1988年州議会
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「ウォレス・ウィルキンソン」の記事における「1988年州議会」の解説
ウィルキンソンは公式に知事に就任する前から、その公的な発言が州議会との関係を悪くするものになっていた。当選の2日後、その政策について議会の承認を得るために知事の「フルパワー」を行使するつもりであり、より良い未来のためにケンタッキー州民で作る政治行動委員会を使って、彼に反対する議員を破るために貢献させるという状況の認識を、記者に語っていた。議会はブラウン知事やコリンズ知事の下で次第に知事とは独立するようになっており、「レキシントン・ヘラルド・リーダー」の記者は下院議長のドン・ブランドフォードと上院議長代行のジョン・"エック"・ローズが、最高行政官に権限を戻すことを躊躇するという意見だった。1988年州議会で、ローズは政治行動委員会が個人の1つの選挙に寄付できる金額の上限を4,000ドルとし、委員会には個人が献金できる上限を2,000ドルとする法案を提案した。1か月後、ウィルキンソンは「言い方を誤った」のであり、政治行動委員会は宝くじ修正を通すために使うと意図しただけだと訂正した。知事の約束があったものの、議会はローズの法案を成立させた。 ウィルキンソンと副知事に選ばれたジョーンズは当選後間もなく、緊張関係が持ち上がった。選挙戦中、ジョーンズはマスコミとよりオープンになることについてウィルソンと話をしたと言い、もし当選すれば、ウィルキンソンに対する「イエスマン」にはならないと言ったと報道された。選挙直後の記者会見で、ウィルキンソンは自分の政権でジョーンズがどんな役割を果たすか分からないと発言し、その役割の多くはウィルキンソンの立場全てに合意できないとジョーンズが言ったときに意味したことに依存すると語った。1987年11月下旬、ウィルキンソンは、ジョーンズが政権の農業政策を推進する先頭を切ると発表した。「レキシントン・ヘラルド・リーダー」はこれは政権におけるジョーンズの主要な役割ではなくて、他の具体的役割は与えられていないと報告した。 ケンタッキー州憲法で州営宝くじを禁止する条項を外す修正提案は、1970年代半ばから会期毎に提案されてきたが、ウィルキンソンの当選で新たな動機付けとなり、州議会は1988年会期で必要とされる多数で修正提案を通した。ウィルキンソンの任期中に成立した別の修正条項は、露天掘りをある土地で始める前に土地所有者の承認を必要とすることだった。この修正は実質的に1956年裁判所裁定を覆すものであり、土地の所有者が採掘権を売りながら、地上の構造物の所有権とその他改良の権利を保持することを認める幅広い形態の権利譲渡証書を発行する慣習を否定するものだった。ウィルキンソンが提案した3つ目の修正条項は、選挙で選ばれる州の役人が続けて選ばれるようにするものだった。州知事選挙中に、そのような修正ができても自分への適用は求めないと主張していたが、当選から間もなく、修正条項の中身を変えて、現職を排除しないことにした。この修正は1988年議会でウィルキンソンの最優先事項の1つとなり、それに反対する議員には脅しを掛けた。議員達は任期継続修正条項に、行政府と立法府の力のバランスを保つために、州議会議員の任期を長くすることも含めるよう提案した。ウィルキンソンは、州議会が「クリーンな」任期継続修正条項、すなわちこの修正が有権者によって承認される可能性を損なう可能性のある他の規定とは無縁なものとするよう固執した。州議会下院は修正条項を通したが、上院は修正圧力をかけ続け、毎年議会を開催することと、知事予備選挙でだれも過半数に達しない場合は決選投票を行うことを義務化することを提案した。ウィルキンソンがどちらの提案も拒否すると、上院指導者達は審議に掛けることも拒んだ。ウィルキンソンが選挙中再選を求めないと公約していたのを逆転させたのもその評判を傷つけた。 ウィルキンソンが修正条項を提唱したことで、既に1991年の州知事選挙に出馬する意向を表明していたジョーンズ副知事との関係がさらに悪くなった。会期終了後に、ジョーンズはオーエンズボロの大衆に向かって、ウィルキンソンがその教育政策を通すことに固執して特別会期を招集するならば、州議会はおそらく「それを彼の顔に投げ返す」だろうと語った。これに対してウィルキンソンはジョーンズが「過程を変えることに関わるべきであり、何事にも否定的であるべきではない」と言った。「レキシントン・ヘラルド・リーダー」の社説は政権におけるジョーンズの役割に関する記者会見の約束がまだ果たされておらず、「大半の観測者はそれが開かれることはないだろうと考えている」と述べた。二人の関係はその任期を通じて歪んだままであり続けた。ジョーンズはのちにそれを「恐ろしいこと」と語っていた。
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