日本におけるM24
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:42 UTC 版)
日本には警察予備隊の創設とともに重装備の一つとして本車の供与が決定され、1952年3月から8月にかけて最初の引渡しが行われ、最終的な供与数は238輌だった。ただし、同年10月の保安隊発足に伴い、実質的な訓練と部隊編成は保安隊発足以後に行われることとなった。 導入当初は憲法九条との兼ね合いから「戦車」ではなく「特車」と呼ばれた。 最初の40輌は相馬原で編成された特別教育隊と普通科連隊第14中隊に少数ずつ分散装備された。後に各師団戦車大隊向けに375輌が供与され、同じく供与されていたM4A3E8と共に、初期の陸上自衛隊の機甲兵力を担った。小柄な車体からM4に比べて日本人の体格に合い、操縦性、踏破性などテケ車に近いと高く評価された。 大型のM4が在北海道部隊などに優先配備されたのと異なり、小型軽量の本車は全国の部隊に広く配備され、創設間もない陸上自衛隊の代表的な「戦車」(装備当時の呼称は「特車」)となった。1961年からはM41軽戦車及び61式戦車の導入が進められて本車との装備更新が進められ、1974年には最後の車両が退役している。 退役した車両は順次返還が行われたが、少数が現在も日本国内に残存しており、富士駐屯地を始めとして陸上自衛隊駐屯地の展示品として保存されている。
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