日本におけるLGBTの社会運動
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「LGBTの社会運動」の記事における「日本におけるLGBTの社会運動」の解説
詳細は「日本における同性愛#1970年代-1980年代」、「日本における同性愛#1990年代」、「日本における同性愛#現在:2000年代」、および「日本におけるLGBTの権利#年表」を参照 日本にも米国のゲイ革命は影響し、1971年には東郷健がゲイであることを公表して、同性愛者の権利と存在を訴えて国政選挙に初立候補した。1979年には同性愛者を中心とした社会的少数者の政治団体、「雑民党」の前身「雑民の会」を結成した。また1970年代後半~80年代にかけて、多くのLGBT団体が生まれた(下記年表参照)。彼らは出版社などに働きかけ、差別的な表現などを是正するように申し入れていた。 日本では欧米のように宗教に根ざした強烈なLGBTへの弾圧の歴史がなく、同性愛に寛容なため、差別への反動としての強いLGBT運動はそれほど盛んではない[要出典]。 日本のLGBT運動・団体の歴史 1971年、東郷健が同性愛者であることを公言して参議院選挙に初立候補。同性愛者の権利獲得と存在をアピールした。 1976年11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」が結成され、10人近いグループで数年間活動した。 1977年3月、「フロントランナーズ」が結成され6人前後のメンバーで数年間活動した。 1977年5月、既成のゲイ雑誌に不満を持つ人たちが、ゲイリベレーションを編集趣旨としてゲイマガジン「プラトニカ」を発刊。同誌を母体に「プラトニカ・クラブ」が結成され、1979年に最終4号を出して解散した。 1979年3月、このプラトニカから数人が参加してJGC(ジャパン・ゲイ・センター)を結成し、ミニコミの「GAY」を8号まで、「CHANGE」を2号まで出し、1982年に解散した。JGCはミニコミをメディアや文化人に送付したり、差別的な報道に抗議したりした。「CHANGE」は1981年8月号で「拝啓 伊藤文学殿」と題して、同性婚を否定し女性との婚姻を勧めるコラムを書いた薔薇族編集長伊藤文学(異性愛者)に抗議を行った。 1979年、東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立。 1978年、TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」で、タックがパーソナリティを担当したゲイの番組がもとになり、ミニコミ「ウェンズデーニューズ」が発行され、「OWC(アウアズ・ワーク・コミュニティ)」というゲイ・グループが生まれた。 1981年、日本在住の外国人ゲイによる「イングリッシュ・スピーキング・オルタネート・ライフスタイル・サポートグループ」が結成された。途中で日本のゲイにも気軽に参加してもらおうと「東京ゲイサポートグループ」に改名し、1984年頃から機関誌「COMING OUT」を発行し、TEL相談、月数回のイベント開催などを行った。 1983年、ティーン中心のゲイサークル「CLASS」が結成され、会員数は40人程(当時)で東京(赤羽)と大阪(所在地は尼崎市)に本部があった。 1984年、IGA(国際ゲイ協会,現ILGA)日本支部発足。アドン編集長南定四郎氏がIGA(欧州に本部を置くゲイの国際団体)から依頼を受け、日本支部として活動開始。同年9月、IGA大阪発足、のちOGC(大阪ゲイ・コミュニティ)に改称し独立色強める。 1985年、東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」が発足した。DJ形式でトークなどの様々な催しをカセットテープに収録し、ゲイのネガティブなイメージの一掃とアピールを目指した。 1986年3月、「動くゲイとレズビアンの会」(通称OCCUR)が結成。 1986年5月1日~3日、「IGA(インターナショナル・ゲイ・アソシエーション)日本」(代表・南定四郎,ILGA)が「第一回アジアゲイ会議」を開催した。 1990年2月、「東京都府中青年の家」に宿泊した「動くゲイとレズビアンの会」のメンバーがキリスト教団体や少年サッカー団体の少年・保護者らから嘲笑や誹謗されるなどトラブル発生。施設所長や都職員も不適切な対応。その後、翌年に予定していた二回目の宿泊の申し込みを拒否される(「府中青年の家事件」)。OCCURが東京都に抗議しメディアで取り上げられる。 1991年2月、「府中青年の家裁判」が起こされる。 1994年8月、ゲイ・パレードが日本で初開催される(フィリピン《6月》に続きアジアで2番目)。 1994年、「GAY-FRONT関西」(現G-FRONT関西)発足。 1997年、府中青年の家裁判で控訴審判決。動くゲイとレズビアンの会の訴えが全面的に認められ結審。 2011年 - ゲイの石川大我(現:参議院議員)が東京都豊島区議会議員に、ゲイの石坂わたるが同中野区議会議員に当選。 2012年、東京レインボープライド(TRP)が代々木公園で開催。以後、毎年4月か5月に開催。 2013年5月、民主党参議院議員の室井邦彦(比例区)が辞職したため、公職選挙法の規定により尾辻かな子元大阪府議会議員(レズビアン)が参議院議員に繰り上げ当選した(同年7月の参議院選挙には出馬せず、任期満了)。同性愛者(LGBT)であることを公表した初めての国会議員の誕生。 2015年3月、同性カップルを結婚に相当する関係と認め、「パートナー」として婚姻届と同等として証明する東京都渋谷区の『渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例』が、渋谷区議会本会議で、賛成多数で可決、成立。採決結果は、定数34のうち自由民主党区議ら計11人が反対した。同条例は、男女平等や多様性の尊重をうたった上で、「パートナーシップ証明」を実施する条項を明記。パートナーシップを「男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備える関係」と定義。同性カップルがアパートの入居や病院での面会を断られるケースなどに配慮し、不動産業者や病院に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう求めている。条例の趣旨に反する行為があり、是正勧告などに従わない場合は、事業者の名前を公表する規定も盛り込まれている。同年4月1日、東京都渋谷区が同性パートナーシップ宣誓制度を開始。全国で初。 2017年10月、第48回衆議院議員総選挙投開票の結果、大阪2区から立憲民主党公認で出馬した元参議院議員の尾辻かな子が自由民主党の左藤章に敗れ、次点の日本維新の会の椎木保より2万票近く下ったものの、比例復活で当選を果たした(2021年10月の第49回総選挙で、落選)。 2019年7月、第25回参議院議員通常選挙投開票の結果、比例代表に立憲民主党公認で立候補した石川大我(ゲイ)が初当選した。石川は尾辻かな子に続き、日本において同性愛者(LGBT)であることを公表している2番目の国会議員となった。 2021年3月、2019年2月に北海道内のカップル3組6人が同性同士の法律婚を認めないのは憲法違反として慰謝料の支払いを国に要求した訴訟の判決で、札幌地方裁判所(武部知子裁判長)は原告の請求を棄却するも、法の下の平等を定めた憲法14条に照らし、「同性婚禁止は違憲」との判断を下した。これに対し、加藤勝信内閣官房長官(菅義偉内閣)は同日午後の定例記者会見で、「現段階では確定前の判決であり、また他の裁判所に継続中の同種訴訟もある。そうした訴訟の判断も注視していきたい」「政府としては、婚姻に関する民法の規定が憲法に反するものとは考えていない」と述べた。一方、税制や相続面での不利益の是正に関しては「判決の詳細について承知していないと申し上げたが、今後、法務省などで精査することになる」とも述べた。 同月、同性カップルにおける不貞行為をめぐる慰謝料請求訴訟において、請求を認容した第一審(宇都宮地方裁判所真岡支部(中畑洋輔裁判官))、控訴審(東京高等裁判所(秋吉仁美裁判長))に続き、最高裁判所が上告を棄却したことで、「同性カップル間でも内縁関係が成立する」との司法判断が確定した。
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