日本における『三国志演義』・大衆文化の受容とは? わかりやすく解説

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日本における『三国志演義』・大衆文化の受容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:21 UTC 版)

三国志」の記事における「日本における『三国志演義』・大衆文化の受容」の解説

『三国志演義』伝来時期確定していないが、江戸初期には『演義受容記録がようやく増加し詩文などの中に演義影響を受けたもの見られる林羅山慶長9年1604年)までに『通俗演義三国志』を読了した。また、元和2年1616年)に徳川家康遺志により駿府文庫から水戸藩尾張藩移され書籍の内に『演義』があった。 『三国志演義』日本語訳は、元禄2年1689年) - 5年1692年)に湖南文山(『大観随筆によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名)『通俗三国志』が刊行され外国小説では日本語版初の完訳で、満州語版に次ぎ2番目の外国語訳『三国志演義』でもあった。なお、同書は現在知られている『三国志演義』ではなく、それよりも古い形態とされる李卓吾本系底本にしたと考えられている。同書長年にわたり再刊重ね葛飾戴斗葛飾北斎弟子)の錦絵付した池田東雛亭編『絵本通俗三国志』(天保7年1836年) - 12年1841年刊))が人気博し明治期には幸田露伴新訂通俗三国志』(東亜書房 1911年久保天随新訳演義三国志』(至誠堂 1912年)が名高く明治以後諸種の訳が出版された。 昭和から平成かけ出版された主な訳本に、小川環樹金田純一『三国志』岩波文庫改版8巻1988年)、立間祥介『三国志演義』平凡社初版1958年徳間文庫8巻1983年改訳改版4巻2006年角川ソフィア文庫4巻2019年)、井波律子『三国志演義』ちくま文庫全7巻、2002-2003年講談社学術文庫4巻2014年)、渡辺精一新訳三国志』(全3巻天・地・人の巻、講談社2000年)がある。 演劇においても、江戸前期より三国志題材として取り上げられた。寛文延宝年間1670年 - 1681年)には浄瑠璃通俗傾城三国志』が上演され宝永6年1709年)には歌舞伎『三国志』上演されている。『通俗三国志』の刊行以降は一層普及し文化8年1811年初演助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また万延元年初演三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、の下にて」義兄弟契りを結ぶ場面がある。また元文2年初演作品に「関羽」というそのものずばり題名もある。近年では市川猿之助スーパー歌舞伎新・三国志』がある。また、日本国内での祭りにも影響与え弘前ねぷた青森ねぶた代表される青森県一円行われるねぷた、ねぶた祭りでは、『水滸伝』や『漢楚軍談』と共に『三国志演義』登場人物題材取った山車出されている。 洒落本は、夢中楽介の『通人三国師』(天明元年1781年)刊がある。劉備吉原料亭を営むところに借金抱えた孔明転がり込み、さらに仲達押し掛ける孔明計略撃退される、という筋立てである。このような三国志パロディ文人のみならず読者層にも三国志物語広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義読解への熱意見出す見解がある。 曲亭馬琴羅貫中らを崇敬自身を彼らになぞらえ読本表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい。その一方で随筆においては関羽対す辛辣なコメント残している。 戦国人物三国志登場人物なぞらえることも行われ竹中半兵衛諸葛亮擬せられ、豊臣秀吉徳川家康諸葛亮智謀関羽の勇を兼備し武将評された。また、琉球王国三山時代三国志例えられ琉球三国志」と呼ばれることもある。 明治以降は、『三国志演義』をもとにした時代小説多く現れるようになり、児童向け野村愛正三国志物語』(大日本雄弁会講談社 1940年)などがある。 戦後三国志ブームの礎となったのが吉川英治『三国志』新聞小説として『台湾日日新報』などに連載単行本大日本雄弁会講談社初版1948年六興出版 1956年)である。吉川現行の『三国志演義』のみならず湖南文山の『通俗三国志』を参照したとされ、戦闘シーンなどの冗長な描写省き人物像にも独自の解釈取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人日本人との感性の差を考慮し日本人にとって受け入れがたいエピソード作者のコメント寄せるなどの改変行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。講談社文庫ほかで多数重版し吉川三国志日本での事実上底本定番本)となっている。 吉川作品以後は、柴田錬三郎『三国志』書房 1955年)、『三国志 英雄ここにあり』(講談社 1975年)、『三国志 英雄生きるべきか死すべきか』(講談社 1977年)、陳舜臣秘本三国志』(文藝春秋 1974年中公文庫2009年)、『諸葛孔明』『曹操』『曹操残夢 魏の曹一族』(各 中央公論社1991年・1998年2005年、のち中公文庫)、北方謙三『三国志』角川春樹事務所1996年-1998年、のちハルキ文庫)、安能務三国演義』(講談社6巻1999年、のち講談社文庫)、宮城谷昌光『三国志』文藝春秋12巻2004年-2013年、のち文春文庫)を代表とする「三国志小説次々と登場する。ただしこれらの作品のうち、陳・北方宮城谷らの小説『三国志演義』ではなく正史『三国志』を基にしている。 昭和後期以降でのメディア展開作品は、吉川三国志基調に、大河漫画化した横山光輝『三国志』人形劇NHK放送された『人形劇 三国志』などが高い評価受けたまた、コーエー当時光栄)のシミュレーションゲームソフト『三國志シリーズ』がヒット作品となっている。 高度成長期ビジネス競争過熱の中で、競争生き抜く知恵企業リーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合い出され『三国志演義』学べとしたビジネス書多数刊行された。 以降も、ゲーム・漫画アニメ化も)において、コーエーのタクティカルアクションゲームソフト『真・三國無双シリーズ』、原作・原案李學仁漫画王欣太による漫画蒼天航路』などの作品生まれ爆発的な三国志ブーム起き三国志ジャンル一つとして定着する。そしてそれら三国志題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』忠実な作品ではなく大きく改変加えられているものも多い。また、「もし、こうなっていたら」という架空設定作られているものや、あるいは基になっている人物設定大きく換えているものなど、多種多様な作品存在している。

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