1952-1953シーズンのNBA は、NBA の7回目のシーズン である。シーズンは1952年 10月31日に始まり、1953年 4月10日に全日程が終了した。
シーズン前
ドラフト ではマーク・ウォークマンがミルウォーキー・ホークス から全体1位指名を受けた。他にはクライド・ラブレット が指名を受けている。
デュモン・ネットワークとの1シーズンの契約を結ぶ。NBAにとっては初のレギュラーシーズン通じてのテレビ放送契約となったが、その契約金は非常に低いものであった。
シーズン
オールスター
イースタン・デビジョン
ウエスタン・デビジョン
スタッツリーダー
※1969-70シーズン 以前はアベレージよりも通算でスタッツリーダーが決められていた。
各賞
シーズン概要
ルーキー・オブ・ザ・イヤーが新設され、ドン・メインケ が初代の座に就いた。
このシーズンは当時のNBAにとって最大の懸案事項だった「つまらない試合 」が最も氾濫した時期であった。ロースコアゲームに加えて、ファウルゲームが頻発したのである。現在ハック・ア・シャック などで有名な、フリースロー成功率の低い選手に対する故意のファウルは当時から存在し、ファウルゲームはこのシーズンに入って急増した。1試合の両チーム合わせた平均ファウル数は前季を大幅に上回る過去最多の57.8、フリースロー試打数も過去最多の72本まで増えた。観客は選手が保持したボールをひたすら突くだけのシーンに加え、今度は両チームが互いにファウルを仕掛けては頻繁に時計を止めるシーンにも付き合う羽目になった。
前季の制限区域 拡大はジョージ・マイカン の得点王三連覇を阻んだが、依然としてビッグマン優位の状況は変わらず、203cmのセンター 、ニール・ジョンストン が得点王に輝いた。
ビル・シャーマン を獲得し、ボブ・クージー との強力なバックコート陣が形成されたボストン・セルティックス は、チーム史上初の地区優勝を果たした。レッド・アワーバック という強力な指導者にも率いられ着実に戦力を蓄えるセルティックスに、残すは優秀なビッグマンの獲得のみとなった。
デビジョン準決勝
デビジョン決勝
ファイナル
1
レイカーズ
2
4
オリンピアンズ
0
1
レイカーズ
3
Western Division
3
ピストンズ
2
3
ピストンズ
2
2
ロイヤルズ
1
W1
レイカーズ
4
E1
ニックス
1
1
ニックス
2
4
ブレッツ
0
1
ニックス
3
Eastern Division
3
セルティックス
1
3
セルティックス
2
2
ナショナルズ
0
ミネアポリス・レイカーズ が2度目の連覇となる4度目の優勝を達成し、王朝の体制を磐石なものとした。ニックスは3年連続でファイナルに進出した。過去のファイナルでは、2度とも第7戦まで持ち込まれ、敵地での第7戦で力尽きた経験から、ホームコートアドバンテージの重要性を知り尽くしていたニックスは、敵地での第1戦を勝利し、レイカーズが保持していたホームコートアドバンテージを無効化するのに成功した。続く第2戦は敗北したが、第3戦以降はニューヨークでの3連戦が待っており、ここでニックスは優勝を決めるつもりでいた。しかしジョージ・マイカン 率いるレイカーズの前にホーム3連敗を喫し、3年連続でファイナル敗退となった。ニックスが次にファイナルに進出するまで、17年を待たなければならない。
外部リンク