ドイツのための選択肢 (AfD)における昇進と影響力拡大
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「ビョルン・ヘッケ」の記事における「ドイツのための選択肢 (AfD)における昇進と影響力拡大」の解説
2013年4月、ヘッケは志を共にする者たちとドイツのための選択肢 (AfD)テューリンゲン州支部を設立し、2013年8月には党テューリンゲン州支部代表になると同時に2013年ドイツ連邦議会選挙におけるテューリンゲン州での党比例代表リストの第2番目候補になった。2013年11月、テューリンゲン州アイクスフェルト郡ヴォルビスにおいて、ヘッケが中心になって党郡委員会を設立し、ノルトハウンゼン=アイヒスフェルト=ミュールハウゼン党郡委員会代表に就任した。2014年8月、ビョルン・ヘッケはシュテファン・メーラーと並んでドイツのための選択肢 (AfD)テューリンゲン州支部代表に選出された。2014年テューリンゲン州議会選挙に際して、ヘッケはドイツのための選択肢 (AfD)のテューリンゲン州首相候補として、党の比例代表リストに記載される形で出馬した。ヘッケは居住しているボルンハーゲン選挙区で38%を獲得した。2014年9月22日、テューリンゲン州議会ドイツのための選択肢 (AfD)議員団代表に就任した。ヘッケはテューリンゲン政治教育センターの理事会のメンバーであり、テューリンゲン州メディアセンターにも加わっている。 2015年3月、ザクセ=アンハルト州党支部代表のアンドレ・トッゲンブルグと共に、ヘッケは「エアフルト・レボリューション」なる宣言を起草した。それによって、彼の属する党内右派集団フリューゲルはドイツのための選択肢(AfD)であった当時の党首ベルハルト・ルッケを解任し、党を右傾化させた。 その宣言で、ヘッケは反体制運動を永続的におこなうという政党像を、ドイツのための選択肢 (AfD)のあり方として語った。右翼問題専門家マティアス・クエントによると、危機的状況に直面した場合、伝統的価値観と社会習慣を保守する偽りの保守主義を、ヘッケは使い捨てることも厭わないと見なしている。2015年4月以降、国家社会主義地下組織 (NSU)調査委員会にテューリンゲン州副代表として加わっている。しかし、ヘッケはトルステン・ハイゼのようなドイツ国家民主党 (NPD)活動家との接触や極右系新聞からインタビューを受けていたので、国家社会主義地下組織(NSU)調査委員会のメンバーであるカタリーナ・ケーニヒ=プロイス議員 (左翼党)は懸念を表明した。調査委員会内部の重要な情報がネオナチス側にヘッケによって漏れてしまい、忌憚のない議論が出来なくなってしまうことを恐れたからである。 2015年5月はじめ、ドイツ国家民主党 (NPD)党員たちの大半を極右過激派とは見なすこと出来ないと、ヘッケは表明した。この発言を受けて、当時の党首ベルント・ルッケはヘッケの党からの除名を求めた。2015年5月中旬、ドイツのための選択肢 (AfD)指導部はヘッケの党役職停止と今後2年間はその処分を継続することを決定した。その決定に際して、フラウケ・ペトリーとアレクサンダー・ガウラントは反対票を投じた。2015年9月にフラウケ・ペトリーとイェルク・モイテンを党代表にした新指導部が発足し、ヘッケの党役職停止処分が取り消された。2015年10月、ヘッケがテレビ出演し、議論になった。しかし、党代表のペトリ―とモイテンはこの問題から距離を置いた。モイテンはヘッケの発言を政治上の愚行と言える内容を含むものとした。ここでのヘッケ発言は間違っていたが、叱責するに値するものではないと語った。。2017年1月のドレスデンでのヘッケ発言をモイテンは非難したが、党からの除名処分を下すことはなかった 。これに対して、フラウケ・ペトリーはヘッケの党除名処分を提案し、ドイツのための選択肢 (AfD)全党員にインターネット・メールでヘッケを党から除名する必要性を訴えた。後になって、ビョルン・ヘッケはこの問題で党内権力闘争の犠牲者なってしまったが、ドイツのための選択肢 (AfD)党内における意見の多様さを世間に示すことになったと語った。 2016年、ヘッケはある政治集会において、警官たちに向けてドイツ連邦政府に抗うことを呼びかけた。難民に関する不公正な政策を拒否しないと、政権交代後において警官たちは法廷に召喚されることになると彼は警告した。 2017年1月、2017年ドイツ連邦議会選挙に際してヘッケは立候補せずに、2019年のテューリンゲン州議会選挙にドイツのための選択肢 (AfD)の州首相候補として出馬することを明らかにした。2017年2月中旬、ドイツのための選択肢 (AfD) 指導部はヘッケに対する再度の党除名処分を下した。党幹部のアレクサンダー・ガウラントのヘッケの連邦議会議員選挙出馬を支持した。2017年ドイツ連邦議会選挙後の9月25日、 フラウケ・ペトリーはドイツのための選択肢 (AfD) から離党した。新たな党首を選び直すという状況において、ヘッケはドイツのための選択肢 (AfD)指導部に入ることを思案した。そのために、インタビューを受けた際、ヘッケは郷土との結びつきを重視する穏健な政治家としてのイメージを演じた。失言して地位を失った多くの政治家の失敗から学んで、従来の政治的主張を引っ込めたのである。ドイツ東部住民の生活を脅かしている職場閉鎖に憤り、ドイツのための選択肢 (AfD)に社会的愛国路線、社会的正義実現を優先することを求めた。毎年開催されるキフホイザー集会はドイツのための選択肢 (AfD)内において、右派フリューゲルの影響力を一層強める働きを担った。2017年のキフホイザー集会にはドイツのための選択肢 (AfD)の幾人もの州支部代表、党指導部からガウラント、モイテンも参加した。そこで、ヘッケは同志たちを前にして、永遠に活動し続ける党であることを強調した。 2017年12月に開催されたドイツのための選択肢 (AfD)全国党大会において、ドイツ連邦議会党議員団代表であるアリス・ワイデルを、ヘッケは激しく攻撃した。けれども、彼は党指導部のメンバーには選ばれなかったが、党内右派のアンドレアス・カルヴィツが党指導部入りした。右派はこの党大会で過半数に迫る代議員を擁して、ガウラントとモイテンを党代表に押し上げた。その際、フラウケ・ペトリーはガウラントをヘッケの新たなマリオネット・操り人形と呼んだ。党内右派は党指導部で多数派を得られなかったが、ヘッケの党除名処分は党大会の議題には上げられなかった。2018年5月、ドイツのための選択肢 (AfD)テューリンゲン州支部に置かれた査問委員会は、ヘッケは党規約を違反しておらず、党綱領を逸脱した発言もしていないとして、ヘッケ除名処分提案を却下した。2018年6月、ドイツのための選択肢 (AfD)全国指導部は全員一致して、党テューリンゲン州支部による決定に抗告することを断念した。つまり、党指導部においても、ヘッケに対する党除名処分は撤回された。 2018年6月、ザクセン=アンハルト州にあるブルクシャイドゥンゲン城でおこなわれたキフホイザー集会に際して、ドイツエスタブリッシュメントに向けて最大限の徴発になる開催地を選んだと明らかにした。党共同代表モイテンとガウラントを含む約1千人の聴衆に向けて、ヘッケは移民によって破壊され続けているドイツ文化を守ることを呼びかけた。西欧において退廃的風潮がすっかり定着してしまい、ドイツ人はその内省的資質によって、罪を誇るノイローゼになっていると見なした。ドイツのための選択肢 (AfD)は自然な非イスラム化政策を含む移民対策指針を明らかにすることで、社会問題に関する真っ当な提起をすることで、左翼側から大衆の支持を奪い返すのである。そして、「古く腐った帝政は崩壊した。新しきドイツの共和国、万歳!」というドイツ革命におけるフィリップ・シャイデマン首相の共和国樹立の宣言を引用して演説を終えた。 2018年10月に開催されたドイツのための選択肢 (AfD)テューリンゲン州支部大会において、党内派閥アルタナティーフ・ミッテ(AM)に離党するように求めた。彼らは党内に広がっていたヘッケに向けた個人崇拝を批判していた。この州党大会において、ヘッケは2019年テューリンゲン州議会選挙における党州首相候補に選ばれた。州党大会において、党内派閥アルタナティーフ・ミッテ(AM)はヘッケをドイツ国家とドイツのための選択肢 (AfD)に関して誇大妄想を抱いている政治家と見なしていた。 ドイツのための選択肢 (AfD)の党員グループが2015年にアドルフ・ヒトラー関連施設を訪問し、その時撮影された写真が2018年10月になって明るみに出た。ドイツのための選択肢 (AfD) テューリンゲン州支部査問委員会の1人のメンバーが、オーストリア ブラウナウ・アム・インにあるヒトラー生家を訪問し、その前でロウソクを灯した。アドルフ・ヒトラーの写真を手に持ち、ハーケンクロイツ旗と親衛隊徽章が置かれた机の前でポーズを取ったのである。この写真が明るみに出た後で、数人の党幹部はヘッケに対する新たな党除名処分を求めた。ドイツのための選択肢 (AfD)テューリンゲン州支部は党規約解釈の恣意的濫用であるとしてヘッケに対する除名処分要求を拒んだ。査問委員会メンバーのこの軽率行為によって、ヘッケは巻き添えを受けたに過ぎないとされた。党規約上はヘッケに対する新たな除名処分は不可能で、政治的な意味でも根拠が不足していた。なお、ヘッケは数週間前にこの写真の存在を知り、ヒトラー生家を訪問した査問委員会メンバーに党からの即時除名処分を下した。 2018年11月初旬、ドイツのための選択肢 (AfD)に対する連邦憲法擁護庁の監視を、ヘッケ政治的夜尿症と呼んだ。党幹部でヘッケの理解者でもあったアレクサンダー・ガウラントは、ヘッケのこの発言を間違いで不適切であると見なした。同年11月下旬、党指導部は極右と接触したために、連邦憲法擁護庁の監視を受けることになった党青年部の解散を検討し始めた。それに対して、党指導部の一部幹部が受け入れ難い判断を下そうとしているとして、ヘッケは党青年部を擁護した。なぜなら、党青年部の闘士たちは栄達の可能性を捨てる覚悟で活動しているのであり、暴走に見える行為であっても、若気の至りとして見なすべきであり、その真摯な意志を理解すべきとしてヘッケは党青年部を庇った。 2019年5月のテューリンゲン州地方自治体選挙において、ヘッケはアイクスフェルト郡選挙区でドイツのための選択肢 (AfD)から立候補し当選した。この選挙でドイツのための選択肢 (AfD)は6人が当選したのに対して、キリスト教民主同盟 (CDU)はそれまで維持していた郡議会での過半数を失った。2019年6月末、キリスト教民主同盟 (CDU)に属する郡議会議長ヴェルナー・ヘニッヒが消防自動車更新に関する非公開協議の場からヘッケの支持者議員2人に退席を要求した。ヘッケは党議員団の一員として、郡議会で生じたこの問題に対応した。ヘッケは郡議会議長ヘニッヒ (CDU)によるヘッケ支持者を排除する議事運営に抗議し、ドイツのための選択肢 (AfD)議員団を郡議会議事堂から引き揚げさせた。ヘッケは郡議会における不条理な議事運営を指摘し、法に基づく監査を求めた。ドイツ社会民主党 (SPD)テューリンゲン州代表のヴォルフガング・ティーフェンゼーは、警備上の問題があったため、ヘッケの指摘は的外れであるとした。テューリンゲン州内相ゲオルグ・マイアー (SPD)も同様な発言をした。 2019年のキフホイザー集会において、勇ましい音楽と支持者が振り回す旗に囲まれながら、ヘッケは会場に入場し、忠誠心に篤い党員たちに党内右派フリューゲルのシルバーメダルを授与した。支持者のある者はヘッケに向けて、「あなたこそが我々の指導者であり、我々はあなたに従う用意が出来ている」と語った。その場で、ヘッケは更なる熱意を持って党指導部選挙に取り組むことを予告した。その集会後、100人以上の党員たちがドイツのための選択肢 (AfD)を正常化し強化するためのアピールを発表した。そこでは、党員同士の連帯と連携がヘッケによって破壊され、ヘッケへの個人崇拝が党内で生じていることも批判された。しかしながら、党内の批判者たちはヘッケの政治的主張については批判しなかった。ディ・ヴェルト紙の編集委員マティアス・カマンによると、党内批判者たちにおいて、ヘッケの振舞いが問題になっているだけで、政策に関しては党内右派フリューゲルとは齟齬はなかったのである。実際のところ、批判者のアピール文の内容はヘッケの日頃の主張に類似していた。「我々は市民的で、自由を愛し、国を愛するドイツのための選択肢 (AfD)を代表しているのであり、わが祖国の維持する最後の機会が来ている」と批判者たちはアピールで語っていた。この言い方は「わが祖国のための最後の革命的機会」というフレーズをよく使うヘッケと類似していた。ヘッケの党内敵対者たちにおいても、イデオロギー的立場に関してはヘッケと部分的には共有しており、批判しているのはヘッケへの個人崇拝に限られていると、政治学者シュテファン・カイリッツも見なしている。党内において、右派と穏健派の間にある違いが問題になっているのではなく、極右主義における微妙な差異が党内論争の的になっているのに過ぎないのと論文で指摘している。 2019年のキフホイザー集会の後で、ドイツのための選択肢 (AfD)の数人の州代表と副代表は2019年11月の党大会で党指導部選挙に立候補するようにヘッケに求めた。ヘッケのように能力と志のある者は、地方に留まるのではなく、党中央の指導部に入るべきであると主張した。 2019年夏、ブランデンブルク州 コトブスでの選挙演説において、ヘッケは「メッテルニヒ侯爵」という銘柄の発泡ワインを献呈する言葉を書き込んでいた。選挙演説会に集まった聴衆を前にして、会場にいたブランデンブルク州内相と連邦憲法擁護庁の関係者に発泡ワイン「メッテルニヒ侯爵」を献呈した。発泡ワインの銘柄選択理由として、19世紀ウィーン体制下において集会、思想の自由と民主主義のために尽力したドイツの自由主義者たちが、 クレメンス・フォン・メッテルニヒ侯爵の主導するカールスバート決議によって、扇動者と決めつけられて弾圧されたことを語った。さらに、現代ドイツにおいても、法治国家、民主主義、思想の自由、集会の自由を支持する者が、再び扇動者と呼ばれて抑圧されていると見なした。 2019年テューリンゲン州議会選挙において、ヘッケはドイツのための選択肢 (AfD)の州首相候補として出馬した。その選挙において、ドイツのための選択肢 (AfD)は23,4% (前回比12,8%増)の比例区票を得た。「ヘッケはドイツのための選択肢 (AfD)を右に追いやるのではなく、党の真ん中にいる」と党幹部アレクサンダー・ガウラントは語った。ザクセン州でイェルク・ウルバン、ブランデンブルク州でアンドレアス・カルヴィツ率いられたドイツのための選択肢 (AfD)党内右派フリューゲルは、その時の州議会選挙に勝利した。その結果、党内右派の勢力はドイツのための選択肢 (AfD)党内でより大きな影響力を持った。2019年テューリンゲン州議会選挙において、ヘッケはアイクスフェルトI選挙区では21,4%で、49%を得たキリスト教民主同盟 (CDU)のタデーウス・ケーニッヒの後塵を拝した。けれども、左翼党 (Die Linke)の候補者は12,5%、ドイツ社会民主党(SPD)の候補者は5,4%であったので、ヘッケはキリスト教民主同盟 (CDU)に次ぐ票を得ていた。 2020年テューリンゲン州政府危機が収拾し、再任を果たした左翼党 (Die Linke) ボド・ラメロウ州首相はヘッケとの握手を拒否した。 2019年のドイツのための選択肢 (AfD)全国大会に際して、ヘッケに敵対していたラインラント=プファルツ州党代表ウーヴェ・ユンゲが党指導部選挙で敗退した時、野次やブーイングをしたヘッケ支持者たちの振舞いが批判された。 2020年夏、連邦憲法擁護庁に監視されている新右翼系週刊誌『コンパクト』を支援するために、ヘッケはFacebookにある自分の口座に寄付送金するように呼びかけ、ザクセン州で設立された新右翼NGO「ワンパーセント」に協賛することも求めた。さらに、オーストリア・アイデンティティ運動 (欧州各地に拡散している新右翼運動の一つ)の指導者でもあるマルティン・ゼルナーへの支援も募った。その際、ヘッケは論文の削除を回避するために、マルティン・Sという名前でマルティン・ゼルナーを紹介していた。 2020年、ヘッケは自身のFacebookアカウントにおいて、新右翼系環境保護雑誌『ケーレ』の読者であることを表明した。郷土を憎悪する緑の党が環境保護に関する議論を独占してしまったことが、ドイツ現代史における悲劇の1つであったとヘッケは記している。この雑誌で、真の郷土愛に満ちているドイツのための選択肢 (AfD)が環境保護問題を奪還すべきであると論じている。 2021年5月、ヘッケは同年9月26日におこなわれる2021年ドイツ連邦議会選挙には立候補しないことを再度表明した。
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