝ち馬を出している。

おもな産駒

  • *印は本邦輸入

ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒

血統表

ジャイアンツコーズウェイ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ストームキャット系ストームバード系
[§ 2]

Storm Cat
1983 黒鹿毛
父の父
Storm Bird
1978 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
South Ocean New Providence
Shining Sun
父の母
Terlingua
1976 栗毛
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Crimson Saint Crimson Satan
Bolero Rose

Mariah's Storm
1991 鹿毛
Rahy
1985 栗毛
Blushing Groom Red God
Runaway Bride
Glorious Song Halo
Ballade
母の母
*イメンス
Immense
1979 鹿毛
Roberto Hail to Reason
Bramalea
Imsodear Chieftain
Ironically
母系(F-No.) イメンス系(FN:11) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrulla5×5=6.25% / Bold Ruler 4×5=9.38% / Hail to Reason 5・4(母内)=9.38% [§ 4]
出典
  1. ^ [4]
  2. ^ [5]
  3. ^ [4]
  4. ^ [4]

・祖母イメンスは日本に輸入されており、クイーンステークスの勝ち馬エアザイオンの母となっている。
・全弟のFreud(フロイト)が1勝馬ながらアメリカで種牡馬になっている。代表産駒はフラニーフルード(プライオレスステークス)、ジャイアントライアン(ヴォスバーグステークス)、シャープアステカ(シガーマイルハンデキャップ)。
・姪(半妹Fabulousの娘)にサンタラリ賞勝ち馬のAbove The Curveがいる。

脚注

  1. ^ a b 'A true champion' - O'Brien tribute after death of Giant's Causeway”. News. Racing Post. 2019年8月13日閲覧。
  2. ^ レモンポップ(USA)”. JBISサーチ. 2023年2月19日閲覧。
  3. ^ エコロデュエル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年11月11日閲覧。
  4. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Giant's Causeway(USA)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2018年1月28日閲覧。
  5. ^ Giant's Causewayの血統表”. netkeiba.com. 2018年1月28日閲覧。

外部リンク


ジャイアンツ・コーズウェー

(ジャイアンツコーズウェイ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/02 16:44 UTC 版)

ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸
イギリス
英名 Giant's Causeway and Causeway Coast
仏名 Chaussée des Géants et sa côte
面積 70ha
登録区分 自然遺産
IUCN分類 IV(種と生息地管理地域)
登録基準 (7), (8)
登録年 1986年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
使用方法表示

ジャイアンツ・コーズウェー: Giant's Causeway, アイルランド語: Clochán an Aifir / Clochán na bhFomhórach)は、イギリス北アイルランドにある、火山活動で生まれた4万もの石柱群が連なる地域。アントリム県ブッシュミルズの北2kmに位置する海岸線にある。

1986年ユネスコ世界遺産に登録され、翌年には北アイルランド環境省 (the Department of the Environment for Northern Ireland) によって自然保護区に指定された。2005年には『ラジオ・タイムズ』誌 (Radio Times) の読者投票で、「イギリスの最も偉大な自然の驚異」ランキング第四位に選ばれている。

ジャイアンツ・コーズウェーは、ナショナル・トラストによって管理されている。

伝説

ジャイアンツ・コーズウェー(「巨人の石道」)の名は、アイルランドの伝説の巨人フィン・マックールに因む。伝説では、彼がスコットランドの巨人ベナンドナーと戦いに行くためにコーズウェーを作ったとされる[1]

フィン・マックールはスコットランドへ辿り着く前に眠くなってしまった。フィンがいつまで経っても来ないので、ベナンドナーは彼を探すために橋を架けた。ベナンドナーがフィンよりも大きいことを見て取ったフィンの妻ウナは、フィンに毛布を掛けて、フィンが子どもであるかのように見せかけた(異伝では、ベナンドナーの大きさを見て逃げ出したフィンは、赤ん坊のふりをさせてくれと妻に頼んだ)。ベナンドナーは、「赤子」の大きさを見て、父のはずのフィンはもっと大きいのだろうと推測した。そして、恐れをなして、コーズウェーを蹴散らしつつ逃げ出したという。

異伝では、妻ウナが岩に彩色してステーキに見せかけたものをベナンドナーに出し、「赤子」のフィンには普通のステーキを出したところ、「岩のように硬い」はずのステーキを「赤子」が易々と食べるのを見て恐怖したベナンドナーが逃げ出した、というものもある。

コーズウェーの伝説に対応する伝説は、スコットランドのスタッファ島のフィンガルの洞窟 (Fingal's Cave) にも見られる。

歴史

古第三紀 (6千万年前) に、アントリム一帯は激しい火山活動にさらされ、高い流動性を持つ溶解した玄武岩が、チョーク質の地層に貫入し、広大な溶岩台地を形成した。溶岩は急速に冷却したので収縮作用が起こった。収縮は垂直方向には溶岩流の厚みを減らすだけで割れ目は形成しなかったが、水平方向では、ひび割れを生じた。広範囲にわたった割れ目は地質学で柱状節理と呼ばれ、現在見られる奇観を形成したのである[2]

柱の天辺はさながら踏み石のように平らで、柱の付け根は断崖の下から伸びているが、下の方は海の下に沈んでいる。柱はほとんどが六角柱で、中には、四角、五角、七角、八角のものもある。最も高い柱は12mに達し、崖で凝固した溶岩には厚さ28mになるものもある。

ジャイアンツ・コーズウェーの「発見」を世に知らしめたのは、トリニティ・カレッジフェローだったリチャード・バルクリー卿 (Sir Richard Bulkeley) による王立協会の報告書(1693年)であるが、実際にはデリー司教が1年早く訪れていた。

A View of the Giant's Causeway: East Prospect(ドルリーの版画)

この景観は、ダブリンの芸術家スザンナ・ドルリー (Susanna Drury) が1739年に水彩画として描いて国際的に有名になった。ドルリーは1740年にロイヤル・ダブリン・ソサエティ (Royal Dublin Society) の最初の賞に輝き、1743年には版画にもした[3]。ジャイアンツ・コーズウェーは、1765年にはフランスの百科全書第12巻で見出し語となった。背景には、ドルリーの版画による知名度の向上もあったわけだが、その版画 "East Prospect" 自体は、1768年に出版された百科全書の図版に収録された[4]。その図版のキャプションで、フランスの地質学ニコラ・デマレ英語版は、出版物では初めて、この構造物が火山活動の産物であることを示唆した。

この一帯は19世紀以降、特に路面電車のジャイアンツ・コーズウェー鉄道 (Giant's Causeway Tramway) が開通してから観光名所として賑わった。しかし、1960年代になってナショナル・トラストが管理を引き受けるようになると、商業主義は退潮していった。

名所

この地域の構造物には、数百万年にわたって風雨にさらされてきた結果、何らかの形になぞらえうるものもある。「オルガン」、「巨人のブーツ」、低い円柱が風雨で丸くなった「巨人の目」、「羊飼いの足跡」、「蜂の巣」、「巨人のハープ」、「組み合わせ煙突」、「巨人の門」、「巨人のこぶ」などである。

また、孤立する高い柱は、1588年にスペイン戦艦ヒローナ号が遭難した際に、煙突と見間違えてぬか喜びさせられたという逸話もある[5]

動物相と植物相

この地域は、ギンフルマカモメウミツバメアカアシシギオオハシウミガラスなどの海鳥たちの良い避難所となっている。また、風雨にさらされた岩間には、ホタルイ属やコケシノブ属などの珍しい植物が生えている。

脅威

2025年、訪れる観光客が、玄武岩の柱と柱の間の隙間に硬貨を差し込むという行為が増加し自然の浸食プロセスを加速させているとして、歴史的名所や自然景勝地を保護する目的の団体ナショナル・トラストが硬貨を差し込むのをやめるよう呼びかけた。差し込まれた硬貨は錆びて元の厚さの3倍にも膨張することから、岩に圧力がかかって崩壊を呼び起こすだけでなく、ニッケル酸化物と自然発生の液体が混ざることに起因するシミが岩につき、物理的にも美観的にも有害な影響を及ぼす[6]

英国地質調査所もこの呼びかけに先立って、 玄武岩の亀裂や裂け目に硬貨を差し込むという行為が、「硬貨の劣化に伴う化学反応と物理的作用は、自然の風化によってゆっくりと進行するはずだったコーズウェーの岩の崩壊を、加速させている」と報告していた[6]

世界遺産

ジャイアンツ・コーズウェーは、それが存在する海岸線とともに「ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸」として世界遺産に登録された。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
  • (8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。

脚注

  1. ^ ヘクター・マクドネル『ケルト、神々の住む聖地 アイルランドの山々と自然』創元社、2014年、18頁。ISBN 978-4-422-21466-5 
  2. ^ 『地球の歩き方 2017〜18 アイルランド』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、4頁。 ISBN 978-4-478-06059-9 
  3. ^ Arnold, Irish Art, p. 62.
  4. ^ "Susanna Drury, the Causeway, and the Encyclopédie, 1768" Archived 2006年9月28日, at the Wayback Machine.. Lindahall.org. Retrieved March 14, 2007.
  5. ^ 水村光男 監修『オールカラー完全版 世界遺産第2巻・ヨーロッパ(2)』講談社+α文庫、2002年、pp.200-205
  6. ^ a b Bassi, Margherita (2025年6月2日). “観光客が残した硬貨で、アイルランドの世界遺産の損傷がすすむ”. gizmodo.jp (ギズモード・ジャパン). https://www.gizmodo.jp/2025/06/stop-shoving-coins-into-the-giants-causeway.html 2025年6月2日閲覧。 

関連項目

座標: 北緯55度14分27秒 西経6度30分42秒 / 北緯55.24083度 西経6.51167度 / 55.24083; -6.51167




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