沿線集落跡とは? わかりやすく解説

沿線集落跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 05:29 UTC 版)

富山県道54号福光上平線」の記事における「沿線集落跡」の解説

刀利刀利集落ダム水没に伴い1961年昭和36年)に解式を行い1963年昭和38年)に廃村水没東方山頂刀利城跡があり、城主宇野右衛門佐々成政前田利家仕えたという。刀利は下刀利と上刀利分かれ現在の刀利山崎公園直下標高554mの丸山南方に下刀利、700mほど上流に上刀利があった。上刀利には学校があった。 瀧谷:上刀利の更に上流にあった集落ダム水没に伴い1961年昭和36年)に解式を行い1962年昭和37年廃村中河内刀利ダムからの水没免れた1966年昭和41年)に解式を行い廃村。現在は無住地。現在の国土地理院地形図には地名すら載っていない。福光町南部小学校中河内分校福光町福光中学校中河内分校跡の石柱立てられている。この地は江戸期には遊廓があり、「中河内見たような女郎が、今朝は湯涌の町で見た」の小唄残されている。昭和初期まで、ここから赤堂(あかんどう)山、大倉山越えて石川県石川郡犀川村倉谷集落通ずる道があった。 下小屋猿ヶ山西麓にあった集落中河内と同様、刀利ダムからの水没免れたものの、1966年昭和41年)に解式を行い廃村。現在は無住地。現在の国土地理院地形図には地名すら載っていない。福光町太美小学校下小屋分校跡の石柱立てられている。昭和初期まで、ここから月ヶ原山越えて石川県石川郡犀川村倉谷集落通ずる道があった。1821年文政4年8月測量の『三洲測量図籍』によると、「下古屋」とある。

※この「沿線集落跡」の解説は、「富山県道54号福光上平線」の解説の一部です。
「沿線集落跡」を含む「富山県道54号福光上平線」の記事については、「富山県道54号福光上平線」の概要を参照ください。

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