1988年 - 番組の終了とは? わかりやすく解説

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1988年 - 番組の終了

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)

「ザ・ベストテン」記事における「1988年 - 番組の終了」の解説

番組10年目迎え、「月間ベストテン」をスタートさせ、ランキングボードやオープニング新しいものにした。この頃になると光GENJI南野陽子工藤静香らが番組添えており、夏頃までは20%超える回もあるなど歌番組の中では安定した人気誇っていた。しかし10月から裏番組としてフジテレビで「とんねるずのみなさんのおかげです」がスタートし一気視聴率逆転される。89年から司会渡辺正行メインにし、それまで初登場の曲にのみに出していた歌詞テロップ常時出すなどのテコ入れをしたが効果見られず、1989年7月6日番組内打ち切り発表2ヶ月後9月28日最終回迎えた1988年から各月最終週に「月間ベストテン開始月間ベストテン限り歌われる曲すべてに歌詞テロップ出た。ところが、1988年2月25日池田政典の「FORMULA WIND」が通常のウイークリー10位で初登場したものの、当日月間ベストテンだったため事前にファン招いてスタジオ収録10程度流れるも生歌唱ができず、翌週には圏外落ちしてしまった。その後は、月間ベストテン放送回週間ランキング初登場した歌手がいればトップバッター歌わせる処置がとられた。 ランキングボードが老朽化のため制作費1,560万円をかけてランプ円か星型になった新しいものに変更得点表示4桁から6増え年間ベストテン得点表示可能になった。4桁時代のランキングボードは、1987年豪華版終了後視聴者プレゼントされた。実際に6全て使用したのは計16回。なお、新調されたランキングボードは2021年現在保管されており復活特番ベストテン回顧するイベント・番組企画使用されている。1月7日放送分から、オープニング映像番組テーマ曲新しアレンジのものに変更された。また、ゲスト席や上記のランキングボードなどメインセットがリニューアルされ、ランキングボードの隣にある中継映像を映すテレビモニターの上部に日付テロップデジタル表示)が設置されるうになる。なお、この日の10発表前に近藤真彦母親遺骨盗難された事件について黒柳テレビ通じて返すように呼び掛け場面があった。 3月31日 - 2回目の「ザ・ベストテン延長戦」を放送。この日は月間ベストテンという形での延長戦になった。しかし、クイズまでの映像が長すぎたこと、光GENJI諸星和己黒柳化して司会の邪魔をしたこと、出演しない歌手クイズ黒柳代理答えるなど前年度より段取りの悪い内容のため、ランキング紹介途中17位)で終わる。17位は酒井法子の「GUANBARE」だったが、わずか20前後し出演せず、歌唱披露すらできないまま放送終了となってしまった。そのため代替として、酒井翌週冒頭中継出演で「GUANBARE」を歌唱した。 6月16日23日 - 2週に限り、「私は黒柳」というテーマ黒柳のまねをした女性松下司会進行サザンオールスターズ3年ぶりに出演8月4日 - 箱根からの生中継箱根からの出演光GENJI薬師丸ひろ子のみで、それ以外歌手コンサート会場などからの中継10月6日 - 公開生放送550回目ではなく期首改編合わせ552回目に「ザ・ベストテン大移動鹿児島編」を放送視聴率南日本放送では70.5%(ビデオリサーチ調べ鹿児島地区世帯リアルタイム)を記録したが、制作局TBSでは初の1ケタ(9.8%)を記録ビデオリサーチ調べ関東地区世帯リアルタイム)。この年最後公開生放送になった11月11日一部新聞で、1989年3月に「ザ・ベストテン打ち切り」という記事掲載されたが、当時は一旦否定していた。 11月24日 - 月間ベストテンの週で月間ランクインした歌手9組と、週間ベストテン初登場1組10出場した。その為、司会黒柳は喋る時間限定されしまっていた。 12月29日 - 『さよなら1988 ザ・ベストテン豪華版』を放送最後豪華版放送となった視聴率は16.1%で前年より10ポイント上下げてしまう。 1989年1月5日 - オープニングから8位発表まで久米宏司会登場その後生島ヒロシ小西博之草野仁チャック・ウィルソン森末慎二松下賢次登場。この日が松下最後の出演で、エンディングでは松下くす玉割り全員長渕剛の「乾杯」を歌唱元号昭和時代としては最後の放送となった(「昭和64年」としては唯一)。Winkが、昭和64年唯一のランクイン。「みなさん」が放送休止ということもあり18.6%と高視聴率記録。だが皮肉にもこの回がこの年最高視聴率となってしまう。 1989年になるとオーケストラ演奏を必要としないバンド系歌手増加で、オープニングバンド毎週いることがなくなりオープニング時は歌手席のところに集合する形をとるようになった1月12日 - 4代目司会者として渡辺正行コント赤信号)と柄沢晃弘登場柄沢基本的にデータ読み上げなどの補佐回った元号平成になってからの最初放送となった。なお、1月5日12日ともTBSを含む各局では昭和天皇病状悪化7日崩御受けて自粛ムード一色となり、人気バラエティ音楽など派手な演出を伴う番組軒並み休止となる状態だったが本番組は予定通り放送された。 2月23日 - 毎回歌詞テロップ表示するうになるそれまで初登場時のみ)。 4月6日 - ゲスト席の椅子壁面リニューアルされる。椅子それまでソファから単なる1人掛け椅子になったため、寺尾の赤ソファ田原の青ソファゲスト席の端に置かれることとなった前週3月30日)の放送分がスペシャルドラマ痛快!ロックンロール通り ファイナル』(21:00 - 22:24)で中止になったため、先週ランキング発表した4月のみ「春の秘蔵映像豪華版」と題して歌手視聴者リクエスト答えて昔の映像を流すようになった。同じ頃、『夜のヒットスタジオ』でも総集編など形式過去映像を流す機会増えており、両番組でのこの措置生歌だけでは視聴率取れない時代突入していたことを象徴する出来事でもあった。視聴率は17.1%と高視聴率記録。この企画最後にあたる4月27日オープニングで一気上位ベストテン発表する試みが行われた。まず、スタジオ暗転ドラムロールと共に前週ランキング発表。そこにある曲が27日の週では何位に入っているかを当てるものであり、よってこの週のベストテンランダム発表する形となる。ボード回転した場合は2曲続けて発表と同じ要領で「ジャン!」と鳴ってから次の順位移っていた。ボード回転しない11位以下にランクイン場合衝撃音が入っていた。そして全ての曲を発表後スタジオ出演する歌手が1位の入場曲全員入場し終わるまで最後部分繰り返していた)と共に全組入場していた。 4月13日関東地区視聴率が6.9%に急落し番組最低視聴率叩き出す。1位は光GENJIの「地球をさがして」。 6月29日 - 上半期年間ベストテン放送。しかし今週ベストテン含めてスタジオには工藤静香荻野目洋子中継Wink3組しか出演しなかった。視聴率は8.8%。 7月6日 - 放送終了直前黒柳徹子が、9月をもって「ザ・ベストテン」番組終了することを発表終了理由としては、「番組開始当初は2分30秒の歌も、現在は平均3分30秒になり長いものは5分近くなっていき、10フル出場してもらっても満足なインタビューをすることが困難なために、この番組役目果たした」との説明なされる。しかしその後に「私たちはもっと心のこもった、「歌手皆さんにゆっくりインタビューをする」そういういい番組作っていきたい、という気持ち充分にあります。」とも話しており、実際に後継の『音楽派トゥギャザー』はランキング撤廃したトーク中心番組となる。次週から最終回まで、同番組テレビ欄には「あと○週!」と表示されるうになる末期ランクインした歌手出演中継含めて多くて6組程度になっていた。初登場だけ出演しその後出演辞退を行う歌手増えたからである。そのため時間をつなぐために出演した歌手へのインタビュー長くしたり、フルコーラス歌唱させるなどの処置行っていた。3位発表前の20位から11位だった発表50位から放送したり、スポットライト歌手毎週出演(多いときは2組)するようになった。そのため全盛期スピード感ある進行番組出演者一体感失われたまた、ランキングボードでの楽曲紹介も、2曲以上紹介する際は1曲紹介する途中で次の順位楽曲ボード回転するなど、番組進行早めるために進行速度速くなっていた。7月27日 - 参院選当選した議員スタジオゲストとして招く。出演した参院議員は、八代英太田英夫中村鋭一黒柳明堂本暁子乾晴美の6名。スポットライトには、片岡鶴太郎が「思いの丈で…」を披露8月24日 - 黒柳欠席渡辺豪華に登場したいと希望したため、派手に登場また、この回よりTBS初のクリアビジョン放送開始、ただし、ネット局では通常放送9月7日 - 600回目であった公開生放送行われずスタジオから12年間のベストテン発表。1位は五木ひろしの「長良川艶歌」。 9月14日 - 「スポットライト」最終回C-C-B登場解散直前でシングルメドレーだった。ZIGGY最初で最後出演9月21日 - 第1回目映像画面右下小さく再放送スタジオモニターでも映していた)。主音声では通常の生放送を、副音声では第1回目音声放送する方式がとられた。なお、歌手歌っている時やCM中は再放送流されず、その部分ステレオ放送一方副音声も本放送当時流れのまま流していたため、本編中に本放送当時CM挿入していた時間1988年からのテーマ曲CMフィラーとして流していた。 9月28日 - 最終回迎える。10組中5組スタジオ登場1組中継4組欠席欠席竹内まりやからは電話があった。2位光GENJI太陽がいっぱい」では間奏で、番組ロゴ描かれ紅白フラッグを振る出演者・スタッフ・バンド・集まった関係者らに見守られながらメンバーGスタジオを何周か走りその後田原の青ソファをバンドセットの中央まで持ってきてそこに座らせた黒柳囲みながら大サビを歌う場面見られた。最終回の1位は工藤静香の「黄砂に吹かれて」。その後渡辺の「ザ・ベストテン!」のコール合わせて、ランキングボードの全てのパネル回転し曲名アーティスト部分に縦書きで「ごくろうさま黒柳さん」という文字得点999,999点がランキングボードに表示され12年間の感謝込めて全員でミラーゲートから出てくる黒柳盛り上げた最終回視聴率は12.2%だった。 10月5日 - 『さよならザ・ベストテン』を放送10月1日開局したテレビユー山形TUY)でも放送された。歴代の司会者久米中盤に『ニュースステーション』の準備合間を縫う形でテレビ朝日から移動して出演短時間退席してテレビ朝日戻った)・登場歌手などが昔の映像見返す番組途中からは松山千春初めGスタジオ登場また、全国各地から出演した歌手からのメッセージ放送された。エンディングには、高田純次翌週からの新番組宣伝登場番組のテーマ曲秋元康作の歌詞付けられたスペシャル・ソングが発表された。最後に前述した国会図書館都道府県立図書館寄贈するアルバム最後に掲載する」とされた最後記念写真結果的にこの写真掲載されなかった)が、スタジオにいた全員の「ハイポーズ!」の掛け声撮影され12年歴史に幕下ろした視聴率は20.5%であった

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