スーパーファミコン
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沿革
- 1987年9月9日 - 京都新聞にて、山内溥社長(当時)が初めてスーパーファミコンに言及。
- 1988年11月21日 - 任天堂本社にて、試作機を披露し1989年7月発売を発表[2]。同年に本体と同時発売のソフト『マリオブラザーズ4』、『ドラゴンクエストV』発売と発表[3]。
- 1989年7月28日 - 任天堂本社にて、仕様が確定しファミリーコンピュータとの互換性のための「ファミコンアダプタ」は作らないと発表。サードパーティは21社、発売延期の理由はNintendo Entertainment Systemとゲームボーイの増産によって半導体が不足しているうえ、依然としてファミリーコンピュータ市場が活況を呈しているため[4]。
- 1990年
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 3月18日 - 経営悪化していた衛星デジタル音楽放送に7億8200万円を出資するとともに、スーパーファミコンと衛星放送を結びつけるサービスを1994年4月から開始と発表[11]。
- 12月 - 出荷台数、国内1136万台、米国1416万台[12]。
- 1994年
- 1995年
- 2月23日 - 「スーパーファミコン放送」開始日を同年4月23日に延期することを発表[15]。
- 4月1日 - BS音声放送局セント・ギガと共同で、専用アダプタ「サテラビュー」を接続したスーパーファミコンを受信端末とした、衛星データ放送の試験放送を開始。
- 4月23日 - スーパーファミコン向け衛星データ放送の本放送を開始。
- 12月14日 - 1996年2月1日より任天堂は自社ソフトの価格上限を引き下げると共に、ソフト評価機関スーパーマリオクラブで一定の評価を得たサードパーティ製ソフトのロイヤリティを引き下げると発表。ソフト価格を最大9,800円に設定した次世代機NINTENDO64の発売を見据えた措置[16]。
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1月30日 - ポケットモンスターの人気を受け、スーパーゲームボーイに通信コネクタを追加した上位機種『スーパーゲームボーイ2』発売。
- 3月27日 - 本体価格を2千円値下げした廉価機『スーパーファミコンジュニア』発売。価格7,800円[23]。
- 1999年3月31日 - 任天堂が衛星データ放送事業から撤退。4月以降、サテラビュー向け放送サービスはセント・ギガ単独提供で継続。
- 2000年6月30日 - セント・ギガがサテラビュー向け衛星データ放送終了。
- 2002年8月31日 - ニンテンドウパワー、ローソン店頭でのサービスを終了。以降は任天堂本社、各営業所へ引き継がれる。
- 2003年9月30日 - 部材調達の困難等を理由に本体の生産終了。
- 2004年 - 最終的な出荷台数は日本で1,717万台、アメリカで2,335万台、その他の国で858万台、全世界累計出荷台数4,910万台[1]。
- 2007年
- 2月28日 - ニンテンドウパワーサービス終了。
- 10月31日 - スーパーファミコンの公式修理サポート受付終了。
- 11月 - 「クラブニンテンドー」の2007年度(平成19年度)プラチナ会員特典の内容が発表され、その一つとして「Wii スーパーファミコン クラシックコントローラ」が賞品として登場、翌年4月に希望した会員に発送された。このコントローラは、その名の通り、Wiiのクラシックコントローラとして本機のコントローラをほぼ完全に復刻させたもので、パッケージもスーパーファミコンの箱の絵柄に似せてある。
- 2012年6月 - スーパーファミコンJr.の公式修理サポート受付終了[24]。
注釈
- ^ 雑誌やマリオカートシリーズにおける『スーパーマリオカート』のリメイク作品のハード通称などで見られる
- ^ これらはファミリーコンピュータと共用できるという理由で同梱されなかった。
- ^ 基板バージョンによっては搭載LSIが異なる。
- ^ 本体側との接続に使われるコネクターの形状が独自規格であるため市販の映像ケーブルは使用不可。この規格はニンテンドーゲームキューブまで使われることになる。
- ^ 「スーパーマリオワールド」のような折り畳み式の説明書もあった。
- ^ 後に発売されるソニーのゲーム機のプレイステーションとは名前は同じだが、商標とロゴを流用しただけの別物
- ^ 現代電子は1989年から1999年にかけて本機のみならず、NES(日本国外版ファミリーコンピュータの名称)、ゲームボーイ、NINTENDO64のライセンス販売も行っていた。
- ^ 香港・台湾にて任天堂の現地子会社が発売したスーパーファミコン用ソフトの品番もSNSN表記。
- ^ 写真はスーパーマリオワールド。著作権保護のためにモザイク加工をしている。
- ^ 『F-ZERO シリーズ』の主人公である「キャプテン・ファルコン」は、元々スーパーファミコン自体のイメージキャラクターとして作られていた[41]。
出典
- ^ a b c d “任天堂株式会社 連結販売実績数量の推移” (PDF). 任天堂. 2021年5月1日閲覧。
- ^ a b 「任天堂の16ビットファミコン スーパーFCの発表 従来のFCとは「間接互換」で7月発売」『ゲームマシン』(PDF)、第348号(アミューズメント通信社)、1989年1月15日、2面。
- ^ “スーパーファミコン発売前夜”. ニコニコチャンネル (2013年8月1日). 2017年2月21日閲覧。
- ^ 「任天堂の16ビット家庭用 スーパーFC仕様決定 発売は半導体事情のため一年後に先送り」『ゲームマシン』(PDF)、第363号(アミューズメント通信社)、1989年9月1日、3面。
- ^ 「任天堂「スーパーファミコン」11月21日に発売決まる 価格は25000円、ソフト3本同時発売」『ゲームマシン』(PDF)、第385号(アミューズメント通信社)、1990年8月1日、3面。
- ^ a b c d 『懐かしスーパーファミコン パーフェクトガイド もう一度遊びたい!名作揃いの16ビットゲーム』マガジンボックス、2016年9月21日、101頁。ISBN 9784866400082。OCLC 960434261。
- ^ 「ゲーム場市場順調に回復 家庭用安定、遊園地堅調 余暇開発センター調べ「レジャー白書発表」」『ゲームマシン』第404号(アミューズメント通信社)、1991年6月1日、8面。
- ^ 「東京おもちゃショー91 家庭用ソフトに重点 AM業界からもCSG含め多数が出展」『ゲームマシン』第407号(アミューズメント通信社)、1991年7月15日、4面。
- ^ 「ゲーム場市場大幅に拡大 家庭用安定、遊園地堅調 余暇開発センター調べ「レジャー白書92発表」」『ゲームマシン』第427号(アミューズメント通信社)、1992年6月1日、9面。
- ^ 「SFC用「CD-ROMアダプター」 任天堂は来年1月発売 独自のシステムカセット内臓チップに特徴」『ゲームマシン』(PDF)、第420号(アミューズメント通信社)、1992年2月15日、1面。
- ^ 「任天堂、衛星放送利用に乗り出す セントギガに出資 TVゲームの新分野に」『ゲームマシン』(PDF)、第448号(アミューズメント通信社)、1993年5月1日、1面。
- ^ a b 「GBソフトが使える SFC周辺装置 任天堂が6月にも発売」『ゲームマシン』(PDF)、第470号(アミューズメント通信社)、1994年4月15日、4面。
- ^ 「任天堂とセントギガ 来春BSでデータ放送 SFC用新作ソフト紹介など無料で」『ゲームマシン』(PDF)、第477号(アミューズメント通信社)、1994年8月1日、3面。
- ^ 「任天堂/セントギガによるSFC利用の 衛星データ放送開始 2月から申し込み受け付け、4月から実施」『ゲームマシン』(PDF)、第488号(アミューズメント通信社)、1995年2月1日、1面。
- ^ 「任天堂SFCアワー 本放送23日から セット価格1万8千円に変更」『ゲームマシン』(PDF)、第492号(アミューズメント通信社)、1995年4月1日、3面。
- ^ 「2月出荷分から SFC用値下げ 任天堂、OEM価格引き下げ」『ゲームマシン』(PDF)、第511号(アミューズメント通信社)、1996年2月1日、7面。
- ^ 「SFCと電話回線使った 通信対戦装置 カタパルト「Xバンド」を発売」『ゲームマシン』(PDF)、第520号(アミューズメント通信社)、1996年6月15日、6面。
- ^ 「スーパーファミコン9800円に テコ入れ狙い下げ ソフトは据え置き 任天堂、来月14日から」 『日本経済新聞』1996年7月19日付朝刊、第13版、第13面。
- ^ 報道資料 任天堂株式会社 ゲ-ムソフト流通の新サ-ビスについて - ウェイバックマシン(1997年1月28日アーカイブ分)
- ^ 「任天堂の新システム ソフト書き換え SFC用、ローソン店頭で来夏」『ゲームマシン』(PDF)、第532号(アミューズメント通信社)、1996年12月15日、7面。
- ^ 『日本最大規模のオンラインネットワーク 「マルチメディアステーション」の一つのサービスとして 「ニンテンドウパワー」スタート』(プレスリリース)任天堂、1997年9月26日 。2021年5月1日閲覧。
- ^ 「任天堂「SFC」の ソフト書き換え ローソン設置のMMCで」『ゲームマシン』(PDF)、第552号(アミューズメント通信社)、1997年11月1日、4面。
- ^ a b 「任天堂、家庭用で 新製品を次々と 4月に「GBライト」発売」『ゲームマシン』(PDF)、第561号(アミューズメント通信社)、1998年4月1日、14面。
- ^ 修理のご案内:修理の受付が終了した商品 - ウェイバックマシン(2012年6月27日アーカイブ分)
修理のご案内:修理の受付が終了した商品 - ウェイバックマシン(2012年7月6日アーカイブ分) - ^ 『ワンダーライフスペシャル 学年誌が伝えた子ども文化史 昭和50〜64年編』小学館、2018年5月30日、39頁。ISBN 978-4-09-106615-2。(『小学六年生』1989年1月号記事の再録)
- ^ Otomaru (2023年1月29日). “「データ容量」で読み解くビデオゲーム史:40年間で530万倍にも増加したデータ容量、その時代ごとの特徴を整理する”. IGN Japan. 2023年1月30日閲覧。
- ^ ウワーマン (2020年7月19日). “初代『スターオーシャン』がSFCで発売された日。SFとファンタジーが融合した物語が魅力的で、仲間の素顔が垣間見える特殊イベント“PA”にも夢中になった【今日は何の日】”. ファミ通.com. 2023年1月30日閲覧。
- ^ a b c 週刊ファミコン通信 no.328. アスキー. (1995年3月31日). p. 11
- ^ “任天堂とフィリップスが共同開発しPlayStation誕生のきっかけとなった黒歴史ゲームハード「CD-i」とは?”. GIGAZINE. OSA (2018年5月24日). 2021年2月21日閲覧。
- ^ ファミ通プレイステーション クラシック
- ^ “ソニーがかつて任天堂と共同開発したスーパーファミコン互換「PlayStation」の実機が見つかる”. GIGAZINE. OSA (2015年7月6日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ “任天堂とソニーが共同開発した幻のゲーム機「Nintendo PlayStation」”. GIGAZINE. OSA (2016年7月25日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ 「晴海で開かれた第4回初心会展 山内社長が講演 CD-ROMはソフト次第、強調」『ゲームマシン』(PDF)、第436号(アミューズメント通信社)、1992年10月15日、3面。
- ^ “ファミコンに続いて、スーパーファミコンが小さくなって再登場!”. 任天堂 (2017年6月27日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ “ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン、10月5日発売決定! 幻の『スターフォックス2』のほか、国内では『FE 紋章の謎』や『パネルでポン』などを収録”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2017年6月27日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ “Nintendo Switch Onlineに待望のスーパーファミコン参戦! 9月6日に第1弾20タイトルを一挙追加へ”. ねとらぼ. ITmedia (2019年9月5日). 2023年3月17日閲覧。
- ^ old.jpg(SHVC: スーパーファミコン、MiragePalace)[出典無効]
- ^ WEEKLYファミ通. 株式会社アスキー. (1996年6月28日)
- ^ “グッドハウス代表及びメンバー企画商品・受賞歴(一部紹介)”. グッドハウス. 2023年1月24日閲覧。
- ^ “グッドハウス 企画・開発ヒット商品 アーカイブ”. グッドハウス. 2023年1月24日閲覧。
- ^ “「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」発売記念インタビュー 第2回「F-ZERO篇」”. 任天堂 (2017年9月7日). 2018年7月10日閲覧。
- ^ “20年の時を経て…スーパーファミコン新作『Nightmare Busters』が遂に出荷”. インサイド (2014年1月22日). 2014年1月24日閲覧。
- ^ “まさかのSFC用"新作"対戦格闘ゲーム「Unholy Night」プレビュー”. IGN Japan (2017年4月16日). 2017年6月27日閲覧。
- ^ スーパーファミコン、現在でも所有率4割強 オンラインゲームのオリコンランキング 2008年2月7日 - ウェイバックマシン(2008年2月8日アーカイブ分)
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