原作及び第2作との相違点とは? わかりやすく解説

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原作及び第2作との相違点

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:38 UTC 版)

ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の記事における「原作及び第2作との相違点」の解説

初期原作設定アニメオリジナル設定用いているので、第2作以降とは異な設定複数存在するドラえもん自体トラブルメーカーで、のび太のために秘密兵器を出すものの、結局失敗してしまうというパターン多く保護者”という後年出来上がったドラえもんの像と正反対キャラクター像である。これは連載当初ドラえもん像に顕著である。 序盤中年男性だった富田耕生ドラえもん声優担当したこともあって、非常におっとりとした哀愁漂う親父臭性格設定されていた。しかし担当声優野沢雅子に代わって以降原作連載初期のような短気自己主張強く活発で好戦的な性格変更され近所相撲大会小学校ラジオ体操などの行事参加したり、のび太一緒にのび太父親海水浴に連れていくことを強請る描写があり、原作以上に子供らしい性格描かれている。このように声優性別入れ替わるドラえもん声変わりは、当時視聴者大きな衝撃与えたシリーズ前半東京下町舞台にしたハートフル人情路線であったのに対しシリーズ後半では「ドラえもん声優交代」や「ガチャ子のレギュラー化」など大胆なテコ入れ図ってドタバタ喜劇中心とした「スプラティック・コメディ」へと路線変更した。なお放送開始まもない1973年5月末頃までに提出され中間報告書提出先配布先ともに不詳)には「のび太側面から補助する役割としてドラえもん登場させた」という当初構成方針について「主人公ドラえもん性格描写忘れ主人公ありながらドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。しかも、演出テクニックとして、原作特色であるスラップ・スティック表現禁じたために、迫力欠け単調なコメディ次元に留まってしまった」と、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えた記述確認できる。これについて藤子不二雄FCネオ・ユートピア編集部ポール舘は「愛読者視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず製作者にとって、マンガ『ドラえもん』主人公作品タイトルの『ドラ本人であってほしい、という不文律背負ってしまっている『ねじれ』が見受けられる」と指摘している。 作風の変化に関してチーフディレクターの上満雄は「前半比較テンポゆったりしてのび太良き仲間としてドラえもん描けたのに対して後半はテンポアップして時代にはあっていたようですが、せわしかったように思えました。私としては、前半の方が好きでした」「終盤会社を畳むというので、ドタバタしていましたので、あまりよく憶えていませんが、シリーズ後半がスラップスティック内容になっていたので、最終回ハートウォーミングな話にできて、うまくまとまった思いました」と語っている。一方で制作主任の真佐美は「ドタバタナンセンスってのはスタッフの性にあってたのかもね。僕が呼んで来るスタッフは虫プロ一緒にやってた仲間が多いから、だんだん地の虫プロカラー濃くなってきた」と語っており、後半になると手塚治虫原作ギャグアニメ悟空の大冒険のようなテンションの高い作品になっていったという。 えびはら武司自著藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道』(竹書房)で本作否定する発言繰り返し行っており、本人へのインタビューで「日テレ版は全然人気が出なくて半年打ち切りになった原作にない話やキャラクター出てきたり、途中でドラえもんの声が変わったり、いじりすぎたんです。アニメ化した人が原作をちゃんと理解してかったんですね。作り方あまりにメチャクチャで、こんなのもうドラえもんじゃないって作品になっちゃって見てる側が訳がわからずついていけなくなった」と語っている。一方で藤子不二雄FCネオ・ユートピア主催藤子アニメ上映会本編を初視聴した作家名和広は「作品ノリ同時期の東京ムービー系のギャグアニメ系譜で、非常にテンポ良く全体的に楽しめました。背景色彩が濃いシンエイ版なんかよりも全然素晴らしく下町情緒溢れていて、まるで小林七郎氏が描かれたみたいでした観賞後、仲間内で、原作世界観をいじり過ぎだという意見聞かれましたが、スネ夫ママ空手有段者だったり、ジャイアン父ちゃんが背が低かったり、やたら浪花節強調したりのアレンジは、大らかな東京ムービー全盛時代ギャグアニメならではの微笑ましさがあり、僕的には全然OKだったりもしましたギャグ的にも異常なパワー感じさせるのも素晴らしかったですね」と肯定的な評価下している。またブログ藤子不二雄ファンはここにいる」を運営している藤子不二雄研究家稲垣高広も「実際に観てみれば、現在の『ドラえもん』イメージとは違うものの、原作初期スラップ・スティックノリキャラクター性格活かしつつ、独自のアレンジ解釈を施すことで、おもしろ娯楽作品仕上がっていると感じた少なくとも、失敗作などというイメージからは程遠いのだった」「ドタバタナンセンスのなかに下町的な人情活気ユーモア漂い、しかも秘密兵器引き起こされる不思議な世界がそこにブレンドされて、屈託なく楽しめる」と高く評価している。なお、えびはら証言には「人気が出なくて打ち切りになった」「テレ朝版と同じ時間帯毎週金曜7時放送していた」「(ガチャ子の絵を指して原作にはないキャラ出た」など事実誤認散見され一部ネットユーザーからは「非常に一面的で、客観性欠ける」「当時テレビアニメ化といえば翻案が行われるのがごく当たり前で、原作忠実でなかったことを今の価値観断罪するのは公平ではない」「今になって原作者サイド一方的かつ感情的な意見無批判広めることで、より封印理由付け寄与してしまうことも誠実ではない」という批判の声もある。こうした本作対す誤解偏見のみが伝承流布される状況のなか、真佐美は「私の後期の仕事一匹狼のところがあってスタッフ少数しか使っておりませんでした自分から連絡絶ってしまったので自分責めしかないのですが、私が関わった物が闇の中あるような気がします正しく伝わっていないのです。『ドラえもん』も短い期間で当時の事を知っているスタッフも居らず仕方がない事だ思います。でも間違って伝えられるのは汗と涙を流した仲間たち申し訳ありません出来るだけ思い出して、なるべく正確に伝え残す義務と責任があると考えております」「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報出回っていたんです。それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイト作りました自分作った作品だから愛着ありますよね。『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動根底あります」とコメントしている。 脚本担当した鈴木良武は、本作方向性に「何につけてドラえもん頼みである原作のび太性格に、もう少し自主性持たせる少年にする方向始めた番組」と明かしており、文芸担当徳丸正夫脚本陣話し合い自主性のあるのび太少年」の方向性決定づけたという。このことに関して鈴木は「藤本先生としては原作思い通りになっていない感じていたんでしょうね。ただ、あの先生そういうことをはっきり拒否しなかったから、僕らそのまま勢いづいてやってしまった」「あれはやっぱり失敗でした。のび太が何でもドラえもんドラえもんって言うでしょう。それで、僕らもう少し自立心のあるのび太にしようじゃないかみたいな話をしたんだけど、子どもたち別にそれを望んでかったんですよ」と原作アニメ違い生まれたことを認めている。なお、最終話ラストシーンでは、ドラえもん頼らず転げ落ちながらも自転車練習をする「自立したのび太」が見事に描かれている。本作取材した安藤健二最終話「さようならドラえもんの巻」についてドラえもんポケットから出てくる未来ハイテク頼ろうとする、テレビ朝日版の“のび太”とは対照的だった。それは、確かに『ドラえもん』の“のび太”としては失格だろう。しかし、私にはひとりの情熱にあふれる少年の姿として、非常に美し光景思えた庇護者から自立することは、私を含めてドラえもんに夢をかなえてもらう“のび太”に憧れ抱いたすべての人にとって、いつかは向き合わなければいけない現実だったはずだ。夕日向かって叫ぶ“のび太”の姿を、私は一度いいから見たい思った」と語っている。 原作5話だけ登場し、「ライバルキャラがいたほうがいいという軽い思い付き登場させたが、ちっともよくなかった焦点分裂して全く違った性格漫画になってしまうため、いなかったことになった」という藤子F判断により唐突に姿を消したガチャ子だが、アニメ化にあたり当時原作数の少なさを補うために、レギュラーとして登場させたという。なおガチャ子は、野比家でなく源家居候している。最終話では未来帰らず引き続き20世紀源家居残る静香の家には、ジャイ子によく似た風貌ボタ子という訛り特徴的なお手伝いさんがいる(原作ではてんとう虫コミックス第4巻一度だけ登場)。 富田耕生演じドラえもん秘密兵器を出す際、「あ〜らよっ」と江戸弁かけ声をかけていた。 のび太ジャイアン普段着赤色セワシのび太同じく眼鏡をかけている。 ひみつ道具総称が「秘密兵器」。 「タケコプター」の名称が「ヘリトンボ」(原作でも初期作品使われていた)。 「どこでもドア」は登場せず「ミラクル扉」という秘密兵器登場する1973年5月13日放送第7回Aパート決闘! のび太ジャイアンの巻」より)。なお原作では『小学五年生1973年4月掲載の「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス0巻収録)で「どこでもドア」に相当するひみつ道具初登場しているが、放映当時はまだ名前が命名されていないドラえもんの鈴は「ネコあつめすず」というネコ呼び寄せるための鈴だが、原作では故障しており使用描写はない。しかし「ネコあつめすず」の記述以前に、日本テレビ版ではネコ呼び集めるネコジャラリン」という鈴が登場しており、作品内では故障せず機能していた(1973年8月5日放送第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」より)。 小学校の名称は下町小学校のび太の担任の姓が我成(がなり)。 本作ではドラえもん21世紀から来た設定になっている原作初期設定より)。 ジャイアンの母は故人であり、ジャイアン父子家庭で育つ。 ジャイアンの父は体格小柄で、人柄良く息子思いの面が強調されていて、息子のためを思って無理をすることがある腕力はとても弱い設定。名前は「小助」。雑貨屋正直屋」を営む。真佐美によると普段乱暴者剛田武の優しい一面どうした表現できるということで、このような剛田家設定になったという。 原作第1話から登場している「ジャイ子」は不在設定。また「小池さん」も登場しない放映開始前後に発売された『小学五年生1973年4月掲載の「ハイキングに出かけよう」で「ドラミ」が原作初登場しているが、本作には最後まで登場しなかった。 明確にドラえもん未来帰る最終回存在する唯一のテレビアニメシリーズである。

※この「原作及び第2作との相違点」の解説は、「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の解説の一部です。
「原作及び第2作との相違点」を含む「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の記事については、「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」の概要を参照ください。

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