サニー・ボーイ・ウィリアムソンIIとは? わかりやすく解説

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サニー・ボーイ・ウィリアムソンII

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 00:22 UTC 版)

サニー・ボーイ・ウィリアムソン
Sonny Boy Williamson II
出生名 Aleck Miller
別名 Rice Miller
Little Boy Blue
生誕 1912年12月5日
出身地 アメリカ合衆国 ミシシッピ州グレンドーラ
死没 (1965-05-25) 1965年5月25日(52歳没)
米国アーカンソー州ヘレナ
ジャンル ブルース
職業 ミュージシャン、歌手
担当楽器 ボーカルハーモニカ
活動期間 1941年 - 1965年
レーベル トランペット・レコード
チェッカー・レコード
共同作業者 ロバート・ロックウッド・ジュニア
エルモア・ジェームス

サニー・ボーイ・ウィリアムソン(Sonny Boy Williamson II1912年12月5日 - 1965年5月25日) は、米国ミシシッピ州出身のブルースシンガーブルースハーモニカ奏者。本名は、アレック・ミラー。晩年の1950年代から60年代にかけて、チェス・レコード傘下のチェッカー・レコードから数多くの作品を生み、シカゴ・ブルースの歴史に大きな足跡を残した。

芸名の末尾にII(あるいはII世)が付けられることがあるが、これは先に同じ芸名を名乗っていたジョン・リー・ウィリアムソンと区別するため。一方のジョン・リーはサニー・ボーイ・ウィリアムソンI(あるいはI世)と称される。両者に血縁関係があるわけではなく、I世の成功にあやかりたいII世が無断で芸名を拝借したものである。皮肉なことに結果的にII世はI世を凌ぐ成功を収めた。

来歴

ウィリアムソンの生年月日は1899年12月5日とする資料が比較的多いが、1897年1901年1909年など諸説があり、正確なところは判っていない[1]。墓碑には1908年と記されている。しかし国勢調査や姉妹の証言から、現在は1912年が定説となっている[2]

生まれたのは、ミシシッピ州グレンドーラ近郊のプランテーションであった。彼の幼少期については、多くが謎に包まれている。本名ひとつとってもラスト・ネームを「フォード」とする説と「ミラー」とする説があるなど、決定的な情報はない[3]。独学でハーモニカを学び、他にギター、ドラムスも学んだという[4]

1930年代頃から、ミシシッピ州とアーカンソー州を一帯を放浪し、その過程でエルモア・ジェームスブラインド・レモン・ジェファーソンロバート・ロックウッド・ジュニアらブルースマンと出会う。当時彼は、リトル・ボーイ・ブルーという芸名で活動していた[3]

1941年アーカンソー州ヘレナのラジオ局KFFAで始まったブルース番組「キング・ビスケット・タイム」にロックウッドとともに出演するようになった。彼がサニー・ボーイを名乗り出したのはこの頃であり、番組のスポンサーだったインターステート・グロサリーのオーナー、マックス・ムーアは彼がその名前を使うことを提案したと主張している[5]。レコードは出していなかったが、この番組出演により南部一帯でサニー・ボーイの人気は高まっていく。

番組のリスナーの中には後にザ・バンドのドラマーとして活躍するリヴォン・ヘルムもいた。彼は自叙伝の中で、当時のウイリアムソンについて以下のように述べている[6]

オーバーオールに麦わら帽をかぶった、じかに見るサニー・ボーイは、迫力に満ちた印象的な人物であった。分厚い唇は長年ハーモニカを吹いてきたせいで硬くなっていた。ぼくは彼がハーモニカに向かって歌っているのに気づいた。彼の声は金属製のハーモニカを通って、剃刀の刃のように研ぎすまされてから、マイクに到達する。それが歌に、特別な金属的な衝撃のエネルギーをくわえる。

1951年、ウィリアムソンはミシシッピ州ジャクソンのトランペット・レコードで初レコーディングを行う。エルモア・ジェームスらをバックに、ブギ・ナンバーを中心としたサウンドを披露している。

1955年、シカゴのチェス・レコード傘下のチェッカー・レコードと契約。この頃から拠点も南部からシカゴへ移している。同年、チェッカーにおける初セッションでレコーディングされた「Don't Start Me To Talkin'」がR&Bチャートの3位を記録する。その後も「Keep It To Yourself」(1956年、同16位)、「Help Me」(1963年、同24位)とヒットを生んでいる[7]。チェッカーでのウィリアムソンはトランペット時代よりもぐっとモダンなサウンドとなり、また彼のハーモニカのプレイは、シカゴ・ブルースにおける基本形として、多くの後続プレイヤーに影響を与えた。

1963年には、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル出演のため、初めてのヨーロッパ・ツアーを行った。1964年にも再度同フェスティバルに出演した。この間、ウィリアムソンはイギリスアニマルズヤードバーズジミー・ペイジとレコーディングを行っている。またデンマークではローランド・カークのコペンハーゲン公演に飛び入り参加。その模様はカークのライヴ盤『カーク・イン・コペンハーゲン』に記録されている(同アルバムのクレジットでは"Big Skol"名義[8])。

1965年5月25日、再びキング・ビスケット・タイムに出演するためヘレナに戻っていたウィリアムソンは、心臓発作により他界した。亡くなった直後にアルバム『リアル・フォーク・ブルース』が発表された。

ディスコグラフィー

アルバム

タイトル 邦題 レーベル
1959年 『Down And Out Blues』 ダウン・アンド・アウト・ブルース Chess
1965年 『Portraits In Blues Vol. 4』 ポートレイト・オブ・サニー・ボーイ・ウィリアムスン Storyville
1963年 『The Blues of Sonny Boy Williamson』 Storyville
1964年 『Sonny Boy Williamson and Memphis Slim』
with メンフィス・スリム
ライブ Disques Vogue
1965年 『The Real Folk Blues』
with ヤードバーズ
リアル・フォーク・ブルース Chess
1965年 『Sonny Boy Williamson & The Yardbirds』 サニー・ボーイ・ウィリアムソン&ザ・ヤードバーズ Fontana
1968年 『Don't Send Me No Flowers』
with ブライアン・オーガー・アンド・ザ・トリニティージミー・ペイジ
ジミー・ペイジ&ソニー・ボーイ・ウィリアムソン Marmalade
1967年 『More Real Folk Blues』 モア・リアル・フォーク・ブルース Chess
1969年 『Bummer Road』 バマー・ロード Chess
1972年 『Sonny Boy Williamson + Animals (Faces & Places Vol. 2)』 ソニー・ボーイ・ウィリアムソン・プラス・ジ・アニマルズ BYG

コンピレーション・アルバム

タイトル 邦題 レーベル
1965年 『Blues Classics by "The Original" Sonny Boy Williamson』
『King Biscuit Time』との題名での再発あり
キング・ビスケット・タイム Blues Classics
1972年 『This Is My Story』 Chess
1975年 『One Way Out』 ワン・ウェイ・アウト Chess
1985年 『The Checker Box』 ザ・チェッカー・ボックス Pヴァイン
1990年 『Keep It To Ourselves』 Alligator
1993年 『The Essential Sonny Boy Williamson』 MCA/Chess
1993年 『Clowinin' With The World』 Alligator

シングル

A面 B面 レーベル/番号
1951年 「Crazy 'Bout You, Baby」 「Eyesight To The Blind」 Trumpet 129
1951年 「Cool, Cool Blues」 「Do It if You Wanta」 Trumpet 139
1954年 「Come On Back Home」 「Stop Crying」 Trumpet 140
1954年 「I Cross My Heart」 「West Memphis Blues」 Trumpet 144
1951年 「Pontiac Blues」 「Sonny Boy's Christmas Blues」 Trumpet 145
1951年 「Mighty Long Time」 「Nine Below Zero」 Trumpet 166
1954年 「Mr. Downchild」 「Stop Now Baby」 Trumpet 168
1954年 「Gettin' Out Of Town」 「She Brought Life Back To The Dead」 Trumpet 215
1953年 「Too Close Together」 「Cat Hop」 Trumpet 216
1954年 「Going In Your Direction」 「Red Hot Kisses」 Trumpet 216
1955年 「Empty Bedroom」 「From The Bottom」 Trumpet 228
1955年 「Don't Start Me Talkin'」 「All My Love In Vain」 Checker 824
1956年 「Keep It To Yourself」 「The Key (To Your Door)」 Checker 847
1956年 「Let Me Explain」 「Your Imagination」 Checker 834
1956年 「No Nights By Myself」 「Boppin' With Sonny」 Ace 511
1957年 「Fattening Frogs For Snakes」 「I Don't Know」 Checker 864
1958年 「Born Blind」 「Ninety Nine」 Checker 883
1958年 「Your Funeral And My Trial」 「Wake Up Baby」 Checker 894
1958年 「Cross My Heart」 「Dissatisfied」 Checker 910
1959年 「Let Your Conscience Be Your Guide」 「Unseeing Eye」 Checker 927
1960年 「The Goat」 「It's Sad To Be Alone」 Checker 943
1960年 「Temperature 110」 「Lonesome Cabin」 Checker 956
1960年 「Trust My Baby」 「Too Close Together」 Checker 963
1961年 「Stop Right Now」 「The Hunt」 Checker 975
1961年 「The Hunt」 「Little Village」 Checker 975
1962年 「One Way Out」 「Nine Below Zero」 Checker 1003
1963年 「Bye Bye Bird」 「Help Me」 Checker 1036
1963年 「Trying to Get Back On My Feet」 「Decoration Day」 Checker 1065
1964年 「My Younger Days」 「I Want You Close To Me」 Checker 1080
1966年 「Bring It On Home」 「Down Child」 Checker 1134

[9]

脚注

  1. ^ アルバム「Bummer Road」ライナーノーツ(ピート・ウェルディング、メアリー・キャスリン・アルディン著)
  2. ^ Sonny Boy Williamson” (英語). The Mississippi Blues Trail. 2022年9月28日閲覧。
  3. ^ a b AllMusicのバイオ
  4. ^ アルバム「Down And Out Blues」ライナーノーツ(Don Kamerer著)
  5. ^ 「ディープ・ブルーズ」(ロバート・パーマー著、五十嵐正訳; JICC出版局刊)
  6. ^ This Wheel's on Fire: Levon Helm and the Story of the Band (Chicago Review Press)
  7. ^ Joel Whitburn's Top R&B Singles 1942-1988 (Record Research)
  8. ^ Big Skol Discography”. Discogs. 2022年5月25日閲覧。
  9. ^ Sonny Boy Williamson (2) Discography”. Discogs. 2025年5月2日閲覧。

外部リンク




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