ドイツのアテネ進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 10:17 UTC 版)
「ギリシャの戦い」の記事における「ドイツのアテネ進撃」の解説
アテネへの部隊の入場に関する議論はそれ自体が物語であった。総統はギリシャの尊厳を損なわないよう戦勝パレードを行いたくなかったが、ムッソリーニはイタリア軍のために大掛かりな戦勝パレードを行うよう主張した。総統はイタリアの要求を受け入れた。しかし、ギリシャ軍に打ち負かされたイタリア軍によるパレードはギリシャ人たちに空虚な笑いをもたらしたに違いない。 ヴィルヘルム・カイテル イギリス軍はテルモピュライの陣地を放棄した後、テーバイの南の即応防衛陣地へ退却、そしてアテネで最終防衛陣地を築いた。ドイツ第2装甲師団(ハルキスの港を占領するためにエヴィア島へ渡っており、後に戻った)のオートバイ大隊はイギリス軍の後ろに回る任務を与えられた。オートバイ大隊はわずかな抵抗を受けただけで4月27日朝、アテネに到着、以後、装甲車、戦車、歩兵らが続々と到着した。ドイツ軍は大量の燃料(数千トン)、砂糖をつんだ10台のトラック、武器、医薬品、弾薬を積んだ10台のトラックなどを手に入れた。アテネ市民はドイツ軍が数日後にはアテネに侵入すると考えており、家に引きこもり、厳重に戸締りをした。ドイツ軍がアテネに入る前日、アテネのラジオは以下の発表を行った。 こちらはギリシャの声です。ギリシアは尊厳で、誇りある断固たる態度を示しました。皆さんは皆さん自身が歴史に値することを理解してください。私たちのギリシャ軍の勇気と勝利はすでに評価されています。私たちの目的の正当性も認められ、正に私たちの義務を果たしました。ギリシャは復活し、そして再び偉大な国になるでしょう。なぜならギリシャは正義と自由のために戦ったのですから。兄弟よ!勇気と忍耐を!そして誇り高くあってください。ギリシャの人々よ!あなたたちの心の中のギリシャは誇り高く、威厳を持たねばなりません。私たちは正しき国家、そして勇敢な兵士でした。 ドイツ軍はアテナイのアクロポリスへまっすぐに進撃し、ドイツの旗を掲げた。最も有名な出来事を書いた記事によると、アクロポリスの警備を行うエヴゾネス(民族衣装を纏った衛兵)は、ドイツ軍にアクロポリスに掲げられているギリシャの旗をドイツの旗にするよう求められたが、これを拒否、ギリシャの旗を降ろすと、それを抱いてアクロポリスから飛び降りたという。この話が真実か虚偽かに関係なく、多くのギリシャ人はそれを信じ、その兵士を殉教者と思ったという。
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