番組の終了に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:35 UTC 版)
「とんねるずのオールナイトニッポン」の記事における「番組の終了に至るまで」の解説
上記のような放送内容が支持されていたが、徐々にとんねるずの2人が、ラジオ自体にやる気をなくし始める。ある日の放送ではいきなり「なんでこんな時間に働いてるんだろうねぇー。たまには休みにしてさ、代わりにボブ(とんねるずマネージャー市川の愛称)がやればいいんだよ」と話し出す始末。番組開始当初から、とんねるずのコンサートツアー中などに1〜2か月程度、事前録音での放送が続くことはあったが、1988年10月開始の『とんねるずのみなさんのおかげです』や、1991年10月開始の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』が始まると、むしろ生放送が珍しい状態になってしまう。 そんな中で1992年4月、番組を揺るがす大事件が発生する。秋元康制作の映画・『マンハッタン・キス』披露パーティーに出席した石橋が、隣に座っていた ニッポン放送 元・専務取締役の宮本幸一が発言した「とんねるずは俺が育てた」「こいつらは…」に激怒した。それまで「あの人(宮本)は名前も覚えないくせに態度がでかい」などと番組で(飽くまでジョークの範囲内で)何かと話題になっていたが、この時は本気で憤慨したようで、石橋が「もうオールナイトニッポンには出ない」と宣言する事態に発展した。 事件直後の放送は石橋が出演をボイコットして、木梨が一人で放送。トラブルが生じたことを説明した上で「僕はその場に居ませんでしたが、周りの人の話を聞く限り、僕もウチの事務所としても貴明が悪いとは思いません。来週どうなるかは分かりませんが、幹部側は「あんな奴は辞めさせろ」と言ってるらしいです。リスナーや現場のディレクターには申し訳ないけど、こちらも折れるわけにはいきません」と石橋を擁護。同時に、ニッポン放送を暗に批判する発言をして、とんねるずサイドとニッポン放送サイドの間に緊張が高まった。 その後、とんねるずの事務所(当時「オフィスAtoZ」)とニッポン放送との間で話し合いが持たれ、石橋が翌週の放送より復帰。その場で、10月での番組終了を発表した。手打ちの形にはなったが石橋と宮本との間にできた溝は埋めきれなかった。 最終回は久々の生放送で、熱心なリスナーがニッポン放送本社に集結。トーク中は、とんねるず周辺の放送関係者が入れ替わり立ち代わり出演した。ニッポン放送前に集まったリスナーが、とんねるずの持ち歌「迷惑でしょうが…」を歌唱し、最終回を締めくくった。放送終了後、見学に来ていたハガキ職人へ向けてのサイン会と握手会が行われた。
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