19世紀のヒンドゥー教改革
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「ヒンドゥー・ナショナリズム」の記事における「19世紀のヒンドゥー教改革」の解説
19世紀に入ると、そうした武力抵抗ばかりでなく、ヒンドゥー教を通じた精神的・文化的な社会改革の運動が起きるようになる。その初期のものがブラフモ・サマージであった。 ベンガル人のラーム・モーハン・ローイによって開始されたこの運動は、古代のウパニシャッドを時代に応じた合理主義的なものに再構成することに努め、偶像崇拝や宗教的習慣を欠いた一神教を信じ、カースト差別や女性差別を批判。 続いてアーリヤ・サマージがスワーミー・ダーヤーナンダ(英語版)によって設立され、キリスト教、イスラム教、さらにはヒンドゥー教内部の幼児婚の習慣やバラモン批判に踏み込み、団体そのものは社会改革を目的としていたがインド独立運動の革命家や政治的リーダーを輩出した。 そしてラーマクリシュナの主要な弟子であるヴィヴェーカーナンダが普遍宗教を説いて物質主義を批判、ヒンドゥー教の新境地を開いた。 この思想はマハトマ・ガンディーの社会思想であるガンディー主義(英語版)やサルヴパッリー・ラーダークリシュナン(後の第2代インド大統領)の思想の基礎となったが、いっぽう今日におけるヒンドゥー・ナショナリズムの源泉ともなった。ある民族義勇団(RSS)の活動家は「ヴィヴェーカーナンダはRSSの『バガヴァッド・ギーター』だ」と言ったという。
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