日本における『三国志演義』・大衆文化の受容
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『三国志演義』の伝来時期は確定していないが、江戸初期には『演義』受容の記録がようやく増加し、詩文などの中に演義の影響を受けたものも見られる。林羅山は慶長9年(1604年)までに『通俗演義三国志』を読了した。また、元和2年(1616年)に徳川家康の遺志により駿府の文庫から水戸藩・尾張藩へ移された書籍の内に『演義』があった。 『三国志演義』の日本語訳は、元禄2年(1689年) - 5年(1692年)に湖南文山(『大観随筆』によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名)『通俗三国志』が刊行され、外国小説では日本語版初の完訳で、満州語版に次ぎ2番目の外国語訳『三国志演義』でもあった。なお、同書は現在知られている『三国志演義』ではなく、それよりも古い形態とされる李卓吾評本系を底本にしたと考えられている。同書は長年にわたり再刊を重ね、葛飾戴斗(葛飾北斎の弟子)の錦絵を付した池田東雛亭編『絵本通俗三国志』(天保7年(1836年) - 12年(1841年刊))が人気を博し、明治期には幸田露伴『新訂通俗三国志』(東亜堂書房 1911年)久保天随『新訳演義三国志』(至誠堂 1912年)が名高く、明治以後も諸種の訳が出版された。 昭和から平成にかけ出版された主な訳本に、小川環樹・金田純一郎『三国志』(岩波文庫 (改版全8巻、1988年)、立間祥介『三国志演義』(平凡社、初版1958年/徳間文庫全8巻、1983年。改訳・改版全4巻、2006年/角川ソフィア文庫全4巻、2019年)、井波律子『三国志演義』(ちくま文庫全7巻、2002-2003年/講談社学術文庫全4巻、2014年)、渡辺精一『新訳三国志』(全3巻:天・地・人の巻、講談社、2000年)がある。 演劇においても、江戸前期より三国志が題材として取り上げられた。寛文・延宝年間(1670年 - 1681年)には浄瑠璃『通俗傾城三国志』が上演され、宝永6年(1709年)には歌舞伎で『三国志』が上演されている。『通俗三国志』の刊行以降は一層普及し、文化8年(1811年)初演「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また万延元年初演「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面がある。また元文2年初演の作品に「関羽」というそのものずばりの題名もある。近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』がある。また、日本国内での祭りにも影響を与え、弘前ねぷた、青森ねぶたに代表される青森県内一円で行われるねぷた、ねぶた祭りでは、『水滸伝』や『漢楚軍談』と共に『三国志演義』の登場人物に題材を取った山車が出されている。 洒落本は、夢中楽介の『通人三国師』(天明元年(1781年)刊がある。劉備が吉原で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み、さらに仲達が押し掛けるが孔明の計略で撃退される、という筋立てである。このような三国志のパロディは文人のみならず読者層にも三国志の物語が広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義』読解への熱意を見出す見解がある。 曲亭馬琴は羅貫中らを崇敬、自身を彼らになぞらえ、読本の表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい。その一方で、随筆においては関羽に対する辛辣なコメントを残している。 戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえることも行われ、竹中半兵衛は諸葛亮に擬せられ、豊臣秀吉・徳川家康は諸葛亮の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評された。また、琉球王国の三山時代も三国志に例えられ「琉球三国志」と呼ばれることもある。 明治以降は、『三国志演義』をもとにした時代小説も多く現れるようになり、児童向けの野村愛正『三国志物語』(大日本雄弁会講談社 1940年)などがある。 戦後の三国志ブームの礎となったのが吉川英治『三国志』(新聞小説として『台湾日日新報』などに連載。単行本は大日本雄弁会講談社、初版1948年/六興出版 1956年)である。吉川は現行の『三国志演義』のみならず、湖南文山の『通俗三国志』を参照したとされ、戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人と日本人との感性の差を考慮し、日本人にとって受け入れがたいエピソードに作者のコメントを寄せるなどの改変を行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。講談社文庫ほかで多数重版し、吉川三国志が日本での事実上の底本(定番本)となっている。 吉川作品以後は、柴田錬三郎『三国志』(鱒書房 1955年)、『柴錬三国志 英雄ここにあり』(講談社 1975年)、『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』(講談社 1977年)、陳舜臣『秘本三国志』(文藝春秋 1974年/中公文庫、2009年)、『諸葛孔明』『曹操』『曹操残夢 魏の曹一族』(各 中央公論社、1991年・1998年・2005年、のち中公文庫)、北方謙三『三国志』(角川春樹事務所、1996年-1998年、のちハルキ文庫)、安能務『三国演義』(講談社 全6巻、1999年、のち講談社文庫)、宮城谷昌光『三国志』(文藝春秋 全12巻、2004年-2013年、のち文春文庫)を代表とする「三国志」小説が次々と登場する。ただしこれらの作品のうち、陳・北方・宮城谷らの小説は『三国志演義』ではなく正史『三国志』を基にしている。 昭和後期以降でのメディア展開作品は、吉川三国志を基調に、大河漫画化した横山光輝『三国志』、人形劇でNHKで放送された『人形劇 三国志』などが高い評価を受けた。また、コーエー(当時光栄)のシミュレーションゲームソフト『三國志シリーズ』がヒット作品となっている。 高度成長期のビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合いに出され、『三国志演義』に学べとしたビジネス書が多数刊行された。 以降も、ゲーム・漫画(アニメ化も)において、コーエーのタクティカルアクションゲームソフト『真・三國無双シリーズ』、原作・原案李學仁、漫画王欣太による漫画『蒼天航路』などの作品が生まれ、爆発的な三国志ブームが起き、三国志はジャンルの一つとして定着する。そしてそれら三国志を題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』に忠実な作品ではなく、大きく改変が加えられているものも多い。また、「もし、こうなっていたら」という架空の設定で作られているものや、あるいは基になっている人物設定を大きく換えているものなど、多種多様な作品が存在している。
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