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小野秀二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/31 04:25 UTC 版)

小野秀二
Shuji Ono
バンビシャス奈良 HC
役職 ヘッドコーチ
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1958-01-31) 1958年1月31日(66歳)
出身地 秋田県能代市
キャリア情報
中学校 能代市立能代第一中学校
高校 秋田県立能代工業高等学校
大学 筑波大学
経歴
選手時代:
1980-1988住友金属工業
コーチ時代:
1988-2000愛知学泉大学
2000-2005トヨタ自動車AC
2005-2013日立
2014-2017アースフレンズ東京Z
2017-2021秋田県立能代工業高等学校
2023-バンビシャス奈良
代表歴
キャップ 日本
獲得メダル
日本
バスケットボール
アジア競技大会
1982 ニューデリー 男子

小野 秀二(おの しゅうじ、1958年1月31日 - )は、秋田県出身の元バスケットボール選手、指導者。

略歴

1958年秋田県能代市生まれ。能代第一中学[1]1年よりバスケットボールを始める。当時、中学では友川かずきがコーチをしており、友川に能代工スタイルを叩き込まれた。名門秋田県立能代工業高校3年時に初の高校3冠(インターハイ国民体育大会ウィンターカップ)を達成。筑波大学進学後には全日本に選出され、同時にインカレ4位の成績をおさめる。1980年、住友金属工業に入社し、ポイントガードとして1982年日本リーグ、1984年オールジャパンの優勝に貢献。また9年間に渡り日本代表の主力として活躍し、アジア競技大会など数多くの国際試合を経験する。

1988年、愛知学泉大学にヘッドコーチとして招かれ、男子バスケットボール部を創部。以後は東海学生選手権11連覇、そして同校をインカレ常連校に育てあげ、2000年には西日本学生選手権優勝、インカレ4位に導く。2000-2001シーズンより、JBL日本リーグトヨタ自動車のアシスタントコーチに就任。シーズン途中よりヘッドコーチに昇格しJBLファイナルに進出。翌2001-2002シーズンには、トヨタ自動車に初のJBL優勝をもたらし、自らもコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞。2005-2006シーズンより、JBL日立のヘッドコーチに就任。2008-09シーズンのオールジャパン・リーグでともに準優勝へ導いた。2009年東アジア大会男子日本代表ヘッドコーチに日立との兼任かつ大会期間限定の形で就任。

2013年、日立のヘッドコーチを退任[2]

2014年、NBDLアースフレンズ東京Zのヘッドコーチに就任[3]。2017年退任。

2017年、母校の能代工業高校バスケットボール部HC就任、2021年退任。

2021年、大阪エヴェッサアカデミー校長に就任[4]

2023年、バンビシャス奈良ヘッドコーチ就任[5]。同年6月、びわこ成蹊スポーツ大学男子バスケットボール部総監督に兼務で就任[6]

経歴

選手歴:

コーチング歴:

参照

関連項目

外部リンク




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