19世紀のアメリカ
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「オズの魔法使い」の記事における「19世紀のアメリカ」の解説
「オズの魔法使いの政治的解釈」も参照 この物語が政治的アレゴリーを意図するという決定的証拠は見つかっていない。1960年頃、歴史家ランジット・S・ディゲは事実上誰もそんな解釈はしていないと記した。1964年、高校教師のヘンリー・リトルフィールドが学術誌『アメリカン・クォータリー』に『オズの魔法使い: 大衆主義の寓喩』を執筆し、19世紀後期の金融政策に関する金銀複本位制論争のアレゴリーを含んでいると断言した。 ボームは周囲から物語の着想を得ただけでなく、当時問題が解決していたアメリカのユートピアをオズに表現していた。ユートピアとおとぎ話の国はそれほど違いがない。ボームはより良い社会を作るには想像力が不可欠と信じていた。オズ・シリーズの後期の本でボームは「想像と夢は世界を改善に導く。想像力豊かな子供は創造や発明の得意な想像力豊かな大人になり市民を導いていくだろう」と記した。またこの過程でボームは現代のおとぎ話としての『オズの魔法使い』はオズを19世紀後期から20世紀初頭の言及や問題解決を表現するアメリカのユートピアとしてオズを描いている。 オズ王国はアメリカに類似している。東西南北の4つの国があり、首都はエメラルドの都である。アメリカおよび国民は中西部、南部などに分割される。19世紀、これらの地域によって表現する色が違っていた。東部は工業地帯のブルーカラーから青、南部は赤土やレッドネックから赤、西部はカリフォルニア州のゴールドラッシュから黄色で表現されていた。そしてエメラルドの都となるワシントンD.C.は紙幣の色から緑で表現される。 物語の悪役は東西の悪い魔女である。悪い魔女たちは市民を魔法にかけ奴隷のように扱う。良い魔女と悪い魔女の力関係はほぼ同等で、このバランスがオズが変化なく続くか発展するかに関わってくる。この関係はアメリカの支持政党に関連付けられる。西の悪い魔女は発達した鉄道、石油王、そして自然豊かな西部に表現される。19世紀、西部は軍事色が強かったが自然が豊かでそして干ばつ被害も甚大だった。これは火事や竜巻よりも被害が大きく、その年の収穫に大きな影響が出る。そのため西の悪い魔女を殺す武器として水が引用されている。魔女の遺体の茶色の塊は大きな嵐の後の泥に類似している。ドロシーは水たまりの上を歩き、溶けた魔女の跡のある床を掃除する。 東の悪い魔女は農業従事者を圧迫するウォール街など東部の経済、工業を表現しているとされている。19世紀、東部の工業労働者が重労働を課せられていたように、東の悪い魔女は国民を奴隷のように扱う。ドロシーが東の悪い魔女を殺すと、力のバランスが変わってくる。貨幣価値および投資が下がって以降、人民党は国を金銀複本位制に向かわせた。労働者階級および貧困農民は債務負担を減らすため金本位制から遠ざかった。人民党は南部や中西部の小作人と北部の労働者階級の賛同を目指した。 物語冒頭でドロシーは農場からオズへ竜巻で飛ばされる。これは、しばしばこの時代の銀の自由鋳造と比較される。黄色のレンガ道は金銀複本位制を、ドロシーを居心地の良い場所へ連れていってくれる銀の靴は人民党の金銀複本位制への方針を表現している。オズは金を量るのに使用されるオンスの略字である。ドロシーとカカシが森を歩き始めると、道がデコボコであるためにカカシが何度もつまづいて転ぶ。黄色のレンガ道でカカシが転ぶのは、デフレにより農民が損害を被ることに類似している。ドロシーが簡単に歩き回るのは、いかに金銀複本位制を進めるかを披露している。たとえ金が少なくとも、バイメタルの他の金属の方が安く手に入り、デフレを回避することができる。全体を通して登場人物の多くが銀の靴の魔力を知らない。ドロシーが南の良い魔女グリンダに会うまで、銀の靴がカンザスに帰らせてくれる力を持っていることを全く知らなかった。ボームは金銀複本位制が経済危機を解決することなど誰も知らないということを暗示していた可能性がある。ドロシーがかかとを3回鳴らすとカンザスへ帰れるが、「空中を飛んでいる最中、銀の靴が砂漠に脱げ落ち二度と見つからなかった」。銀の靴がなくなったことは、1900年に金銀複本位制が次第に衰えていく様子に類似している。 魔法使いはオズ王国の国王で、19世紀のアメリカ合衆国大統領と類似している。「全ては皆のために」が原則でありながら、政治家は多面的であると考えられている。偉大なるオズの魔法使いは謁見者と個々に、それぞれに合った容貌に変身して会う。魔法使いに願いを叶えてもらうために一行が再度戻ってくると、魔法使いというのはまやかしで、民衆が偉大だと信じていたのは単なる「普通の男」であることが判明する。カカシは彼を詐欺師と呼ぶと、魔法使いは悪びれもせずその通りだと語る。19世紀の政治家たちと同じように魔法使いは約束を守ることができない。のちに魔法使いは「どうして詐欺師になったかというと、皆ができないことを私がやることができたから」とし、皆が騙されることを望んだから騙したと語った。 エメラルドの都に向かう途中、ドロシーは農民の象徴であるカカシと出会う。カカシは頭にわらが詰まっていて脳がないことから自分をばかだと思い込んでいる。出版の4年前の1896年、シカゴ出身ジャーナリストのウィリアム・アレン・ホワイトは『カンザスの何が問題か』という記事を書いた。この中でホワイトは西部の農民は無知で怠惰で経営能力がないことを暗示し、アメリカにはホワイトカラーや頭脳はあまり必要ないとなぜカンザスの人々は不満と皮肉を込めて応えるのかと疑問を呈した。カカシは自分は脳がなく劣っていると打ち明ける。同年ホワイトは民主党全国大会でのウィリアム・ジェニングス・ブライアンの有名なCross of Gold speech の記事を執筆した。ブライアンは農民のために戦い、ホワイトの記事の「農民は夜明け前に始まり1日中疲弊し、春に始まり夏中疲弊しているが、国が富を作り出す天然資源として脳と筋肉を備えることにより、穀物の値段を決める商務省の労働者と同等となる」という内容と同じように主張した。ブライアンがアメリカの農民を評価しているように、ボームは物語全体を通してのカカシの行動により、彼は本当は賢く能力があると表現している。この物語の最後にある通り、「農業は国にとって重要」であり農民の政治的可能性が明らかになり、無知であるという前提を覆させた。 次にドロシーが黄色のレンガ道で会うのは亡き東の悪い魔女からいたぶられてきたブリキの木こりである。彼は生身の人間だった時にマンチキンの少女と家庭を作るための資金を得ようと重労働していた。魔女が斧に魔法をかけ、手足が切断され最終的には体もなくなる。切断されるたびにブリキ職人がブリキで補修しており体全体がブリキとなった時には心を入れ忘れたためもう人を愛せなくなってしまう。ブリキの木こりは東部の労働者階級を表現している。19世紀、労働者は機械を動かし続けなければいけなかった。東の悪い魔女は「人間でなく単なる労働者となったのだから機械のようにより速くよりいい仕事をやるがいい」と罵る。ブリキの木こりは雨に打たれて錆びつき、約1年そのままの形で固まってしまい、ドロシーが関節に油をさして彼はようやく動けるようになる。ブリキの木こりが固まっていた1年間は、1893年から1897年の恐慌の東部の労働者階級の失業期間を表現している。経済復興期のグロバー・クリーブランド大統領の冷酷な拒否同様、ブリキの木こりが助けを求めても誰の耳にも届かない。ブリキの木こりは1年間固まっていたが、その間人生を考えるいい機会となった。この頃、彼は「これまでなくした最大のものは、心」であり、それなくして人を愛することができないことがわかる。ボームは東部の労働者階級が家族をかえりみず働き続けたことをブリキの木こりで表現している。19世紀の進歩主義の一部は、アメリカの生活の中心である家族の再構築だった。東の悪い魔女の暴言は19世紀後期から20世紀初頭にかけてのウォール街や東部の大企業での実態を描写している。 最後に一行に参加したのは臆病なライオンである。人民党の著名な政治家ウィリアム・ジェニングス・ブライアンをモデルにしたとされている。6フィート(183cm)でガッチリしていた彼は心優しいことで知られ、熱弁家でライオンの吠え方に例えられた。物語を通してボームはカカシなど共感しやすい大衆向けキャラクターが多い中、ブライアンを臆病に描いたことは奇妙であるとされる。しかし19世紀後期、アメリカ帝国時代が始まり、スペインからグアム、プエルトリコ、フィリピンのような国々の支配を奪うのに苦慮していた。1898年の米西戦争でのブライアンの非暴力、反帝国主義はしばしば非国民または臆病と批判された。ボームは批判を一旦受け入れ、ブライアンに向けた。ライオンは百獣の王だが、人の目を気にせずに無駄な争いに参入せず静観する勇気がある。臆病なライオンとブリキの木こりの関係性はブライアンと東部の労働者階級の関係性に類似している。彼らが出会った時、臆病なライオンはブリキの木こりに鋭い爪で引っ掻こうとするが、木こりが道に倒れている間、臆病なライオンはそのブリキ自体に驚く。これは1896年の大統領選挙で、東部の労働者階級が雇用主によるウィリアム・マッキンリーへ投票するようにとのプレッシャーからブライアンが得票できなかったことに言及している。ブライアン自身も「選挙キャンペーン中、直接的あるいは間接的に、マッキンリーへの投票の強制を感じていた」と語った。ただし単に労働者階級に印象を残せなかっただけという意見もある。ブライアンの吠え方が東部の労働者階級に印象を残せなかったのと同様に、臆病なライオンの爪はブリキの木こりに傷をつけることもなかった。 ボームのおとぎ話は19世紀後期から20世紀初頭にかけてのアメリカで、多くの解釈がなされている。ドロシーの忠実な仲間であるトトはお酒を飲んだことのない「Teetotaler 」に例えられる。禁酒法支持者はアルコールの摂取は違法であるべきだとみなし、19世紀後期、人民党と長年関連していた。この旅でトトはドロシーの後ろを「真面目に」(「Soberly 」は「しらふ」の意味も持つ)駆けていた。プレーンズ・インディアンと類似している飛ぶ猿はかつて自由民だったが、西の悪い魔女に奴隷のように扱われている。彼らを統治する者によって悪者になったり良い者になったりするが、彼らは単に国に所属しているためその地を離れることはできず、そのためアメリカン・インディアンに例えられる。西の国に住むイエロー・ウィンキーはゴールドラッシュの時代にカリフォルニア州で劣悪な環境で奴隷のように働かされていたアジア人労働者を表現したとされる。オズの国に入る前にエメラルドの輝きで目が眩むのを防ぐためにサングラスをかけさせるのは魔法使いと同様にまやかしである。エメラルドの都は実際はエメラルドでできたわけではなく単なる白い街で、緑色のグラスを通して見るため全てがエメラルド色になる。これは色眼鏡で見ると、見たままを信じてしまうことを表現している。ボームは全米を旅し、19世紀の様々な事件事故を知り、彼の周りから着想を得て物語が完成した。 ボームの現代的おとぎ話である『オズの魔法使い』は東西の悪い魔女が死に、ドロシー、トト、魔法使いがアメリカに戻るところで終わる。カカシはエメラルドの都の当主を引き受け、農民が国にとって重要であることを示した。ブリキの木こりは西の国に産業をもたらした。臆病なライオンはブライアンが少数の政治家を率いていたように森の守り神となった。 リトルフィールドの主張は同意する者もあるが、激しい反対にも遭っている。
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