旧橋梁
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旧橋梁は撤去されたが、親柱4基と欄干の一部(1径間分)は、元の場所から南東に離れた国道125号の多門寺交差点脇の広場にモニュメントとして保存され、案内板が設置されている。小石で川が再現されている。中川上流には同時期にかけられた橋がいくつか現存しており、学校橋など欄干に特徴のある橋が残っている。また、近隣の手子堀川には類似するデザインの欄干を持つ高橋が架かっている。
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旧橋梁(1904年 - 1980年)
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中央本線の建設工事に伴って1904年(明治37年)に完成した。 明治時代の文化遺産である「一ノ戸川橋梁」と同じボルチモアトラス橋であり、1980年(昭和55年)9月25日に信濃境駅 - 富士見駅間の中央本線複線化による線路付け替えにより、本橋梁は廃橋となるが赤錆状態で現存している。 1983年に、国鉄から富士見町が周辺にある2つのトンネルと一緒に無償で譲り受けた。
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