古代エジプト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 00:04 UTC 版)
古代エジプトの王朝 |
---|
王朝誕生前のエジプト |
エジプト初期王朝 |
第1 第2 |
エジプト古王国 |
第3 第4 第5 第6 |
エジプト第1中間期 |
第7 第8 第9 第10 |
エジプト中王国 |
第11 第12 |
エジプト第2中間期 |
第13 第14 第15 第16 第17 |
エジプト新王国 |
第18 第19 第20 |
エジプト第3中間期 |
第21(並立:アメン大司祭) 第22 第23 第24 第25 第26 |
エジプト末期王朝時代 |
第27 第28 第29 第30 第31 |
グレコ・ローマン時代 |
アレクサンドロス大王 |
プトレマイオス朝 |
アエギュプトゥス |
エジプトは不毛の砂漠地帯であるが、毎年夏のナイル川の増水で水に覆われる地域には河土が運ばれて堆積し、農耕や灌漑が可能になる。この氾濫原だけが居住に適しており、主な活動はナイル河で行われた。ナイル川の恩恵を受ける地域はケメト(黒い大地)と呼ばれ、ケメトはエジプトそのものを指す言葉として周囲に広がるデシェレト(赤い大地、ナイル川の恩恵を受けない荒地)と対比される概念だった。このケメトの範囲の幅は非常に狭く、ナイル川の本流・支流から数kmの範囲にとどまっていた。しかしながら川の周囲にのみ人が集住しているということは交通においては非常に便利であり、川船を使って国内のどの地域にも素早い移動が可能であった。この利便性は、ナイル河畔に住む人々の交流を盛んにし、統一国家を建国し維持する基盤となった。
ナイル川本流からナイル川の上流は谷合でありナイル川1本だけが流れ、下流はデルタ地帯(ナイル川デルタ)が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)[注釈 1]でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、ファラオ(王)の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。
毎年のナイル川の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃、ナイル川は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量術、幾何学、天文学が発達した。ヒエログリフから派生したワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字(原カナン文字)は世界の殆どのアルファベットの起源となったとされる。
エジプト文明と並ぶ最初期における農耕文明の一つであるメソポタミア文明が、民族移動の交差点にあたり終始異民族の侵入を被り支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的安定しており、部族社会が城壁を廻らせて成立する都市国家の痕跡は今の所発見されていない。
注釈
- ^ 上下というのはナイル川の上流・下流という意味であり、ナイル川は北に向かって流れているため、北にあたる地域が下エジプトである(逆もまた然り)。
出典
- ^ 年代区分は松本 (1998)およびスペンサー (2009)を参考にした。ただし、第3中間期の終了とそれに続く末期王朝時代の年代は学者により意見が分かれており定説を見ないが、ここでは26王朝で切るスペンサーの説に拠った。
- ^ 「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」p18 ビル・マンリー著、鈴木まどか訳 河出書房新社 1998年7月15日初版発行
- ^ 『世界経済史』p64 中村勝己 講談社学術文庫、1994年
- ^ 松本 (1998), p. 18, 42, 98, 138, 278.
- ^ a b c d e Inc, mediagene (2012年7月20日). “なぜ1日は24時間なの?”. www.gizmodo.jp. 2021年7月20日閲覧。
- ^ 木村, 靖二、岸本, 美緒、小松, 久男 編『詳説 世界史研究』山川出版社、2017年11月30日、21頁。ISBN 978-4-634-03088-6。
- ^ a b c 古代オリエント集. 筑摩書房. (1978年4月30日)
- ^ a b Kodai ejiputojin. David, Ann Rosalie., Kondō, Jirō, 1951-, 近藤, 二郎, 1951-. 筑摩書房. (1986). ISBN 4-480-85307-3. OCLC 673002815
- ^ 吉村作治『ファラオの食卓』 1章
- ^ a b c d “特別プロジェクト:古代エジプトビールの再現 - キリンビール大学”. 麒麟麦酒. 2021年5月14日閲覧。
- ^ 「古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで」p37 山花京子 慶應義塾大学出版会 2010年9月25日初版第1刷
- ^ a b c 古代エジプト人、痛恨のミス 日本の科学がツタンカーメンに挑む|中東解体新書| - NHK
- ^ 「海を渡った人類の遙かな歴史 名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか」p138 ブライアン・フェイガン著 東郷えりか訳 河出書房新社 2013年5月30日初版
- ^ a b c “古代エジプトの暮らし<1> 「食」ビール醸造 大発明:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- ^ “認定看護師リレーエッセイ No.11 | 市立旭川病院”. www.city.asahikawa.hokkaido.jp. 2022年11月28日閲覧。
- ^ Jean Towler and Joan Bramall, Midwives in History and Society (London: Croom Helm, 1986), p. 9
- ^ Reeko (2014年5月2日). “New Research Proves Clever Trick Egyptians Used To Move Those Massive Stones Across The Sand - Geek Slop” (英語). 2023年11月8日閲覧。
- ^ “Mystery Of How The Egyptians Moved Pyramid Stones Solved” (英語). IFLScience (2014年5月5日). 2023年11月8日閲覧。
- ^ 「パンの文化史」p106 舟田詠子 講談社学術文庫 2013年12月10日第1刷発行
- ^ a b “欧米で主食なのはパンではなく、実は肉。しかしエジプトは本当にパンが主食だった│キリンビール大学│キリン”. キリン. 2021年5月14日閲覧。
- ^ “スイカ”. いわき市. 2019年10月19日閲覧。
- ^ “古代エジプトの暮らし<2> 「美」青色は復活の願い:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- ^ a b c “古代エジプトの暮らし<3> 「娯楽」西洋音楽の「原型」:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- ^ 『図説 スポーツの歴史―「世界スポーツ史」へのアプローチ』稲垣正浩ほか著、大修館書店、1996年、pp. 14-15. ISBN 978-4-469-26352-7
- ^ “古代エジプトの暮らし<4> 「葬送」来世「永遠の生」を:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2021年5月14日閲覧。
- 古代エジプトのページへのリンク