NBA NBAの概要

NBA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/05 19:16 UTC 版)

ナショナル・バスケットボール・アソシエーション
National Basketball Association
今シーズン・大会:
2022-23シーズン
前身BAA英語版
競技バスケットボール
創立1946年6月6日 (76年前) (1946-06-06)
コミッショナーアダム・シルバー
開始年1946年-1947年
参加チーム
30チーム
アメリカ合衆国
カナダ
本部所在地ニューヨーク州ニューヨーク 10022
345 パーク・アベニュー
前回優勝ゴールデンステート・ウォリアーズ
(7回目)
最多優勝ボストン・セルティックス
ロサンゼルス・レイカーズ(17回)
テレビ局ABC/ESPN
TNT
NBA TV
公式サイトwww.nba.com

1946年6月6日ニューヨークで設立。設立当初は、BAA(Basketball Association of America)という名称だった。ライバル関係にあったNBL(National Basketball League)から数チームを引き抜いたあと、1949年の秋にNBA(当時11チーム)という名前に改称した。

NBAには各国に独立した事務所があるが、すべてニューヨーク5番街のオリンピック・タワー内にある本部の管理下にある。NBA EntertainmentとNBA TVスタジオは、ニュージャージー州シコーカスに本部がある。

概説

アメリカ合衆国カナダに全30チームがあり、東西2つのカンファレンス、さらにそれぞれ3つのディビジョン(各5チーム)に分かれて、10月から翌年4月までレギュラーシーズン82試合(何シーズンか例外はあるが)が行われる。その結果に応じて4月中旬頃からポストシーズン(プレーオフ)が行われ、そのカンファレンスごとの勝者がNBAファイナルを戦い、最終的にシーズンのチャンピオンが決定する。

レギュラーシーズン

夏のオフシーズンを経て、チームは9月下旬からトレーニングキャンプを開始する。トレーニングキャンプでは、若手(特にルーキー)を中心に選手の評価を行う。チームの弱点、強みをスカウトし、シーズン開始に備えて選手補強を図り、12名のアクティブロスターと3名の控えプレーヤーを揃える。キャンプ後には、NBA内のチームや大学や海外のチームなどとプレシーズンゲームを行う。NBAのレギュラーシーズンは10月の最終週に開幕する。レギュラーシーズンでは、各チームは全82試合のうち41試合をホームで、41試合をアウェイで戦うこととなる。同じディビジョンの4チームとは4対戦(ホーム2、アウェイ2)で合計16試合を、同カンファレンスで、他ディビジョンのチームとの対戦は、6チームと4試合(24試合)、残りの4チームと3試合(12試合)、合計36試合を、異なるカンファレンスの15チームとは、2対戦(ホーム1、アウェイ1)し、合計30試合を戦う。この非対称な構成は、チーム間にスケジュールの厳しさに不均衡をもたらすが、NFLMLBほどではない。5年間で、同じディビジョンの4チームと80試合、同カンファレンス他ディビジョンのチームとの対戦は180試合(ホーム90、アウェイ90)、他カンファレンスのチームとの対戦は150試合になり、スケジュールの不均衡がなくなるように調整される。

ポストシーズン(プレーオフ)

レギュラーシーズン終了後、各カンファレンス内の勝率上位8チームが、東西それぞれのカンファレンスで4戦先勝方式のプレーオフトーナメント「NBAプレーオフ」を戦う。プレーオフではカンファレンス内の順位で組み合わせが決定し、それぞれ対戦する2チームで勝率が高い方に、(7戦目まで進んだ場合)一方のチームより1試合多くホームゲームを戦える「ホームコートアドバンテージ」が与えられる(A:勝率が高いチーム B:勝率が低いチーム→AABBABAというホーム開催となる)。各ラウンドは4勝したチームが勝ち抜ける。A(1位 - 8位)、B(2位 - 7位)、C(3位 - 6位)、D(4位 - 5位)の組み合わせで1stラウンドを戦う。カンファレンスセミファイナルは、A-D、B-Cで対戦し、それぞれの勝者でカンファレンスファイナルを戦う。

ファイナル

両カンファレンスを優勝したチーム同士で行われる決勝は「NBAファイナル」と呼ばれ、世界各地に中継放送されて3億人が観戦していると言われる。ファイナルもレギュラーシーズンの勝率の高いチームが「ホームコートアドバンテージ」を獲得し、ファイナルでは、ホーム、ホーム、アウェイ、アウェイ、ホーム、アウェイ、ホームで試合が進められる。ファイナル終了後に、ファイナルMVPが選出される。

NBAの歴史

創成期

NBAはバスケットボール誕生から約半世紀後に創設された。創設の目的はプロアイスホッケーに利用されるアリーナの空き時間を埋めるためであり、初代コミッショナーにはAHLの会長であるモーリス・ポドロフが就任した。1946年11月1日に、トロント・ハスキーズニューヨーク・ニッカボッカーズの顔合わせで初めて試合が行われた。1949年にNBLと合併し、ジョージ・マイカンがNBA入りした。

  • 1892年 - カナダ人体育講師ジェームズ・ネイスミスにより考案されたバスケットボールの初めての試合が行われる。
  • 1946年 - BAA創設。参加チームは11。
  • 1949年 - ライバルリーグであったNBLを吸収合併し、NBAに名称を変更。参加チームは17に。

1950年代

この時期リーグは大きな2つの変化を経験する。その1つが24秒ショットクロック(ボールを保持したチームが24秒以内にシュートをしなければ、相手ボールとなる)の導入だった。NBLの吸収で17チームにまで膨れ上がったNBAだが人気は停滞し、1954年には8チームにまで減少した。このような状況を打破すべく導入されたショットクロックは、試合のテンポを早くし、より娯楽性の高いものとした。もうひとつの変化は黒人選手の隆盛だった。公民権運動が活発化する前のNBAは選手の大半を白人が占めていたが、1950年にはNBA初の黒人選手チャック・クーパーがドラフト指名され、1956年にはビル・ラッセルがNBA入りし、1959年にはウィルト・チェンバレンが新人にして得点王、リバウンド王、新人王、MVP4冠を達成した。1950年代前半はマイカン率いるミネアポリス・レイカーズがNBA初の3連覇を達成するも、後半にはラッセル擁するボストン・セルティックスがリーグを支配し始める。

  • 1951年 - ペイントエリア(制限区域)を6フィートから12フィートに拡大。
  • 1954年 - 24秒バイオレーションルール(ショットクロック)を導入。

1960年代

1960年代はセルティックスの時代だった。ラッセルをはじめボブ・クージービル・シャーマンサム・ジョーンズジョン・ハブリチェックらを擁したセルティックスは、名将レッド・アワーバックに率いられ、1958−59シーズンから65−66シーズンまでの8連覇を達成した。セルティックスがリーグを支配する一方で、チェンバレンの1試合100得点達成などの大記録も生まれた。60年代末には傘下チームを14に増やすなどしようやく軌道に乗り始めたが、1967年にはライバルリーグABAが誕生した。

1970年代

1970年代でセルティックスの支配が終わり群雄割拠の時代を迎え、全体的にビッグマンが活躍する時代となる。70年代前半は大都市のロサンゼルス・レイカーズニューヨーク・ニックスが3回NBAファイナルで対戦して人気を博したが、70年代前半から中盤にかけてベトナム戦争の泥沼化などの暗い時代背景や薬物などの蔓延によりNBAの人気は低迷し、またABAとの競争のための事業拡大はリーグ全体の質の低下を招いた。カリーム・アブドゥル・ジャバーやABA出身のジュリアス・アービングらがリーグを牽引したが、人気の回復には至らなかった。

1980年代

どん底まで沈んでいたNBAを救ったのはマジック・ジョンソンラリー・バードの登場だった。両者のライバル関係はリーグを活性化させ、1980年代のNBAファイナルはジョンソンのロサンゼルス・レイカーズとバードのセルティックスのいずれかが争った。また、マイケル・ジョーダンら次世代を担うスター選手らが続々とNBA入りを果たしたのもこの時期である。リーグのクリーン化に力を注いだ、第4代コミッショナーデビッド・スターンの尽力も大きかった。NBAの人気は加速度的に増していき、チーム数は27にまで増加する。そして80年代末のバッドボーイズの連覇を経て、NBAはジョーダンの時代を迎えることになる。

1990年代

1990年代には、NBA史上最高の選手の一人に挙げられるジョーダン率いるシカゴ・ブルズがリーグを席巻し、2度の3連覇、6度の優勝を達成。ジョーダンと個性溢れるさまざまなライバル選手との熱戦は世界中にテレビ中継され、アメリカ国内のみならず、海外のNBAブームにも火を着けた。そしてNBAの世界的な人気を決定的なものにしたのが、1992年バルセロナ五輪への「ドリームチーム」派遣であった。また、海外出身のアキーム・オラジュワンが2年連続でファイナルMVPを受賞し、カナダに新チームを立ち上げるなどグローバリゼーションが進む一方、90年代は選手の年俸が高騰した時期でもあり、ブルズが2度目の3連覇を果たした1998年にはそれに対するロックアウトが起き、開幕が大幅に遅れ、シーズンが短縮される事態に陥った。

2000年代

21世紀最初の王朝は、シャキール・オニールコービー・ブライアントを擁し3連覇を果たしたロサンゼルス・レイカーズだった。また、ティム・ダンカン率いるサンアントニオ・スパーズも98−99シーズンを含む計4回の優勝を果たすなど、2000年代のNBAはウェスタン・カンファレンスに強豪チームが揃う西高東低と呼ばれる図式となった。2000年代は海外出身選手も急増し、2002年2005年2006年NBAドラフトではアメリカ国外出身選手が1位指名を受け、04−05シーズン以降3シーズン連続でシーズンMVPは海外出身選手が獲得しており、06-07シーズンにはシーズンMVPとファイナルMVPを海外出身選手が獲得した。2000年代後半の勢力図は突出して強いチームはなく、コービーブライアント率いるロサンゼルス・レイカーズやティムダンカン率いるサンアントニオ・スパーズ、ポールピアース、レイアレン、ケビンガーネットのビッグ3率いるボストン・セルティックスなどの多くの強豪チームが優勝を争う形になった。

  • 2001年 - 視聴率や観客数の減少が見られたNBAはゲームそのもののペースを早くし、戦略などを増やすことで、試合を見やすくすると同時に、よりエキサイティングなものにするため、イリーガルディフェンスを廃止する。ディフェンスの制限が減りゾーンディフェンスも可能になった、代わりにペイントエリア内でのディフェンス3秒コールを導入し、ハーフライン通過のコールを10秒から8秒に変更するなど、さまざまなルール改革が見られた。ディフェンスは再構築を求められ、それを上回る速度で毎年新しいオフェンスシステムが登場する事になった。
  • グリズリーズがメンフィスに移転。NBAデベロップメント・リーグ(通称Dリーグ)の設立。「国境のないバスケットボール」の開催。

イリーガルディフェンスとは、ゾーンディフェンスが禁止されていた時代のルールで、マンツーマンディフェンスを強制するためのルールである。ディフェンダーがマッチアップする相手とワンアーム(手が届く位置)以内の距離から離れて3秒経つとイリーガルディフェンスがコールされた。ゾーンディフェンス解禁後は、これに変わってディフェンス3秒ルールが設定され、ペイントエリア内のディフェンダーが、相手とワンアーム(手が届く位置)以上離れて、3秒ペイントエリア内にとどまるとディフェンス3秒がコールされる。ペナルティは、同じく1フリースロー。

  • 2002年 - ホーネッツがニューオーリンズに移転。ロサンゼルス・レイカーズが3連覇を達成。
  • 2003年 - この年のドラフトではのちのスーパースターレブロン・ジェームズドウェイン・ウェイドカーメロ・アンソニーなどの選手が排出される豊作年となった。
  • 2004年 - シャーロット・ボブキャッツが新設され、アメリカに29チーム、カナダに1チームの計30チーム、2カンファレンス6ディヴィジョンに。田臥勇太フェニックス・サンズに入団。
  • 2004年 ‐ 『ハンドチェック』ルールの廃止(正確には改正)以後年々理解が進み、ディフェンス強度を下げる事に成功、NBAはさらに『クリーン』でオフェンシブなリーグとなった。
  • 2005年 - 労使協定が締結され、ドラフト対象選手の年齢が引き上げられる。新服装規定が施行。
  • 2006年 - スポルディング社製の素材にマイクロファイバーを使用した公式球に変更した。しかし評判が芳しくなかったため、翌年にはもとの素材に戻された。
  • 2007年 - 審判員の賭博事件がNBAの八百長疑惑に発展。
  • 2008年 - シアトル・スーパーソニックスがオクラホマシティに移転、オクラホマシティ・サンダーとなった。
  • 2009年 - NBAと審判協会との労使協定が9月1日に失効し、NBA側が日当や旅行費などといった経費削減を要求したため、新労使協定の交渉が決裂。NBAはトレーニングキャンプとプレシーズンゲームを過去に解雇した審判などを代替審判として起用して乗り切り、2009年10月23日にNBAと審判協会との新労使協定が合意に達して、シーズン中には代替審判を起用することはなかった[1]

2010年代

2010年オフにマイアミ・ヒートがFAでレブロン・ジェームズクリス・ボッシュを同時に獲得し、ドウェイン・ウェイドと共に「スリーキングス」を結成し、大きな話題となる。ヒートはただちに強豪チームとなり、最初のシーズンこそダーク・ノヴィツキー擁するダラス・マーベリックスに敗れ準優勝に終わったものの、翌2シーズンはチャンピオンになり、連覇を達成した6つ目のフランチャイズになった。2010年代後半には、ステフィン・カリークレイ・トンプソンの「スプラッシュ・ブラザーズ」を擁するゴールデンステート・ウォリアーズが頭角を表す。ゴールデンステートウォリアーズやヒューストン・ロケッツなどのスリーポイントを多用するチームが頭角を表したことにより、スリーポイントの重要性が見出され、NBAにスリーポイントの革命が起きたと言えるだろう。他にも、スリーポイントを多用するチームが急速に増え、スペーシングの関係でスリーポイントを打てる選手が多いほど、ゴール周りのシュートも確率が上がることが分かり、シュートの打てないポストプレー主体のビッグマンの需要が減った。反対にスリーポイントの需要性を見出した球界は3&Dプレイヤーなどの新しい需要も増えた。このことから2010年代はNBAのバスケットボールスタイルが大きく変化した10年と言えるだろう。

  • 2011年 - 新労使協定の交渉に入ったが、2005年から適用されてきた労使協定の内容(選手側が売上の57%を受け取る)では不釣り合いだとオーナー側が主張し、選手側の収益配分比率を低くすることを新労使協定の交渉で求めたために選手会との交渉が難航し、労使協定の失効日である6月30日までに合意に至らず、13年ぶりに2011年7月1日からロックアウトが実施された。プレシーズンゲームはすべて中止となり、開幕日も大幅に遅れたが、12月8日に収益配分比率は選手とオーナーの間で50%ずつとすることで折り合いがつき、10年間の労使協定に合意して、5か月に及んだロックアウトが正式に解消された。この結果、開幕日が12月25日となり、シーズンが66試合に短縮して行われることとなった[2]
  • 2014年 - 利己を排して、チームプレーを徹底したバスケットを展開したサンアントニオ・スパーズがスリーキングスを擁するヒートに前シーズンのリベンジを果たし、チャンピオンとなった。この年のスパーズのプレーは、「ビューティフル・バスケット」と賞賛を浴びた。また、このときのスパーズは、フランス、イタリア、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジルと多くの海外選手を使いこなし、NBAの国際化の頂点を極めた。
  • 2015年 - ステフィン・カリー要するゴールデンステートウォリアーズが40年ぶりに優勝。ステフィン・カリーに加え、クレイトンプソンなどのリーグトップクラスのスリーポイント力を誇る2人を軸に作られたチームが優勝したことにより、スリーポイントを多用するスタイルが一気に確立された。他にもゴールデンステートウォリアーズが新たな戦術として採用したビッグマンを起用しないスモールボールラインナップが浸透し、シュートの打てないポストプレー主体のビッグマンが衰退した時期でもある。さらに新たな需要として3&Dプレイヤー(スリーポイントシュートとディフェンス能力の高いロールプレイヤー)が確立されたのもウォリアーズの優勝が大きいだろう。革新的なスタイルで優勝したウォリアーズがNBAに大きな影響をもたらしたシーズンとなった。
  • 2016年 - ゴールデンステートウォリアーズが史上最多のシーズン73勝を達成。NBAファイナルではレブロン・ジェームズカイリー・アービング擁するクリーブランド・キャバリアーズがゴールデンステートウォリアーズ相手に史上初の1勝3敗からの逆転優勝をした。
  • 2019年 - レブロンがロサンゼルス・レイカーズに移籍し本命不在のイースタンを制したのは、カワイ・レナード擁するトロント・ラプターズだった。NBA史上73年目にして初めてアメリカ国外でファイナルが行われ、初めて優勝トロフィーが国境を渡った。なお3連覇を狙うゴールデンステートウォリアーズだったがケビン・デュラントやクレイトンプソンなどの主力選手の怪我により敗北。
  • 2019-2020シーズンのNBAは、所属選手に新型コロナウイルスの陽性反応が出たことをきっかけに、2020年3月11日にシーズンを一旦中断。7月31日に、フロリダ州のディズニーワールド内施設、通称「バブル」における集中開催、かつ中断時点での勝率に応じてチーム数も縮小して行う、という形で再開した(詳細はシーズンリンクを参照されたい)。なおこの年の王者は、レブロンとアンソニー・デイビスの強力デュオを擁したレイカーズで、これで優勝回数がセルティックスの17回に並んだ。

2020年代








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