原作及び第2作との相違点
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「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の記事における「原作及び第2作との相違点」の解説
初期原作の設定やアニメオリジナル設定を用いているので、第2作以降とは異なる設定が複数存在する。 ドラえもん自体がトラブルメーカーで、のび太のために秘密兵器を出すものの、結局失敗してしまうというパターンが多く“保護者”という後年に出来上がったドラえもんの像と正反対なキャラクター像である。これは連載当初のドラえもん像に顕著である。 序盤は中年男性だった富田耕生がドラえもん声優を担当したこともあって、非常におっとりとした哀愁漂う親父臭い性格に設定されていた。しかし担当声優が野沢雅子に代わって以降、原作の連載初期のような短気で自己主張が強く活発で好戦的な性格に変更され、近所の相撲大会や小学校のラジオ体操などの行事に参加したり、のび太と一緒にのび太の父親に海水浴に連れていくことを強請る描写があり、原作以上に子供らしい性格に描かれている。このように声優の性別が入れ替わるドラえもんの声変わりは、当時の視聴者に大きな衝撃を与えた。 シリーズ前半は東京の下町を舞台にしたハートフルな人情路線であったのに対し、シリーズ後半では「ドラえもんの声優交代」や「ガチャ子のレギュラー化」など大胆なテコ入れを図ってドタバタ喜劇を中心とした「スプラティック・コメディ」へと路線変更した。なお放送開始まもない1973年5月末頃までに提出された中間報告書(提出先・配布先ともに不詳)には「のび太を側面から補助する役割としてドラえもんを登場させた」という当初の構成方針について「主人公ドラえもんの性格描写を忘れ、主人公でありながら、ドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。しかも、演出テクニックとして、原作の特色であるスラップ・スティックな表現を禁じたために、迫力に欠ける単調なコメディの次元に留まってしまった」と、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えた記述も確認できる。これについて藤子不二雄FCネオ・ユートピア編集部のポール舘は「愛読者・視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品を共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず、製作者にとって、マンガ『ドラえもん』の主人公は作品タイトルの『ドラ』本人であってほしい、という不文律を背負ってしまっている『ねじれ』が見受けられる」と指摘している。 作風の変化に関してチーフディレクターの上梨満雄は「前半は比較的テンポがゆったりして、のび太の良き仲間としてドラえもんを描けたのに対して、後半はテンポアップして時代にはあっていたようですが、せわしかったように思えました。私としては、前半の方が好きでした」「終盤は会社を畳むというので、ドタバタしていましたので、あまりよく憶えていませんが、シリーズ後半がスラップスティックな内容になっていたので、最終回でハートウォーミングな話にできて、うまくまとまったと思いました」と語っている。一方で制作主任の真佐美は「ドタバタナンセンスってのはスタッフの性にあってたのかもね。僕が呼んで来るスタッフは虫プロで一緒にやってた仲間が多いから、だんだん地の虫プロのカラーが濃くなってきた」と語っており、後半になると手塚治虫原作のギャグアニメ『悟空の大冒険』のようなテンションの高い作品になっていったという。 えびはら武司は自著『藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道』(竹書房)で本作を否定する発言を繰り返し行っており、本人へのインタビューで「日テレ版は全然人気が出なくて半年で打ち切りになった。原作にない話やキャラクターが出てきたり、途中でドラえもんの声が変わったり、いじりすぎたんです。アニメ化した人が原作をちゃんと理解してなかったんですね。作り方があまりにメチャクチャで、こんなのもうドラえもんじゃないって作品になっちゃって。見てる側が訳がわからずついていけなくなった」と語っている。一方で藤子不二雄FCネオ・ユートピア主催の藤子アニメ上映会で本編を初視聴した作家の名和広は「作品のノリが同時期の東京ムービー系のギャグアニメの系譜で、非常にテンポが良く、全体的に楽しめました。背景も色彩が濃いシンエイ版なんかよりも全然素晴らしく、下町情緒に溢れていて、まるで小林七郎氏が描かれたみたいでした。観賞後、仲間内で、原作の世界観をいじり過ぎだという意見も聞かれましたが、スネ夫のママが空手の有段者だったり、ジャイアンの父ちゃんが背が低かったり、やたら浪花節を強調したりのアレンジは、大らかな(東京ムービー全盛)時代のギャグアニメならではの微笑ましさがあり、僕的には全然OKだったりもしました。ギャグ的にも異常なパワーを感じさせるのも素晴らしかったですね」と肯定的な評価を下している。またブログ「藤子不二雄ファンはここにいる」を運営している藤子不二雄研究家の稲垣高広も「実際に観てみれば、現在の『ドラえもん』のイメージとは違うものの、原作初期のスラップ・スティックなノリとキャラクターの性格を活かしつつ、独自のアレンジと解釈を施すことで、おもしろい娯楽作品に仕上がっていると感じた。少なくとも、失敗作などというイメージからは程遠いものだった」「ドタバタナンセンスのなかに下町的な人情や活気やユーモアが漂い、しかも秘密兵器で引き起こされる不思議な世界がそこにブレンドされて、屈託なく楽しめる」と高く評価している。なお、えびはらの証言には「人気が出なくて打ち切りになった」「テレ朝版と同じ時間帯の毎週金曜夜7時に放送していた」「(ガチャ子の絵を指して)原作にはないキャラが出た」など事実誤認が散見され、一部のネットユーザーからは「非常に一面的で、客観性に欠ける」「当時はテレビアニメ化といえば翻案が行われるのがごく当たり前で、原作に忠実でなかったことを今の価値観で断罪するのは公平ではない」「今になって原作者サイドの一方的かつ感情的な意見を無批判に広めることで、より封印の理由付けに寄与してしまうことも誠実ではない」という批判の声もある。こうした本作に対する誤解と偏見のみが伝承流布される状況のなか、真佐美は「私の後期の仕事は一匹狼のところがあってスタッフも少数しか使っておりませんでした。自分から連絡を絶ってしまったので自分を責めるしかないのですが、私が関わった物が闇の中にあるような気がします。正しく伝わっていないのです。『ドラえもん』も短い期間で当時の事を知っているスタッフも居らず仕方がない事だと思います。でも間違って伝えられるのは汗と涙を流した仲間たちに申し訳ありません。出来るだけ思い出して、なるべく正確に伝え残す義務と責任があると考えております」「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報が出回っていたんです。それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイトを作りました。自分で作った作品だから愛着ありますよね。『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動の根底にあります」とコメントしている。 脚本を担当した鈴木良武は、本作の方向性に「何につけてもドラえもん頼みである原作のび太の性格に、もう少し自主性を持たせる少年にする方向で始めた番組」と明かしており、文芸担当の徳丸正夫や脚本陣が話し合い「自主性のあるのび太少年」の方向性を決定づけたという。このことに関して鈴木は「藤本先生としては原作の思い通りになっていないと感じていたんでしょうね。ただ、あの先生はそういうことをはっきり拒否しなかったから、僕らがそのまま勢いづいてやってしまった」「あれはやっぱり失敗でした。のび太が何でもドラえもん、ドラえもんって言うでしょう。それで、僕らはもう少し自立心のあるのび太にしようじゃないか、みたいな話をしたんだけど、子どもたちは別にそれを望んでなかったんですよ」と原作とアニメに違いが生まれたことを認めている。なお、最終話のラストシーンでは、ドラえもんに頼らず転げ落ちながらも自転車の練習をする「自立したのび太」が見事に描かれている。本作を取材した安藤健二は最終話「さようならドラえもんの巻」について「ドラえもんのポケットから出てくる未来のハイテクに頼ろうとする、テレビ朝日版の“のび太”とは対照的だった。それは、確かに『ドラえもん』の“のび太”としては失格だろう。しかし、私にはひとりの情熱にあふれる少年の姿として、非常に美しい光景に思えた。庇護者から自立することは、私を含めてドラえもんに夢をかなえてもらう“のび太”に憧れを抱いたすべての人にとって、いつかは向き合わなければいけない現実だったはずだ。夕日に向かって叫ぶ“のび太”の姿を、私は一度でいいから見たいと思った」と語っている。 原作に5話だけ登場し、「ライバルキャラがいたほうがいいという軽い思い付きで登場させたが、ちっともよくなかった。焦点が分裂して全く違った性格の漫画になってしまうため、いなかったことになった」という藤子Fの判断により唐突に姿を消したガチャ子だが、アニメ化にあたり当時の原作数の少なさを補うために、レギュラーとして登場させたという。なおガチャ子は、野比家でなく源家に居候している。最終話では未来に帰らず、引き続き20世紀の源家に居残る。 静香の家には、ジャイ子によく似た風貌のボタ子という訛りが特徴的なお手伝いさんがいる(原作ではてんとう虫コミックス第4巻で一度だけ登場)。 富田耕生演じるドラえもんは秘密兵器を出す際、「あ〜らよっ」と江戸弁でかけ声をかけていた。 のび太とジャイアンの普段着が赤色。 セワシがのび太と同じく眼鏡をかけている。 ひみつ道具の総称が「秘密兵器」。 「タケコプター」の名称が「ヘリトンボ」(原作でも初期作品で使われていた)。 「どこでもドア」は登場せず「ミラクル扉」という秘密兵器が登場する(1973年5月13日放送の第7回Aパート「決闘! のび太とジャイアンの巻」より)。なお原作では『小学五年生』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス第0巻収録)で「どこでもドア」に相当するひみつ道具が初登場しているが、放映当時はまだ名前が命名されていない。 ドラえもんの鈴は「ネコあつめすず」というネコを呼び寄せるための鈴だが、原作では故障しており使用描写はない。しかし「ネコあつめすず」の記述以前に、日本テレビ版ではネコを呼び集める「ネコジャラリン」という鈴が登場しており、作品内では故障せず機能していた(1973年8月5日放送の第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」より)。 小学校の名称は下町小学校。 のび太の担任の姓が我成(がなり)。 本作ではドラえもんは21世紀から来た設定になっている(原作初期設定より)。 ジャイアンの母は故人であり、ジャイアンは父子家庭で育つ。 ジャイアンの父は体格が小柄で、人柄が良く息子思いの面が強調されていて、息子のためを思って無理をすることがある。腕力はとても弱い設定。名前は「小助」。雑貨屋「正直屋」を営む。真佐美によると普段は乱暴者の剛田武の優しい一面をどうしたら表現できるかということで、このような剛田家の設定になったという。 原作第1話から登場している「ジャイ子」は不在の設定。また「小池さん」も登場しない。 放映開始前後に発売された『小学五年生』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」で「ドラミ」が原作に初登場しているが、本作には最後まで登場しなかった。 明確にドラえもんが未来に帰る最終回が存在する唯一のテレビアニメシリーズである。
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