沿線概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 14:52 UTC 版)
沿線には、カーフェリー乗り場のある鴨池港や鴨池球場がある。南鹿児島駅前停留場あたりから谷山停留場まで指宿枕崎線と併走する。路線のうち涙橋停留場より谷山停留場の間は専用軌道区間となっている。 なお、市電系統としては、第一期線との直通運転を行っている。
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沿線概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 07:45 UTC 版)
松山市駅を発車した列車は南西に進路を取り、まもなく交差する国道56号(今治街道)を過ぎると、土橋駅に到着する。土橋にはかつて中央卸売市場が置かれていたが、移転をして久しい今日ではその活気を想起することは難しい。土橋を過ぎると進行方向右手に愛媛県道18号(途中から愛媛県道326号となる)と並走をしながら、住宅街の中を進む。JR予讃線、松山南環状線との立体交差を過ぎると土居田駅である。 続く余戸駅は、古くは(旧)余土村の中心であり、今でも松山市南西部の中心的な地域にあることから、駅西部とを結ぶ電車連絡バスが発着している。余戸を過ぎても列車は相変わらず住宅街の中を走るが、次の鎌田駅を過ぎて渡る重信川を越えると市街化調整区域へと入り一転して田園が広がる。なお、重信川は松山市と松前町の境界ともなっている。 岡田駅・古泉駅と列車はしばらく田園の中を走るが、古泉駅には大型商業施設(エミフルMASAKI)が2008年に隣接して開業しており、利用客が増加した。 車窓に再び住宅が目立つようになると、松前町の中心駅である松前駅に到着する。松前は漁業で栄えている町であり、昔は当路線の列車内でも松山まで魚介類を売りにいく当地の行商人の姿がよく見受けられた。また、鉄道唱歌でも歌われているように義農精神を今時に伝える作兵衛の墓が近く、駅付近には「義農通り」も走る。 次の地蔵町駅を過ぎると伊予市に入り、新川駅に到着する。付近には古くから開けた新川海水浴場があるが、郡中港駅近くに五色姫海浜公園が開園して以降はシーズン時でも閑散としている。 駅を出てすぐの新川を渡ると、商店街や大型商業施設などが見られる伊予市の中心街に入り、郡中駅と続く終点の郡中港駅へと至る。駅名となった郡中港は目と鼻の先にあるが、現在定期旅客航路は設けられていない。なお、予讃線の伊予市駅が道を挟んで近接しており、乗り換えが可能である。
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沿線概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 16:59 UTC 版)
伊予鉄道のターミナル駅である松山市駅を発車した列車は、郡中線と別れ右手に曲がる。おおよそ90度曲がった位置に、鉄道線としてはJR松山駅の最寄り駅となる大手町駅があり、この駅を発車するとすぐに大手町線との平面交差を渡る。そのままマンションやオフィスビルに挟まれた都心区間を走り、再び大手町線と平面交差をすると車両基地を併設する古町駅に入る。「間近く仰ぐ勝山の」と鉄道唱歌でも歌われたように松山城の近くに位置するが、市街化が進んでおりホームからその姿を見ることは難しい。 古町をすぎ城北線と別れると高架区間に入り、今度は逆に左手に曲がる。県道19号線、国道196号線等の幹線道路を越え、再び地上に降りると衣山駅に着く。衣山駅周辺は映画館や遊技施設などの進出などにより近年発展が進み賑わいを見せている。 衣山を過ぎると松山市駅から続いた市街地は消え、のどかな風景が広がる。次の西衣山駅をすぎるとすぐにJR予讃線をアンダーパスし、この先は丘陵と丘陵に挟まれた区間を行く。そして旧三津浜町域に入る山西駅付近で再び平野部に出る。 三津浜地区の中心駅である三津駅は各地区を結ぶループバスと連絡する交通連接点であり、開業時は高浜線の終端駅であった。漁業で栄える三津浜は、古くは関西や九州との間を結ぶ旅客船が発着する松山の玄関口であり、今でも三津浜港には山口県の柳井や瀬戸内海各地の離島との間を結ぶフェリーが就航している。三津駅を出ると列車は再び平野に別れを告げ、この先は海岸線に沿って線路が敷かれている。次の港山のそばには500年以上の歴史を持つ渡し船「三津の渡し」の乗船場があり、古くはこの辺りが三津の中心であった。 港山駅に続く梅津寺駅は、ホーム柵の横に砂浜が広がるという伊予鉄道では最も海に近い駅であり、この駅に近接する海水浴場は同じく近接する梅津寺公園の梅園と共に有名である。松山市駅から続いた複線区間はここまでで、ここから終点までの1駅区間のみは単線となり、枇杷の産地として有名な興居島や小説『坊っちゃん』にターナー島として出てくる四十島を左手に望みつつ高浜を目指す。 終点の高浜も三津と同じく漁業の町で、以前に関西や九州との間に航路が開かれていた点も三津と同じであるが、三津が長い歴史を持つ港であるのと異なり、こちらは明治20年代に入ってから三津浜港に代わる松山の玄関口として整備された比較的新しい港である。ただ、本州や九州とを結ぶ航路は高浜の600メートル北に戦後新しく整備された松山観光港に発着するようになって久しく、現在でも離島とを結ぶ旅客船が発着しているものの、往時の繁栄を偲ぶことができるのは昭和初期に建てられた比較的大きな駅舎くらいである。その松山観光港までは高浜駅から連絡バスが出ており、高浜線の延伸も検討されている(後述)。
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沿線概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/08 16:14 UTC 版)
起点の松山市駅を発車した列車は南東へと進路をとり、松山市都心部を走る。都心部を抜けると松山市を東西に走る石手川を渡るが、その橋梁上には石手川公園駅が設置されており、これは全国的にも珍しい。石手川公園駅を過ぎるとそれまでとは一転して住宅街が広がり、砥部方面へ向かうバスの接続拠点となるいよ立花駅に到着する。同駅からはかつて森松線という路線が分岐していた。 いよ立花駅を過ぎると直線区間が続き、次の福音寺駅までの区間は横河原線内で最も駅間距離が長いということもあり列車は快走する。続く北久米駅で直線区間は終わり、左手から見えてきた愛媛県道334号線(小松街道)と並走をして久米駅に至る。久米駅は伊予鉄道によって交通結節点とされており、南側に広がる公共交通空白地帯とを結ぶ電車連絡バスが発着している。駅付近にある四国八十八箇所霊場の西林寺を訪ねる際に利用できる。 久米を出ても列車はそのまま小松街道と並走をしながら、鷹ノ子・平井と住宅街の中を進む。平井駅で小松街道に別れを告げ、小野川を渡ると、今度は愛媛県道209号線(讃岐街道)と並走をして梅本駅に到着する。この駅も久米駅と同じく交通結節点とされており、付近にある国立四国がんセンターや大型商業施設などとを結ぶ電車連絡バスが運行されている。梅本を出ると東温市に入り、讃岐街道と別れるとすぐに愛媛県営牛渕団地の最寄り駅となる牛渕団地前駅に到着する。 牛渕団地前駅と続く牛渕駅の周辺には田園が広がるが、それもつかのま、旧重信町の中心部となる田窪駅あたりから再び住宅街の中へと入る。東温市役所の最寄り駅である次の見奈良駅では、北東方向へと大きく進路を変え、そのまま愛大医学部南口駅を過ぎると、終点の横河原駅に達する。
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沿線概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 06:19 UTC 版)
起点である高崎駅は上越・北陸新幹線をはじめ、高崎線・上越線・信越本線・両毛線・八高線といったJR各路線の列車が発着する交通の要衝であり、本路線においても起点であると同時に車両基地や本社の所在する重要な駅となっている。列車は構内で最も西側にある0番線ホームから発車すると、少しの間高崎線と並走した後、高崎アリーナを境に右手にわかれ家々の軒先をかすめるようにしてしばらく走り、県道13号との踏切を越えると南高崎駅に到着する。同駅は、現在は1面1線の形態だが、かつては秩父セメントの施設が存在し、秩父鉄道から八高線経由の貨物列車が多数発着していたため旅客用ホームに接する本線に並行して貨物側線を設けた1面2線の形態であった。南高崎を出ると国道17号・県道71号と相次いで交差した後、左にカーブして新幹線の高架の直下にある佐野信号所を通り、今度は右に急カーブして再び新幹線の高架をくぐると2014年に開業した線内で最も新しい駅である佐野のわたし駅に到着する。佐野のわたしを出ると直後に烏川を渡り、左手下流側には鉄道橋と並行して木造の人道橋(流れ橋)である佐野橋が架かる。川を渡ると一旦は田園が広がるが、東京農業大学第二高等学校の野球グラウンドを車窓に望みつつ左側に大きくカーブすると住宅地に入り、そのまま直進して根小屋駅に到着する。根小屋を出るとやや宅地から離れて桑畑などが点在する山裾を走って高崎商科大学のキャンパス最寄り駅である高崎商科大学前駅を過ぎ、再度住宅地に入って山名八幡宮の参道をオーバークロスすると山名駅に到着する。 山名を出ると田畑や住宅の広がる平坦区間に入り、駅をでてすぐ右へカーブした後直進して西山名駅に到着する。西山名を出た直後にある小さな右カーブを抜けると隣の馬庭駅まで約2kmの直線区間となり、列車は一気に速度を上げる。次の馬庭駅は陸上自衛隊吉井分屯地の最寄り駅であり、かつては自衛隊向けの貨物列車が設定されていた。馬庭を出るとすぐに鏑川を渡り、右カーブと勾配を抜けて、ふたたび県道71号をアンダークロスすると旧吉井町の中心駅である吉井駅に到着する。同駅にはかつて専用線が存在した。 吉井を出ると、多少のカーブはあるものの数駅先まで続く長い直線区間に入る。次の西吉井駅は上信電鉄が開発する住宅地の最寄り駅として開業した駅であり、駅周辺は新興住宅街になっている。西吉井を出ると甘楽町に入り、天引川を渡って新屋信号所をすぎると上州新屋駅、次いで上州福島駅に到着する。上州福島駅は、高崎 - 下仁田間のほぼ中間に位置し、駅周辺にはマンナンライフの工場などが立地する。 上州福島を出ると沿線第2の都市である富岡市に入る。鏑川を渡り、丘陵地帯にはいって切通しを抜けると東富岡駅に到着する。ここからは再び住宅地の中を走り、まもなく富岡市の中心駅であり、同時に世界遺産富岡製糸場の最寄り駅でもある上州富岡駅に到着する。同駅を始終着とする列車も数本設定されているほか、かつては上信電鉄の乗合バス部門の中心地でもあり、鉄道に沿って高崎・前橋・下仁田方面や直角に松井田・磯部・安中方面を結ぶ路線網が築かれていた。上州富岡を出ると、西富岡、敷地内に旧七日市藩の藩邸の一部が保存されていることで知られる富岡高校の最寄り駅である上州七日市駅を通り、国道254号の踏切を越えて鏑川が右に迫ってくると川に沿って左にカーブし、その名の通り上野一宮である一之宮貫前神社の最寄り駅上州一ノ宮駅に到着する。同駅の駅舎にはかつてバスの営業所も同居していた。 上州一ノ宮を出ると田畑と住宅の混在する区間を鏑川の北岸に沿って走り、右に大きくカーブした後再び国道254号と踏切で交差して、まもなく神農原駅に到着する。神農原を出ると再び線路は一直線となり、上信越自動車道とアンダークロスした後、右に大きくカーブして珍駅名で知られる南蛇井駅に到着する。南蛇井を出て、千平駅を過ぎると下仁田町に入る。ここからは今までと風景が一変し、不通渓谷の急峻な山肌と鏑川に挟まれた僅かなスペースを縫うようにして走る。途中ナローゲージ時代の旧橋梁を右手に望む鬼ヶ沢橋梁を渡り、やや開けたところに赤津信号所がある。赤津信号所を過ぎてもしばらく山岳区間は続き、ナローゲージ時代のトンネルの遺構が右手に見えてくるとS字型のカーブに入り、そこを抜けるとまもなく上信線唯一のトンネルである白山トンネル(延長40m)に入る。トンネルを抜けると国道254号が左手に迫ってきてしばらく並走した後下仁田の市街に入り、まもなく終点の下仁田駅に到着する。駅前はかつては中込方面へのバスターミナルとして賑わったが、2019年現在は町内各所や南牧村方面へ向かうバスやタクシーが発着する。
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