古代エジプト
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経済
農業
古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスが「エジプトはナイル川の賜物」という言葉を『歴史』に記しており、古代エジプトの主要産業である農業はナイル川の氾濫に多くを負っていた。ナイル川は6月ごろ、モンスーンがエチオピア高原に降らす雨の影響で氾濫を起こす。この氾濫は水位の上下はあれど、氾濫が起きないことはほとんどなかったうえ、鉄砲水のような急激な水位上昇もほぼなく、毎年決まった時期に穏やかに増水が起こった。この氾濫はエチオピア高原から流れてきた肥沃な土壌を氾濫原に蓄積させ、10月ごろに引いていく。これによりエジプトは肥料の必要もなく、毎年更新される農耕に適した肥沃な土壌が得られた。浅い水路を掘って洪水時の水をためていたこの方式はベイスン灌漑方式と呼ばれ、19世紀にいたるまでエジプトの耕作方法であり続けた。作物は大麦と小麦が中心であり、野菜ではタマネギ、ニンニク、ニラ、ラディッシュ、レタスなどが主に栽培された。豆類ではソラマメ、ヒヨコ豆。果実ではブドウ、ナツメヤシ、イチジク、ザクロなどがあった。外国から伝わった作物としては、新王国時代にリンゴ、プラム、オリーブ、スイカ、メロン。プトレマイオス朝時代にはモモ、ナシなどが栽培された。
古王国時代から中央集権の管理下におかれており、水利監督官は洪水の水位によって収穫量を予測した。耕地面積や収穫量は記録され、収穫量をもとに徴税が行われて国庫に貯蔵され、食料不足の際には再配分された。農民の大部分は農奴であったが、新王国時代になると報酬によって雇われる農民や、自立農民が増加した[9]。
産業
造船、ビールの醸造、工芸、など高度な技能が必要な職があったことから、これらに従事する職人が存在していたと推測されている[10]。
対外関係と交易
エジプトの本国はナイル川の領域に限られており、それ以外の地域は基本的にすべて外国とみなされていた。ナイル川流域でも、エレファンティネ(アスワン)の南にある第一急流によって船の遡上が阻害されるため、それより南は外国とみなされていた。この南の地域はヌビアと総称され、古王国以降の歴代王朝はたびたび侵攻し徐々に支配地域を南下させていったものの、動乱期になるとこの地域は再び独立し、統一期になると再びエジプトの支配下に入ることを繰り返した。この過程でヌビア地方はエジプトの強い影響を受け、のちに成立したクシュ王国においてもピラミッドの建設(ヌビアのピラミッド)をはじめとするエジプト文化の影響が各所にみられる。ヌビア以外の諸外国については中王国時代までは積極的な侵攻をかけることはほとんどなく、交易関係にとどまっていたものの、新王国期にはいるとヒクソスの地盤であったパレスチナ地方への侵攻を皮切りに、パレスチナやシリア地方の小国群の支配権をめぐってミタンニやヒッタイト、バビロニアなどの諸国と抗争を繰り広げるようになった。また、古王国期から新王国期末までの期間は、アフリカ東部にあったと推定されているプント国と盛んに交易を行い、乳香や没薬、象牙などを輸入していた。
エジプトの主要交易品と言えば金であった。金は上エジプトのコプトスより東に延びるワディ・ハンママート周辺や、ヌビアのワワトやクシュから産出された[11]。この豊富な金を背景にエジプトは盛んに交易を行い、国内において乏しい木材・鉱物資源を手に入れるため、銅、鉄、木材(レバノン杉)、瑠璃などをシリア、パレスチナ、エチオピア、イラク、イラン、アナトリア、アフガニスタン、トルコなどから輸入していた[12]。とくに造船に必須である木材は国内で全く産出せず、良材であるレバノン杉を産するフェニキアのビブロスなどからに輸入に頼っていた。ビブロスは中王国期にはエジプト向けの交易の主要拠点となり、当時エジプト人は海外交易船を総称してビブロス船と呼んだ[13]。ビブロスからはまた、キプロスから産出される豊富な銅もエジプトに向け出荷されていた。このほかクレタ島のミノア文明も、エジプトと盛んに交易を行っていた。
下エジプト東端からパレスチナ方面にはホルスの道と呼ばれる交易路が地中海沿いに伸びており、陸路の交易路の中心となっていた。紅海沿いには中王国期以降エジプトの支配する港が存在し、上エジプトのナイル屈曲部から東へ砂漠の中を延びるルートによって結ばれていた。この紅海の港を通じてプントやインド洋沿海諸国との交易がおこなわれた。
通貨
貨幣には貴金属が使われた。初期は秤量貨幣だったが、後期には鋳造貨幣が用いられた。
興味深い例としては、穀物を倉庫に預けた「預り証」が、通貨として使われたこともある。穀物は古くなると価値が落ちるため、この通貨は時間の経過とともに貨幣価値が落ちていく。結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換するという行為が行われたため、流通が早まった。その結果、古代エジプトの経済が発達したという説があり、地域通貨の研究者によって注目されている。また、ローマの影響下で貨幣が使われるようになった結果、「価値の減っていく通貨」による流通の促進が止まり、貨幣による富の蓄積が行われるようになりエジプトの経済が没落したという説もある[誰によって?]。
食料の現物支給による支払いも多かったことから、配分のため単位分数の計算法(エジプト式分数)が発達した。
注釈
- ^ 上下というのはナイル川の上流・下流という意味であり、ナイル川は北に向かって流れているため、北にあたる地域が下エジプトである(逆もまた然り)。
出典
- ^ 年代区分は松本 (1998)およびスペンサー (2009)を参考にした。ただし、第3中間期の終了とそれに続く末期王朝時代の年代は学者により意見が分かれており定説を見ないが、ここでは26王朝で切るスペンサーの説に拠った。
- ^ 「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」p18 ビル・マンリー著、鈴木まどか訳 河出書房新社 1998年7月15日初版発行
- ^ 『世界経済史』p64 中村勝己 講談社学術文庫、1994年
- ^ 松本 (1998), p. 18, 42, 98, 138, 278.
- ^ a b c d e Inc, mediagene (2012年7月20日). “なぜ1日は24時間なの?”. www.gizmodo.jp. 2021年7月20日閲覧。
- ^ 木村, 靖二、岸本, 美緒、小松, 久男 編『詳説 世界史研究』山川出版社、2017年11月30日、21頁。ISBN 978-4-634-03088-6。
- ^ a b c 古代オリエント集. 筑摩書房. (1978年4月30日)
- ^ a b Kodai ejiputojin. David, Ann Rosalie., Kondō, Jirō, 1951-, 近藤, 二郎, 1951-. 筑摩書房. (1986). ISBN 4-480-85307-3. OCLC 673002815
- ^ 吉村作治『ファラオの食卓』 1章
- ^ a b c d “特別プロジェクト:古代エジプトビールの再現 - キリンビール大学”. 麒麟麦酒. 2021年5月14日閲覧。
- ^ 「古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで」p37 山花京子 慶應義塾大学出版会 2010年9月25日初版第1刷
- ^ a b c 古代エジプト人、痛恨のミス 日本の科学がツタンカーメンに挑む|中東解体新書| - NHK
- ^ 「海を渡った人類の遙かな歴史 名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか」p138 ブライアン・フェイガン著 東郷えりか訳 河出書房新社 2013年5月30日初版
- ^ a b c “古代エジプトの暮らし<1> 「食」ビール醸造 大発明:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- ^ “認定看護師リレーエッセイ No.11 | 市立旭川病院”. www.city.asahikawa.hokkaido.jp. 2022年11月28日閲覧。
- ^ Jean Towler and Joan Bramall, Midwives in History and Society (London: Croom Helm, 1986), p. 9
- ^ Reeko (2014年5月2日). “New Research Proves Clever Trick Egyptians Used To Move Those Massive Stones Across The Sand - Geek Slop” (英語). 2023年11月8日閲覧。
- ^ “Mystery Of How The Egyptians Moved Pyramid Stones Solved” (英語). IFLScience (2014年5月5日). 2023年11月8日閲覧。
- ^ 「パンの文化史」p106 舟田詠子 講談社学術文庫 2013年12月10日第1刷発行
- ^ a b “欧米で主食なのはパンではなく、実は肉。しかしエジプトは本当にパンが主食だった│キリンビール大学│キリン”. キリン. 2021年5月14日閲覧。
- ^ “スイカ”. いわき市. 2019年10月19日閲覧。
- ^ “古代エジプトの暮らし<2> 「美」青色は復活の願い:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- ^ a b c “古代エジプトの暮らし<3> 「娯楽」西洋音楽の「原型」:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- ^ 『図説 スポーツの歴史―「世界スポーツ史」へのアプローチ』稲垣正浩ほか著、大修館書店、1996年、pp. 14-15. ISBN 978-4-469-26352-7
- ^ “古代エジプトの暮らし<4> 「葬送」来世「永遠の生」を:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
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